2008年12月21日

私は憲法違反者だそうです(笑)

日教組シンクタンク提言 「早寝・早起き・朝ご飯」は憲法違反である(Birth of Blues)

日教組のシンクタンク、国民教育文化総合研究所の池田賢市運営委員によると、政府が「早寝・早起き・朝ごはん」を称揚することは憲法違反だそうだ。

(エントリで引用された「総研ノート」より)
 いま、学力「低下」問題への「対策」のひとつとして、政策側から言われている「早寝・早起き・朝ご飯」は、人の生活の仕方、生き方という、憲法の下でけっしてその価値の優劣を示してはいけないことがらに踏み込もうとする違憲のスローガンである。

<略>

 さらに加えるならば、食事の仕方(たとえば回数や時間帯)については、すでに人類学や社会学等の研究成果により、単なる個人の問題を越えて、文化の問題である点も指摘されている。少なくとも、生物学的に合理的根拠があっての一日三食というものではない。しかし、この点の議論を進めていくと、再びスローガンの内容の是非に引きずり込まれる危険があるので、注意が必要である。
 最後に、少なくとも、夜更かしや朝食を食べないことが公共の福祉に反しないことは確かである。


それでは「早起きは三文の徳」という諺は

憲法違反として封印するんですね わかります(失笑)



夜11時過ぎには床につき、朝6時半に目覚ましを掛け、7時過ぎには朝飯を食い、8時前には会社に居る生活を続けている自分は立派な憲法違反者です。どうもすみません(笑)
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2008年12月12日

パラドックスの答え

自立を急ぐと自立できなくなる(日経SAFETY JAPAN)

(記事より)
 学生時代は何事にもやる気がないと思われていたのに、社会人になったら急に生き生き輝き出す人もいる。こうした例はいくらでもあるのだ。

 だからこそ、自立を急がないことだ。「自立、自立」とせかすと、かえって真の自立が遅れる。一見、自立したように見えても、くすぶったものを残しているので、どこかで何かの形で出てくる。ここには一つのパラドックスがある。

「無理に自立させると自立できなくなる」
「無理に自立させないと自然に自立する」
「自立させたかったら無理に自立させるな」


 子育てや自立の問題に限らず、このようなパラドックスは人生のいろいろなところに登場する。人生は不可解だが、だからこそ面白いともいえる。


「無理に自立させると自立できなくなる」というパラドックスを自分なりに解釈してみると、親が子供に自立を強いるときに、「自立の仕方」の答えを子供に教えてしまうせいではないかと思う。

自立の仕方を人それぞれ。他人から教えられるものではなく自分で掴み取るもの。しかし自立を強いる親は「だからこうすればいいの!」と、せっかちに自立の仕方を子供に教えてしまう。

しかし示された方法がその子供に適切かは保証の限りではない。それよりも、一つの方法を示されたことで、子供は自分で自立の仕方を見つける努力を怠り、真の自立から遠ざかってしまう。


自立の仕方を自分で見つけること

それこそが「自立」そのものなのである
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2008年11月16日

答えは答案用紙にある

大阪2題。(よねの備忘録)

大阪府の教育問題の取り組みついて。

(エントリより)
大阪府の橋下知事が、府内の公立小学校通う児童や保護者らと
教育問題について意見を交わすイベントが8日、大阪市中央区の
府公館で開かれた。保護者から「学力面で公立学校に期待は
していない」など学校側への不満や批判が相次いだ。


学生時代の自分は自他共に認める理系で、特に数学は中学・高校の試験の点の稼ぎ頭だった。そんな自分も親よれば、小学校に上がった頃は算数の点はよくなかったらしい。

周りには既にそろばん塾に通っている子もいて、他の子との点差は開くばかり。さすがに心配になった母親が担任の先生に相談したところ、その先生は次のように答えた。

「大丈夫ですよ。

お宅のお子さんは確かに計算が遅くて全部の問題を解けていませんが、解いた問題は全て正解しています。

全部の問題を解答した子でも、実際には何問か間違っていて、全問正解している子はそういません。

お子さんは丁寧に解いているんです。計算は慣れれば速くなりますから、私は心配してません。」


その年の夏休み、親から計算ドリルをみっちりやらされたが、その甲斐あって時間内に計算問題が解けるようになったとき、算数の成績は自ずと上がっていた。

恐らく担任の先生は自分の答案用紙だけでなく、自分がテストを解いている様子もしっかり見ていたのだろう。だから母の問いにもこのように答えたのだと思う。

子供がテストを解いている様子を親が窺い知ることは流石にできないが、答案用紙を見ることはできる。そこからでも子供の成績が悪い手がかりが得られるように思える。

(エントリより)
 ある母親は「学校の通知表を見ても、わが子がどの程度のレベル
なのか分からない。もっと競争心をあおったほうがいい」と不満を
口にし、父親の一人は「公立学校に学習のことは期待していない」と
痛烈に批判した。


