2011年04月09日

淡々と前に

フランス 「日本人はこの状況でも逃げずに仕事をし、TVではお笑い番組を放送している。明らかに異常」(痛いニュース)

(エントリより)
1 名前:名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/04/09(土) 09:45:32.01 ID:VrKrIhbk0● ?2BP
仏TV「日本人はバラエティー番組見て笑い転げてる場合か?」

東日本大震災直後はモラルある日本を称賛する海外メディアが多かったが、福島第一原発事故以降、彼らからは日本人の反応に疑問の声が上がっている。『ニューヨークタイムズ』紙は、「日本人はどこまで政府や保安院、東京電力の言葉を信用しているのか。座して死を待つかのような日本人の対応はおかしい」という米国人記者の話を掲載。

フランスのテレビ番組では、日本在住フランス人が怒りをぶちまけた。「ニュースでは“何の心配もいらない、大丈夫だ”と繰り返している。 必要なインフォメーションは何もない。バラエティー番組を見て笑い転げている場合か?」

また、日本滞在経験があり、いまはパリに住むフランス人女性はこういう。

「東京は福島からそう遠くないのに、サラリーマンは“まだ大丈夫”という意識で
働き続けている。我慢強いのかもしれないが、仕事は生きるためのものでしょう?
命を落としてまで働こうなんて誰も思わない。放射能の危険にさらされても逃げない
なんて、欧米人の感覚からは信じられません」


地震と原発の違いはあれど、その答えのヒントは以下にあるだろう。

もはや神も大地も怒らない(In Deep)

(エントリより)
ところで、今日の地震の時にテレビをつけた時、 NHK の仙台支局だと思うのですが、放送局内の様子が映されていたのですが、そこで見た人たちの行動。

多分、仙台も震度は6前後はあった中でしょう。

その中で、そのスタジオに映っている人たちがしていたこと・・・。

髪の長いスリムな女性はホワイトボードが倒れないように支えながら冷静に周囲や天井を見ている。

アナウンサーの方でしょうか、黒いスーツを着た女性スタッフは、揺れが収まった瞬間、動じることなく報道の準備を始める。他にも、落ちそうなパソコンを支えるスタッフ、そして、カメラを持ったカメラマンはその様子を揺れながら撮影している。

もはや、そこには「地震に対しての怖れ」など見えないのです。
起きる事象に対して、淡々と対処し、次に進む。

世界のどこを見回しても、震度6の地震の揺れの中でこれをできる人はいません。
本当にいません。

<略>

そして、原因がどうであれ、この「地震」というものに対しての人類の正しい態度としては、上の NHK 仙台局で映っていた人々の態度が 100パーセント正しいわけで、そして、多分、東北の多くの方のとられたであろう態度が 100パーセント正しいと思います。

それは「不安を先行させずに、起きたことに淡々と対処する」という現実的な態度です。

地震が起きて、「ああ、神様、助けてください」と、住民全員で輪になり手を繋ぎ、空と大地に祈りを捧げるというような人間の姿も、世界での歴史の上ではあったかもしれませんが、それは正しい行動とは思えません。

あるいは、ただ叫び嘆き悲しむだけの連続も正しくありません。

それでは、「次の地震に対処できない」からです。

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2010年10月28日

悪魔的反撃(笑)

反日デモで叫ばれる「日本鬼子」を萌えキャラ化→中国人困惑(痛いニュース)

(エントリより)
尖閣における衝突問題以降、2 国間関係が険悪な日本・中華人民共和国であるが、中国国内の反日デモで叫ばれる「日本鬼子(リーベングイズ)」という日本人/国への罵倒に対して、斜めに受けて「日本 鬼子 (ひのもと おにこ)って萌えキャラ作って中国人を萌え豚にしようぜ」と中国へ返すという草の根プロジェクトができたらしい (まとめ@wiki) 。手っ取り早く鬼子ちゃんが見たい ! って方は代表絵候補のページをどうぞ。またはピクシブ百科事典なども参考に。

blog『「日中文化交流」と書いてオタ活動と読む:http://blog.livedoor.jp/kashikou/archives/51593329.html』にて、この萌えキャラ群を見た中国人側の反応が紹介されている。以下にいくつかを引用して紹介する。

・こう来るとは全く思いもしなかった。あの国はやはりよく分からん……
・こんな手を打ってくるとは。あの国はまずオタクから何とかした方がいいんじゃないか?
・こっちは罵声を送っていたはずなのに返ってきたのは萌えキャラ…なんかもう、無力感に苛まされる……
・やべぇ……日本はやっぱりやべぇ国だよ。ちょっと負けを認めるべきなのかもしれない。
・あ、基本は黒髪ロングでお願いします。
・日本鬼子が萌えキャラだと ? こうなったらあいつらをどう呼べばいいんだ ? JAP ? それともキモオタ ?
http://slashdot.jp/articles/10/10/27/0154256.shtml


こういう反撃には天才的、いや悪魔的才能を発揮するのが日本人である(笑)


今から5年前、イラクのテロ集団が日本人を拉致し殺害。その模様を撮影した動画をネット上にアップしたのだが、そのアップ先というのが日本のモーオタが管理するサーバ。勝手に動画をアップされていた管理者は彼らがアップした別の動画に差し替えるという反撃に出た。そしてテロ集団の公式サイトにはキモオタ動画が乱舞したという…(笑)

事の顛末はこちら:http://www.yaguchimari.com/mm/diary.htm
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2010年05月07日

タチュタタチュタ。クララがタチュタ(part146スレ)(日本びいきの外人を見るとなんか和むスレのまとめ)

日本人を鏡に例えて説明する外国人。

(エントリより)
182 :おさかなくわえた名無しさん :sage :2010/03/30(火) 20:24:24 (p)ID:ErEPKQhE(2)
身体の大きなクマみたいな青い眼のオッサンが、こんなこと言ってた。

「日本ってのは没個性というより鏡なんだ。
 拝金主義者が見れば拝金主義者に見える。
 スケベが見ればスケベに見える。
 好戦的な者が見れば好戦的に見える。
 差別主義者が見れば差別主義に見える。
 けれど礼儀正しい者が見れば礼儀正しく見える。
 優しい者が見れば優しく見える。
 好奇心旺盛な者が見れば好奇心旺盛に見える。
 義理堅い者が見れば義理堅く見える。
 みんなの言うことを聞くとわけわからないよ。
 確かに日本人は、相手に染まりやすいね。
 けど一枚の鏡だと思えばどうだい?
 日本人がどう見えるか聞けば、そいつがどんなヤツなのかわかるんだ」

和めるかどうかわからんけど、思いだしたから書いてみた。


“あけましておめでとう→あけおめ”の場合、“あ、なるほど→(     )”(part132スレ)(日本びいきの外人を見るとなんか和むスレのまとめ)

実は似たような話が以前取り上げられていて。

(エントリより)
419 :おさかなくわえた名無しさん :sage :2009/10/03(土) 15:46:20 ID:O3pWojua
外国人の多い職場に勤める知人から聞いた話。

アメリカから来たばかりの黒人が嘆いていた。
「日本人は白人が好きだ、差別が無いと思っていたがやっぱりある」
どうしたんだと知人が慌てて聞くと、
「電車で自分の隣が空いていても、人が座らない」
「白人の同僚はそんな事は無いと言う」
確かにその黒人、ちょっと怖い外見だが、白人の方もメタボででかい。
偶然だよと言っても納得しないので、慰めるためにその日は一緒に飲みに。

帰りの電車で知人は気付いた。

知人「お前……足広げて浅く椅子に座るのやめろ」
アメ「Huh?(´・ω・`)」
知人「人種うんぬんの前に、ガラが悪くて近寄りたくない」
知人「お前の隣に座ったら、何されるかわかんないと思われてもしょうがない」
アメ「!!( ゜ω ゜)」

そしてお行儀よく座るようになったら、すぐ隣に人が座るようになったと。
「小さいおばーちゃんと、女子高生が隣に座ったよー」とほくほくしてたそうだ。

そのアメ人が最近言ってたそうだ。
「日本は鏡のようだ。礼儀正しく生きていると、礼儀正しくしてもらえ、礼儀正しい友人ができる」
「自分の周りにいる人々を見れば、自分がどう生きているのかわかる」
それはアメリカでも一緒ではと思うが、違うもんなのかね。