お母さん

答えは通知表ではなく日々のテストにある

何でも先生任せ・学校任せにしていないで

子供の答案用紙は自分で見てあげよう



参考:
算数ができない子にどう対応するか(日経SAFTY JAPAN)
子どもの「促成栽培」はやめよう(日経SAFTY JAPAN)
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2008年11月14日

タイミング

今、宮崎監督が良い事を言った。(あるぱか、ネタの種)

子供を持たない身ゆえに、子育ての難しさを知る由もないが、以下には納得。

(エントリより)
NHKの番組中、宮崎監督が披露したエピソードが印象に残っている。

アトリエに遊びに来た子供を駅に送る際、愚図る子供の気分転換に、車の屋根を開ける事を思いついたと言う話だ。

監督は言う、「子供に接する時、ある種のタイミングがあって、その時を逃すとやり直しが効かない

愚図つく子供の為に、監督が愛車の屋根をフルオープンする。
淀んだ空気が一変し、流れる風が子供の髪をなびかせる、、、

何だかソレこそ宮崎アニメのワンシーンのようだ。

確かにそんな事をされたら、ご機嫌ナナメも真っ直ぐになるに違いない。

雨が降っていた事もあって、結局開けずじまいだったことを、監督は悔いていた。

子育てをしていて、子供を躾る。
何か悩みを抱えている子供を気遣う。


確かにその一瞬一瞬を捉え、最適な解決法を示せたら、、、、

「お父さん・・・」
「何だ?今忙しいから後にしろ」

そう言ってしまいがちな自分に、お灸を据えられたようだ
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2008年10月23日

フィンランド式教育の功罪

OECDの学力調査で日本が低落傾向にある一方で、上位に位置したのがフィンランド。昨今その教育方法が注目を浴びた。

「子供が王様」これでいいのか フィンランド式教育に学べ(J-CASTニュース)

(記事より)
日本の「学力」低下が懸念されるなか、フィンランド式教育が注目されている。OECDが実施した学習到達度調査(PISA)で、日本は順位が低下傾向にある一方、フィンランドは上位を維持していることもあって、ちょっとしたブームになっている。国内でも授業に「フィンランド式」を取り入れる学校が出現したほか、「フィンランド式学習」を謳った書籍も続々と登場している。「フィンランド式」の根幹は何なのか? J-CASTニュースでは、実践型の「フィンランド式学習」としては初の書籍『フィンランドメソッド実践ドリル』を執筆した諸葛正弥氏に聞いた。


そのフィンランドで、アメリカ・コロンバイン高校での事件を髣髴とさせる、生徒による銃乱射事件が発生。その遠因をフィンランドの教育制度に求める意見も出た。

ネット上で不気味な波紋 フィンランド銃乱射から1カ月(産経)

(記事より)
 教育問題に詳しいユバスキュラ大学のパルキネン教授は本紙に「改革の結果、思春期に学校で友達をつくる時間が減ってしまった」と語る。小学校の7〜12歳は同じクラスで授業を受けるが、中学校の13〜15歳は子供の自立を促して学習効率を上げるため、日本の大学と同じように自分で授業が選択できる。しかし、共同行動の時間がほとんどなくなり、教師が生徒と接する時間も激減。いじめ防止のために学校は十分な対応がとれていない。

 同国は伝統的に働く女性が多く、男女の就職率格差は6・4%(日本は30%)と世界最小。離婚率(人口1000人当たりの年間離婚件数)は2・7と欧州連合(EU)平均の2・0より高い。働く女性を支援するため就学前の保育施設も普及しているが、子供が親と過ごす時間が減ったという。

 リンペラ教授は「家庭に恵まれない子供にとって、この教育制度は孤独感を深めるなどマイナス面がある」と話し、パルキネン教授も「事件のあと国民は現在の教育制度に強く反対している」という。これに対し、教育省のカリャライネン事務次官は「学校が事件の原因ではないが、学校は事件防止のため重要な役割を果たす必要がある」と述べ、早ければ来年にも教育カリキュラムを再評価する考えを明らかにした。


『ニッポンの評判』(今井佐緒里/新潮新書)を読むと、フィンランド人はちょっと付き合いにくそうな印象を受けたのだが…
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2008年10月08日

教育の賜物

お笑い「日教組」の先生達(中韓を知りすぎた男)

共に反日教育を繰り広げた日中国民の行き着くところ。

(エントリより)
日本が平和なのは平和憲法のお陰である、軍隊があるから戦争が
起きる、国家があるから戦争になる、中国の嫌がる事はせず日中友好
さえ保っていれば中国とは戦争にならない、という反日教育で育った
日本人と 日本は危険な軍国主義の国である、このような国は叩き
潰さなければならないと反日教育された中国と日本が海を隔てて隣
どうしに住んでいます。

そして日本は集団自衛権すら放棄して枕を高くして熟睡しています。
方や中国はこの危険な日本国と戦うために着々と準備しています。

さて両国の運命やいかに?


それは「ロード・オブ・ザ・リング」のフロドとゴラム


参考:
旅の道行き(当ブログ記事)
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2008年10月07日

こんな日本に誰がした

間違った教育政策が日本をダメにした!(江草 乗の言いたい放題)

「十五の春を泣かせない」ことが日本をダメにしたのか?

(エントリより)
 オレはこの日記の中で以前から増えすぎた大学をつぶせと言うことを訴えている。大学の質の低下が大量のニートややる気のない若年労働者を産み出すだけではなく、そんな大学に補助金が支出され、そして授業料などの負担でその親たちも貧しくなるという悪循環が発生してることを指摘してきた。現在の状況は文部科学省の間違った方針の結果もたらされたものであると。

 しかし、そのきっかけはいったいどこにあったのだろうか。どこから間違った方向に進んでいったのだろうか。オレはずっとその理由を探っていた。そして到達したのは今から40年近く前の教育政策が原因じゃないだろうかという結論なのだ。大阪で黒田、東京で美濃部という革新知事が誕生し、「15の春を泣かせない」などというスローガンで全日制普通科の公立高校を増設しまくったことが根本にあったのではないかとオレは思うのである。高校の中味が圧倒的に全日制普通科によって占められている状況が、多くの不勉強な大学生とニートやフリーターを作り出したのではないか。なぜ工業科や商業科という部分の定員を50%くらいで維持しなかったのか。普通科が大学進学を目的とするコースならば、その定員というのは大学進学率プラスアルファ程度で十分である。職業科と普通科はその目的が違うのである。そのことを理解せずに普通科の方が職業科よりも上だという変な偏見を持って、レベルの低い生徒が大量に入る普通科を粗製濫造したのだ。その結果、全日制普通科は高校の底辺を支えることになり、そこではかけ算や分数ができないどころか、教室で落ち着いて授業を受けることすらできない動物園のような状況が生まれたのである。もはや学校とは言えないような荒廃ぶりだったのだ。最初から職業教育に徹していればこんなことにはならなかっただろう。

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2007年11月27日

理解の浅い人と深い人

“理解が浅い人”と“理解が深い人”の8つの違い(前編)(日経ITpro)
“理解が浅い人”と“理解が深い人”の8つの違い(後編)(日経ITpro)

芦屋広太氏のコラム「ひとつ上のヒューマンマネジメント」の「5分で人を育てる技術」シリーズ。

(記事より)
“理解が浅い人”と“理解が深い人”の8つの違い

(1)理解が深い人は目標を持ち,自分にテーマを課す。
理解が浅い人は目標感がなく,自分にテーマを課せない。

(2)理解が深い人はイメージする。
理解が浅い人はイメージしないか,そもそもできない。

(3)理解が深い人は体験する。
理解が浅い人は体験しない億劫な性格である。

(4)理解が深い人は切迫感を持つ。
理解が浅い人は切迫感が弱く,締め切りに緩い。

(5)理解が深い人は常にアウトプットする。
理解が浅い人はアウトプットを嫌がる。

(6)理解が深い人は何でも興味を持ち好きになる。
理解が浅い人はものに興味がなく,無感動で怠惰。

(7)理解が深い人は常に批判的に見て考える。
理解が浅い人は批判的に見れず,疑問を持たず,鵜呑みにする

(8)理解が深い人は何回でも根気良く繰り返す。
理解が浅い人は繰り返さず,その場限りですぐ忘れる。


詳細はリンク先を読んで頂くとして、上記に掲げられたことは仕事の進め方に限らず、「お勉強」にも言えることではないだろうか。
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2007年11月24日

「生きる力」って何?