御神体が鏡という神社が結構あるが、それは鏡に映る自分を見させて「神の如く清らかにあれ」という警句を与えているのかも。
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2009年12月20日

怪物と怪物使い

ふたつの日本(Meine Sache)

「日本をから離れたい」という気持ちでブログ主が訪れた香港は、徹底的に日本に「汚染」された場所だった。

(エントリより)
逆説的になりますが、だからこそぼくは、いわば日本から逃避したい気持で香港を訪れた今回、皮肉にも以前したどの旅よりも強烈に、日本という巨大な存在に打ちのめされてしまいました。軍事力や圧倒的な経済格差で現地の人々を隷属させるわけではなく、ごく自然に等身大の姿で香港の人々を惹き付け、彼らの生活の中に刻々と根を伸ばしている日本という存在は、とてつもないモンスターです。

そんなモンスターである日本と、日本にいる時に感じた「沈みゆく日本」は、どうにも整合性がとれません。しかし「沈みゆく日本」もまた、決して幻想ではありません。

<略>

今、香港に限らず世界を惹き付けているモンスターな「日本」のほとんどは、エリート的、或いは官的な感覚とは無関係なところで雑草のように生まれた庶民文化ばかりなのです。

一方、官的な力が強く働いている分野はどうかといえば、こちらは一様にダメダメです。規制のためにガラパゴス化してしまったと言われる携帯電話分野におけるプレゼンスはゼロに等しく、経済政策は世界に反面教師を提供するばかり。そして日本エスタブリッシュメント層の権化たる現首相に至っては、彼から学歴と生まれを取ったら何も残りません。

日本には2つあるのです。モンスターな日本と、その背中に乗り、操縦士をきどる虚弱体質の日本の。


まぁそんなもんでしょ 日本って


要は「日本の普通は凄い」一方で、エスタブリッシュメントは「凄い普通」におんぶにだっこであることに気が付いてない、ってことなんだろう。


参考:
彼を知りたがり、己を知らず(当ブログ記事)
日本型組織が崩壊するとき(当ブログ記事)
ベルギー人の意見(当ブログ記事)
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2009年07月14日

母国語で科学を学べる幸福

英語オンチは日本の勲章(Meine Sache)

ノーベル賞科学者を何人も輩出し、自他共に認める科学技術の最先端の国・日本。それでいて日本人は英語が下手、或いは苦手な人が多いというのは世界的にも珍しいという。

何故珍しいかというと、英語を母国語に持たない国では英語を使えないと科学を学べない現実があるから。そして母国語で科学を学べる数少ない例外が日本なのである。

(エントリより)
今年の春にカンボジアとベトナムを訪れ、プノンペンからホーチミン・シティまでバスで移動したとき、隣に座るカンボジア人起業家とあれこれ世間話をして暇を潰しました。

3台の携帯ガジェットを持ち歩き、移動中も頻繁にチャットしていた彼は、とにかくテクノロジー好きで、「なんで日本の電機メーカーの携帯は見ないの?」などと日本人には耳の痛い質問をしてきます。

彼はケーブルテレビでBBCとかCNNを日頃から見ているそうで、小渕首相以降の日本の首相を全部言えるほどに日本の事情にも通じているのですが、「日本の首相が英語喋ってるの見たことないんだけど、日本の首相は英語できないの?」というところから英語の話になりました。

そこで彼が心底不思議そうに聞いてきたのが、「日本人は英語を使えないのにどうやって科学を学んでるの?」でした。

クメール語には科学の基礎的語彙がなく、旧宗主国のフランス語か英語を使えないと科学を学ぶことは不可能で、そういう彼からすると、英語ベタなのに先進技術に長けた日本は謎なのです。

それを可能にしたのは、言うまでもなく150年前の先人たちのおかげです。ありとあらゆる西欧産概念を漢字に置き換え、日本語で科学を語れる環境を作ったのです。

もし彼らの努力がなければ、長く西欧に支配された多くの国々同様、日本は一部のインテリと学のない大衆とに知的分断され、後の発展はあり得なかったはずです。

その弊害で、日本人は外国語オンチになりました。エリートでも外国語オンチ、外国語オンチでもエリートになれるという国は、世界を見回してもごく少数です。しかしそれで得られた利益と比べれば、すばらしいトレードオフです。

外国語オンチは、優れた独自の文化を持つことの勲章なのです。


参考:
和製漢語(当ブログ記事)
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2009年07月11日

ホテルの妖精

今年も日本人は上客(丁寧語とか、礼儀正しく書いてみる日記2)

世界最大級のインターネット旅行会社が世界各国のホテル関係者に行った調査によると、宿泊客として最も評価が高いのは日本人だったとのこと。礼儀正しく清潔で静か、苦情や不満が少ないというのは日本人らしい特徴だが、こういう点から恐れられてもいるという。

(エントリより)
646 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/07/10(金) 10:16:12 ID:mVmQ+FvRO
日本人はひっそりと怖い顧客だからな
その場ではなんも言わんが帰ってから口コミで悪評が拡がりまくり
結果、日本人は全く来なくなる訳で

そうなると客層を落として特亜に対応しないとならなくなる
海外で日本人観光客がツアー以外で自発的かつ、
大量に集まる店は値段はともかくそれなりにマシな店だわな

んな訳で、こないだのイタリア食堂閉鎖は市長の判断が白眉だぁね
しかし、日本人が利用し尽くした後は特亜が荒らしてぐっちゃんぐっちゃんになるのもいつもの話


385 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2009/07/10(金) 12:16:20 ID:szYwZ/f80

【一寸】仕事スレ 第131休憩所【一服】
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/korea/1243643769/428

428 :マンセー名無しさん :sage :2009/06/15(月) 17:09:51 ID:KltRSesU
サービスの目安みたいになってるらしいしなあ>日本人


ホテル業界ではサービスの質が悪くなるとパッと消える事からブラウニーとか呼ばれてるとか何とかwww

438 :マンセー名無しさん :sage :2009/06/15(月) 21:14:14 ID:lx6GIgLz
ブラウニーは家のメンテナンスから靴の手入れまでやってくれる妖精さん。
お礼としてお皿一杯分のミルクを用意しておけばたたりとかも無し。
だけど、その御礼を忘れると一気に引き上げるので家が荒廃するw


日本人はホテル業界の妖精かよ(笑)


…そういえば自分も、昨年泊まったロンドンの宿のサイテー振りを、その場では文句は言わず、帰国してから会社の皆に言いふらしてたっけ(汗)
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2009年07月10日

相互信頼社会

世界に誇れる日本の相互信頼社会(日経BP/日下公人の「現実主義に目覚めよ、日本」)

日本の相互信頼社会について。

(記事より)
 相互信頼を考えるとき、日本人はまず自分から先に相手を信じる。相手はそれを恩に着て、だんだんと同じ想いになるだろう。日本人は「誠」を尽くし、自発性で結ばれていくことに美を感じる。そんな、日本人が考える相互信頼は世界最高である。

 欧米人はそこまで到達していないから、まず契約をする。契約の内容から外れたら、相手に罰を与える。罰があるから契約を守る。日本人からすれば、そういうのは程度が低い仲間である。

<略>

 日本人は世界とも相互信頼社会を築こうとしているが、世界のほうがまだ未熟で野蛮である。日本人だけがあまりにも気高く、あまりにも美しくなってしまっている。世界はまだまだ略奪主義を根に持った個人主義で、その個人主義の上に相互主義を立てている。相互主義と聞いて、日本人は麗しく思うかもしれないが、世界ではギブ・アンド・テークとか現金決済のことである。
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2009年06月25日

金を貰わない高価なサービス

日本だからね、ここは。(ぐっちーさんの金持ちまっしぐら)

株主総会が集中する中(笑)、外国人投資家と企業訪問をしているぐっちーさん。外国人投資家に映った日本企業の姿は?