例えば子供がいじめを受けて自殺したとき、学校関係者や教育評論家、テレビのコメンテーターなどが「「生きる力」を教えなければならない」と力説する。


でも「生きる力」とは一体何なのだろうか?

この問い対する明快な答えを聞いた例はない。



以下、Critical Horizonで引用された記事より。

広がる若者世代の貧困 「一回転ぶとドン底まで行く」
――NPOもやい事務局長・湯浅誠氏インタビュー(上)(J-CASTニュース)

「ネットカフェ難民」転落 本当に若者の「責任」なのか
――NPOもやい事務局長・湯浅誠氏インタビュー(下)(J-CASTニュース)


(記事より)
――一方で、若者の「弱さ」「甘え」が、すぐに仕事を辞めて職を点々とするようなフリーターを生み出した、という意見もあります。

なんと言っていいのか難しい問題なんですけど。前にこういう事例がありました。5月に失業、相談に来たのは9月なんですが、その4ヶ月間の間に食べられなくなった男性でした。その間に、彼は3回就職しました。でも、3回の仕事をいずれも3日、3日、1日で自分から辞めてしまっているんです。食うに困っていて、仕事を探していて、実際に採ってくれるところもある。でもなんで辞めてしまうのか、ということですよね

彼に働く気がないのかというと、そうではない。そうじゃなきゃ3回も就職活動はしないわけで、だけど、続かない。「なんで?」と聞いたら、「仕事についていけると思わなかった」。そこがいわゆる「弱さ」の正体ですよね。
私はいつもこう言っているのですが、新しい仕事に就くということは、大変なことです。会ったことがない人たちと、やったことのない作業をやるってこと。多くの人はできると思うんですね。しかしやったことないんだから、そこには実は根拠がない。なんで根拠もないのにできると思えるのかというと、「今までやったことないことやらせてもらえた」「チャンスをもらえた」「やったことないことをやってうまくいってほめられた」といった「成功体験」みたいなものを過去に持たせてもらえた。だから、それを応用して「できる」と思えるんです。
逆に言うと、そういう経験に乏しい人にとっては、「できる」と思えない。本人にとってはこれが、大問題だったりするんですよね。

これは、自己責任論と絡むんです。病気で仕事に行けなくなって解雇されたというと、みんな「しょうがない」というんです。みんな実際に病気をしたことがあるから。「健康管理がなってない」と自己責任論で片付けることもできるはずですが、そう言って批判する人は多くはない。一方で、仕事のことになると、「お前が頑張らなかったせい」と自己責任論で片付けられる。多くの人にとっては「頑張ればできる」ということなんだろうけど、本人にとってはどうしても乗り越えられない。これも広い意味で「貧困」だと思うんですよ。つまり、「意欲の貧困」、精神的に「溜め」がないということなんです。
posted by かせっち at 20:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月16日

「ゆとり」がもたらしたもの

“中学レベル”の大学生急増「ゆとり教育影響」 オンライン学習・大学ネット設立(千葉日報)

「お気に召すまま」で取り上げた記事。

(記事より)
 少子化による大学全入時代で入試そのものの機能が問われる中、日本語の設問すら理解できない大学生が急増している。講義が成立しないとの大学側の悩みに応え、千葉市美浜区のメディア教育開発センター(NIME)が事務局となり、基礎学力向上のためのパソコンを使った自習教材、eラーニングの普及へ「オンライン学習・大学ネットワーク」を設立。来年四月から、参加大学が独自に開発した教材を共用し、大学生の学力底上げを目指すことになった。

 学生の学力低下について研究するNIMEの小野博教授(62)は、全国の大学生四万六千人を対象にテストを行ったところ、国公立大学で6%、私立大学で20%、短大では35%の学生の日本語力が中学生レベル。私大や短大の中には60%を超えた学校もあった。

 別のアンケートでは、ふりがな付きにもかかわらず、設問中の「怠惰」や慣用句の「話を聞いて骨が折れる」の意味が分からない学生すら多かったという。

 小野教授はゆとり教育と少子化による大学全入時代の影響を指摘。「入試が機能せず、(同じ大学でも)入学する学生のレベルが開いている」と分析する。


とある会合の懇親会でのこと。同席したある大学の理系の教授が嘆いていた。

「最近の学生は本当にレベルが低くなりました。何せ、理系の学生でも大学3年にならないと微分方程式を教えられないのですから。

おかげで物理の教授は手足を縛られているようなもので、電磁気学なんかを教えるのに苦労していますよ。」


大学3年にならないと微分方程式を習わない、だと?