(エントリより)
所で、彼らは世界中の製造業を見て回っているのですが、とにかく関心しているのが工場で働いているそのラインの人たちの効率の良さと真面目さ。当日欠勤率が3%以下と聞いてのけぞっていた(ほとんどゼロというところもある)けど、日本人的には普通だろと思いますけど、世界標準ではそうでもない、ということですね。

なるほど。 それから、おそらくプリウスのような複雑かつ新しい仕組みの車は日本にしか作れないだろう、と彼らは考えているのだそうです。

というよりプリウスが日本製じゃなかったらあんなに売れなかった筈だ、というんですね。日本製だから大丈夫だろ、ってことでアメリカでどんどん売れた、と断言してました。この信用力は宝ですな。

さらに、最近評判の悪い百貨店ですが、丁寧な応対と洗練した接客、きれいなパッケージング技術(海外ではだいたい別料金)で感激していましたね。 昔の三越の話(売り場で売り子がだべっていたらクビになったんだよ)という話をしたら、絶句してました。

さすがに今の子達にそれは要求できないんですけどね、日本の接客はすごい、といういい見本になります。一人はIPod 聞きながら接客するやつがいない、と感激してましたけど、感激するところが間違ってる(笑)。

ということで、日本は遅れてる、とかもうだめだ、とかなんとかいうんだけど、こういう話に限っていうと日本標準>世界標準 ということです。

アエラセミナーではしゃべらなかたんですが、こういう日本で普通にあるサービスは世界的には別料金、つまりGDPにカウントされるんですよ。こういうものが金額にカウントされない国で一人あたりGDPが低いからだめだ、とか言うのは基本的に間違ってるんじゃないか、と彼らは言ってました。アグリーですね。


「日本のサービス業は全くダメだ」と言われる一方で、日本のサービスを直に触れた外国人からは絶賛されるという話は良く聞く。そのギャップはどこにあるのか不思議に思っていたのだが、上記のような理由が一端にありそうだ。
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2009年06月12日

変化に適応した種が生き残る

環境規制と人口停滞で豊かになった国の話。(大日本セキュリティ総合研究所)

「少子高齢化で日本は本当に希望はないのか?」というテーマで考察するシリーズ。江戸時代後期の人口停滞期を例にとり、それが正しいか考察する。

(エントリより)
少子高齢化・GDP減少時代には希望が無いのか?という疑問から始まったシリーズ・エントリなのですが、何冊か本を読んできた印象だと、「心の持ちよう」としか言いようがないですね。ただ、「このまま少子高齢化が進んでいくと、日本人は絶滅する」みたいな発想は馬鹿馬鹿しいですね。いずれにせよ、社会変革には混乱が伴うし、様々なマイナス事象が発生するのです。ただ、それを切り抜ければ、新しい社会が開ける。それだけなのです。

日本は過去に何度が人口の減少期や停滞期を経験しています。で、一番最近の人口停滞期は18世紀初頭から19世紀後半までの江戸時代です。その要因として、「環境問題」による新田開発ストップが言われています。

<略>

では、環境規制が行われた江戸期の日本はどうなったか?答えはご存知でしょうが、江戸時代が始まって60年で「山川掟」で新田開発が規制されても、その後200年も江戸時代は続いたわけです。新田開発ができなければ、ムラが拡大する事もないので、人口が抑制気味になる。(ただ、新田開発自体は、幕府や藩による景気対策的な意味で継続されるが、当初の乱開発から見るとかなりセーブされたものとなった。)で、田畑の量的拡大が望めなくなった農民は、限られた面積で生産量を引き上げるしかない。となると、工夫をするしかない。長時間畑を耕し、いかに収穫量を上げるかに農民が心血を注ぐようになった。結果、生産性があがった。(今風に言えば、一人当たりGDPが伸びた。)このプロセスが、後の日本人の勤勉さにつながり、「勤勉革命」を起こしたという学者さんもいるそうな。年貢を納める手段である米以外の商品作物(木綿・菜種)も生産し、農村に貨幣経済が流れ込んだ。要するに食料の自家消費以外に金銭的余裕ができ、エンゲル係数が下がった。そうなると娯楽や文化に金が使われるようになる。そういう金銭的余裕に支えられた文化が、ジャポニズムとして世界の芸術に大きな影響を与える事になる。


勿論、江戸時代のやり方をそのまま適応すればよいというわけではなく、人口停滞期であっても、やりようによっては豊かな社会を作ることは可能。つまりは三橋貴明氏が良く使う「変化に適応した種が生き残る」ということ。
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2009年06月10日

返事

世界中が日本の返事を待っている - 書評 - アニメ文化外交(404 Blog Not Found)

小飼弾氏による『アニメ文化外交』(櫻井孝昌/筑摩書房)の書評。

(エントリより)
本書「アニメ文化外交」は、もはや日本のアニメが、「国内の好事家のためのサブカルチャー」として扱うには、世界にとってあまりに大きな存在となっている事実を、あまりに多い実例とともに紹介した一冊。

<略>

そう。今や日本のアニメは、世界中で生で観られているのだ。エンコードのタイムラグがあるので「半生」ではあるが、かつての状況と比べたら「ヴァーチャル生」といってさしつかえないだろう。

こういう世界のアニメファンたちに、日本はどう答えてきたか。

何も答えていないに等しい。

これは、実に irresponsible なことではないだろうか。

あえて「無責任」ではなく "irresponsible" という言葉を使った。responsibilityという言葉は「責任」と訳されるが、原義は「返答すること」である。日本の関係者は、悲しいほど海外に返答していないのだ。

その理由は、佐々木さんが指摘した通りであろう。

個人の狂気を見い出すフィルタリングシステム:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan

ここに来て急にニコニコ動画やアニメのようなサブカルチャーが「日本の誇るコンテンツで海外に輸出しなければ」と言われて変に気恥ずかしい思いになってしまうのは、そういう歴史的背景がある。しょせんサブカルなんだから、気持ち悪いからそっちから歩み寄って来ないでよ……というわけだ。


しかし、アニメに限らず文化というのは、by whom という点では制作者のものであるが、for whom という点では支持者のものである。そして世界のどんな文化においても、支持者に返事をしないのは失礼なことだとされている。日本の文化はその点が人一倍厳しいのではなかったか。
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2009年06月05日

和製漢語

日本語の実力その2】日本語なしには成り立たない現代中国語(Suzacu Late Show)

文明開化によって欧米の知識が日本に流入した明治期、多くの欧米の言葉・概念が日本語(和製漢語)に翻訳されたことは知られているが、それらが中国に逆輸入され、現代中国の言葉の多くが実はこの時の和製漢語がベースになっていることは、余り知られていない。

(エントリより)
漢字の特徴の一つとして高い造語能力があげられる。ところが歴史を見てみると漢字の造語能力を存分に活用した事例は意外に少ない。伝統的中国語(漢文)においては漢字一文字で一つの概念や事柄を表すのが普通で、二文字以上の熟語は実はそれほど多くない。そのため中国では思想活動の活発だった春秋戦国時代(紀元前770−前221年)と仏教用語を翻訳するときに二文字以上の新語を多く造りだした程度である。漢字の高い造語能力は近代に至るまでかなり低レベルでしか活用されてこなかった。

ベトナムや韓国はもっぱら中国式の漢文を忠実に受け入れてその枠の外に出ることはほとんどなかった。韓国独自の造語もあることはあるのだがその数は少ない。

日本はまったくの例外である。漢字の伝播以来、日本人は千年以上に渡って漢字の造語能力を活用して多数の二文字以上からなる和製漢語を造り出してきた。中国語が母語でないことがむしろ幸いしたのである。

この千年に及ぶ基礎訓練があったおかげで、日本は西洋起源の近代的な語彙(科学・哲学・技術・思想・社会・軍事・経済等すべての分野)に対応する新語を造り出す困難な仕事に対応することができた。すでに江戸時代から医学を筆頭として各分野の基本用語や高度な概念用語が創出されており、明治時代にはさらに加速した。

こうして日本で生まれた和製漢語の一部はその後中国に文化輸出され、現代中国語の中で最も使用頻度の高い語彙群の一つを形成している。ほとんどすべての中国人はこれらの言葉の起源が実は日本であることを全く意識せずに使用しており、指摘されるとびっくりするのが普通である。
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2009年05月30日