自分が大学1〜2年の時の物理や数学の授業といえば

血反吐を吐く程、微分方程式を解かされたものだが・・・(呆)



そもそも物理の法則というのはそれ程多くない。力学ならばニュートンの運動方程式、電磁気学ならマクスウェルの方程式というように、ある分野の物理現象を説明する基礎方程式は1分野に1個程度しかない。

逆に言えば、たった1個の基礎方程式でその分野の物理現象が説明できてしまうのだが、この「物理現象を説明する」ということを具体的に言うと、「与えられた条件の下で、基礎方程式を解く」ということになる。

そして基礎方程式は大抵の場合、微分方程式になっている。だから物理を根本的・包括的に理解するためには、そのための具体的手段である微分方程式の解き方を学ばなければならないのである。

実はこのことは、自分の高校時代の物理の勉強の上での大きな障害になっていた。

高校で理系コースを選択した自分は、3年で「微分・積分」を履修している。しかし高校の「微分・積分」で扱う微分方程式は初歩的なレベルに留まり、物理の基礎方程式を解くのに使える代物ではなかったのである。

例えば、斜面を転がる物体の運動も振り子の運動もニュートンの運動方程式で記述できるが、実際にこれらの運動の問題を解く場合、前者は直交座標系、後者は極座標系で運動方程式を表現し、この式を微分方程式として解くのが定石といえる。

しかし数学で微分方程式を本格的に教えないため、物理でも解法に微分方程式を使うことができない。結果、一つの方程式で扱えるはずの物理現象が、別々の方程式に支配されているかのように、それぞれに応じた解き方を覚えなければならなかった。

覚える側としてはこの状況は非常に苦痛であった。高校の物理の先生もそのことを重々承知していて、「今は『こういうものだ』と思っておけばいい。本格的に理解するのは大学で微分方程式を習ってからだ」と仰っていた。

そして先生の予言どおり、大学1〜2年の間に手を変え品を変え、あらゆる物理・数学系の授業で微分方程式を解く訓練を積んだおかげで、物理についての包括的な理解が進んだのである。

このような経験があるために、今の大学生が3年にならないと微分方程式を習わないという話を聞いて、「今の大学1〜2年生は俺の高校生レベルなのか?」と驚いた次第である。

「結局、ゆとり教育なんですよ。

小学校5〜6年で習うことを中学で習い、中学3年で習うことを高校で習うというように、教科がどんどん後ろ倒しになっているんです。そのしわ寄せが大学まで及び、大学1〜2年で高校で習うことを教えなければならないんです。

尤もレベルの高い子は大丈夫なんです。そういう子は数学が好きだから、自分でどんどん先に進むんです。問題はそういう子とレベルの低い子との乖離が今まで以上に大きくなってしまった、ということなんです。」


かくなる数学力の低下に至っては、理系離れもむべなるかな
posted by かせっち at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月14日

道徳教育の是非

小学校時代の道徳の授業といえば、NHK教育の道徳の番組を見た記憶くらいしかない。もしかすると視聴後に先生の講義などがあったのかもしれないが、何にしても印象が薄くて「道徳」という言葉にピンと来なかった。

『歴史の終わり(下)』p.52)
平等についてのキリスト教の見地は、一九六三年にマーティン・ルーサー・キング牧師がリンカーン記念堂の壇上からおこなった「私には夢がある」という演説の中に如実に示されている。 <略> キリスト教の牧師であるキングにとって人間の尊厳は、人間の理性や賢さのなかにではなく、その人格のなかに、つまり道徳的性質、善悪を識別する能力のなかにある。


上記のように、人の道徳的性質が善悪を識別する能力であるとするならば、道徳とは「善悪の基準」であり、道徳教育の目的は「何が善であり、何が悪であるかを教えること」と言える。

しかしこの道徳教育の目的自体が道徳教育を難しいものにしている。何故なら、客観的事実を基に教える他の教科と違い、道徳教育が扱う「善悪の基準というもの自体」が極めて主観的な代物だからだ。

特に現代に特徴的な、「あらゆる価値は相対的であり、絶対的な価値などない」という相対主義は、国・共同体レベルでまとまっていた善悪の基準を、個々人のレベルに分解することを促進した。

かくして、個々人の主観に基づいて善悪の基準が決められ、それを他人がとやかく言うことが憚られる現代において、「一つの」善悪の基準を定め、それを教えるということは困難な作業と言える。

例えば、学習指導要領で善悪の基準を示したとしても、教師の主観と合致しなければ、教師は納得して教えないだろう。同様に、教師が納得した善悪の基準にしても、今度は生徒の主観と相容れないこともあり得るだろう。

このように、現代においては普遍的な善悪の基準など無いように見える。しかし、普遍的な善悪の基準がないからといって、善悪の基準を教えること自体を放棄してもよいのだろうか?