「創造的な」作品

イエスとブッダが戦隊を組む漫画が海外オタクにバカ受け(Suzacu Late Show)

現代の日本で共同生活を送るブッダとイエスを描くギャグ漫画『聖おにいさん』(中村光/雑誌モーニング・ツー)。宗教的タブーが少ない日本ならではの設定だが、更に悪乗りして、住んでいる立川が危機に陥ると変身して悪と戦う『最聖☆戦隊ホーリーメン〜逆襲のマーラ〜』なるスピンアウト漫画まで作られた。

これを見た海外の反応。

(エントリより)
King of Hentai Gods
ぎゃはは! また日本から”創造的な”作品がきた XD

"KIRA SHOCK"!! (Sissy Kenshiro)
ブッダ「イエス、合体だ!」
イエス「ラジャー、同志よ行くぞ!」
両者「平和と正義と愛と友情のために、合体!!」(グレンラガンスタイル)

ThatGuyWithTheBalls
素晴らしい! このマンガ面白そう…

bmewofforcena
イエスなら十字架と釘を使った大工技をいつでも発動できる
ハンマー地獄! ハンマー天国!

Leonodra
ホーリー・モエモエ・キュン

Meido_Guy
行けイエス! ヤツラにクリスチャン・ハイパー・キックをお見舞いしろ!! XD

metatron
こいつはすげえぇ!!!
日本大好きだ!!!

Aldwin30
オレたち全員のためのマンガだ!!!

Vegio
聖おにいさんは俺が今まで読んだ中で間違いなく最高のマンガだ
あまりにバカげているので笑いをこらえることができなかった。
特に、イエスが着てたあのTシャツに書かれていた「父と私と精霊」の文字…
ギャハハハハハハハハハ 腹が痛てぇ 父と子と聖霊じゃん

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2009年05月13日

善意だけでは解決しない

【2030年】第2部 ふるさとはありますか(4)棚田に咲く未来の桜 「耕す人が出る日を信じて…」(産経iza!)

町おこしの一環として棚田オーナー制度を立ち上げた山形県山辺町大蕨地区。しかしその取り組みは5年で頓挫した。

(記事より)
 そもそもなぜ、そうした不便な場所に棚田は生まれたのか。学者や農業関係者らでつくる「棚田学会」によれば、その多くは600年以上前の室町時代以降に造られたとされるが、わが国の水田面積に占める割合は1割にも満たず、決して米作りに適した土地ではない。むしろ収穫高は平地の半分以下ということもあるという。

 それでも山間部の農民たちが開田に力を注いだのは、傾斜地ではヒエやアワしか栽培できず、米を作るための選択肢が他になかったからだ。スキやクワしかない時代に大量の土を起こして段差を築く労力は、平地とは比べものにならない。斜面の土は雑草も生えやすく、上層と深層の土を混ぜ合わせる作業も必要だった。最上部には用水路やため池造りも欠かせず、世代をまたいで数十年以上かけて開かれた棚田も珍しくないという。

 棚田学会会長の中島峰広・早稲田大学名誉教授(75)は「そうまでしても農民はお米を作りたかった。お米を食べたかったんです。景観が美しいとか、懐かしい光景というだけじゃない。棚田はわが国の農民労働の記念碑なんです」

<略>

 大蕨地区を何度も訪れている中島教授は「地域全体での取り組みが弱いようにも思った」と話し、オーナー制度のあり方についてこう指摘した。「地域の善意やボランティアに頼るだけでは長続きせず、オーナー制度自体を事業化することも必要かもしれない。『おもてなし』だけで、農村が抱えるすべての問題が解決するとは、地元の人たちだって本当は思っていなかったはずです」


参考:
寂れる山間部(当ブログ記事)
posted by かせっち at 21:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月10日

「逆・姥捨て」山方式

日本の地方都市再生は「逆・姥捨て山」方式しかない。(大日本セキュリティ総合研究所)