それは善悪の基準を完全に個々人の主観に任せたらどうなるかを考えればよい。早晩、他人の善悪の基準と衝突し、自分の善悪の基準に基づいて相手を非難し、互いに相争うことだろう。

それを避けるためにも、大多数が共通認識として持てるような善悪の基準を定め、それを教えなければならない。その意味において、道徳教育は行わなければならないのである。


一つの善悪の基準を定めることが困難な時代において

一つの善悪の基準を教えることを目的とする道徳教育

自らの存在自体が大きな矛盾であることが

道徳教育を難しくしているところ

だからといって道徳教育を放棄してはならないのである



参考:
歴史の終わり〈下〉(フランシス・フクヤマ/三笠書房)
posted by かせっち at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月01日

言ってはいけない言葉

※「バルス!」ではありません(笑)

安倍首相教育改革 VS 日教組(TBS報道特集 2007.7.1放送)

安倍首相が今国会の主要テーマに挙げていた教育改革に、真っ向から反対する日教組の運動の様子を取り上げた。組織率が9割を超える県もある(自分が住む静岡県も取り上げられた(苦笑))一方で、東京都杉並区では1割に満たないような所もあり、全国的には組織率は3割を切るところまで来ているという。

その杉並区では国に先駆ける形で教育改革を実践し、計算ドリルなどを通して基礎学力の向上を図っている。このような方針に対し杉並区教組前委員長の長谷川和夫教諭は悉く異論を唱え、「計算ドリルの点が1点2点上がったって喜ぶ子をそんなに多くない」と発言した。

これを聞いたとき、かつて別のテレビ番組で紹介された師範塾という教員養成機関で教えるベテラン教師の言葉を思い出した。

逆上がりができない子供に慰めのつもりで「逆上がりができなくたって、世の中生きていける」などと言ってはいけません。逆上がりができない子供も、本当はできるようになりたいのです。それなのに、この言葉は「お前には逆上がりはできない」と言っているのと同じなのです。


子供だって計算ドリルでいい点を取りたいに決まっている。いい点を取って褒められれば喜ぶに決まっている。「1点2点あがることの喜び」を教えるのが教師の本分であるはずなのに、長谷川氏の発言はそれを教えられない自分の無能さを自白しているに過ぎない。


やっぱり日教組の教師はダメだな(嘲笑)
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2007年01月10日

インドの教育

強い!インド式教育 数学重視、IT立国支える(産経)

(記事より)
理数離れが進み、分数ができない大学生が続出して「技術立国・日本」の名が危ぶまれる一方で、逆にIT技術立国に躍進したのがインドだ。その成長の陰には、「2桁かけ算の暗唱」でも有名な数学教育の重視があるとされる。インド式教育に学力向上策のヒントが隠されているのではないか。(小田博士)


と、インドの教育を持ち上げる報道がある一方で、


優れた素質を生かせない教育大国インドの反省【コラム】(日経IT PLUS)

(記事より)
昨年12月、インドのEducationalInstituteとIT大手のウィプロ・テクノロジーズが共同で実施した学力調査結果が発表された。インドの5大都市(デリー、ムンバイ、コルカタ、チェンナイ、バンガロール)の有名私立校に在学する4年生、6年生、8年生(日本の小4、小6、中2に相当)の3万2000人を対象に、英語、数学、科学の3科目における学力調査を行った。その結果が衝撃的である。

抜粋すると

・インドの生徒は世界43カ国の同学年の平均を大きく下回った
・丸暗記で答えられる問題は正答率が高いが、理解力や判断力を求める問題では極端に低い
・学習項目を実生活に適用する能力が著しく低い
・語学科目は意思疎通の手段としてではなく試験用の科目としてしか学習されていない

等々である。


物事には必ず両面があるということで。
posted by かせっち at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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