夕張と同じ境遇に陥ったアメリカ・オハイオ州ヤングスタウン。そこが取り組んでいる「街のダウンサイジング」や日本のコンパクトシティ構想について。

(エントリより)
さて、夕張の話でも触れたのですが、日本では、「自治体危機≒極端に進んだ少子高齢化」となっているケースが多いのです。限界に達している地方自治体の財務体質では、高齢者に満遍なく行政サービスを行う事がとても大きな負担になっている。ここで、ヤングスタウンの例やコンパクトシティの発想で考えると、高齢者を都市中心部に移転させる事が重要になってくるのです。「姥捨て山伝説」の逆で、お年寄りを都市の中心にどんどん呼び込むわけです。都市の中心には、商店街の集積等が残っているので、お年寄りが車を使わなくても買い物に行ける。逆に適度な外出・散歩は寝たきりの防止にもなる。高齢者を入居させるマンション建設等には助成を出しても良い。また、介護サービスが必要なお年よりも中心地に集中していた方がやりやすいし、緊急の対応もしやすい。前回のエントリ、クリチバの例ではありませんが、お年寄りが生活できる最小単位「住居〜商店街〜病院」を「高齢者生活ゾーン」としてゾーニングし、緊急・介護関係以外の自動車を排除して、より安全に生活できるようにする....ような事も可能だと思います。実際、札幌なんかでは、除雪が大変という事もあり、リタイアした老夫婦が郊外に建てたマイホームを売り、中心地のマンションに移ってくるケースも少なくありません。また、高齢者の増えた中心地のマンションでは、車を手放す人が増えた為、駐車場がスカスカになっているそうです。高齢者の「中心地(都心)回帰」+「車離れ」は、うまくやれば行政サービス負担を軽減する追い風になるのですから、これを活かさない手は無いはずです。


参考:
寂れる山間部(当ブログ記事)
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2009年04月30日

外から見る

日本に留まりたかったら、一度は留学しておくべき(404 Blog Not Found)

(エントリより)
希望について - 池田信夫 blog

この意味で今の日本が不幸なのは、富が失われていることより希望が失われていることだろう。終戦直後の日本では、若者は焼け跡に設計図を描いて新しい事業を興すことができたが、今では都市はコンクリートの建物で固められ、職場はノンワーキング・リッチに占拠されている。仕事がいやになっても、転職すると生涯収入は5000万円以上減る。起業してもうかると、東京地検特捜部がやってくる。政府はバラマキと企業救済で、社会主義に舵を切った。それが偽りの希望だったことは、歴史が証明しているにもかかわらず。


社会主義については別entryにいずれ書くとして、なぜ日本に希望がない--ようにあなたの目に映る--かといえば、逆説的であるがあなたが日本というものに希望を期待しているからなのだ。そもそも希望というのは国だの企業だのに求めるものではない。なぜ日本に希望がないか。自分ではなく日本に希望している人が多すぎるからだ。「日本オワタ\(^o^)/」といいつつ、日本がハジマるのをいつまでも待っているあなたに希望が訪れることは、ない。

そのことに気がつくのに、日本に希望しようがないほど日本から離れるほど効果的な方法はない。そして、離れてしまえば日本の悪いところだけではなく良いところもいやでも気がつく。塩野七生も言う通り、愛国者を作る一番簡単な方法は、そいつから国をいったん取り上げることなのだから。

で、最初に戻る。「海外を知らないと日本に留まる資格もない」になりつつあるということは、日本という「怪物」が弱っていることの裏返しでもある。もはや日本を支える人材を、日本国内だけで育てることが無理なのだ。そしてそれは日本だけの話ではない。唯一の超大国ですらそうなのだ。ObamaもMcCainも、米国外から米国を見てきた経験の持ち主である。一応我が国の首相殿もそうなのであるが....

日本が立ち直れない?あなたが開き直ればいい。そうやって十分な人が開き直ってはじめて、この国は立ち直るのではないか。


自分の長期の海外経験となると、会社の出張で一ヶ月ほどアメリカに滞在した程度。その間はモーテルに寝泊りし、片言英語で悪戦苦闘したが、現地駐在員に何かと世話になったこともあって「まぁ何とかやっていけそうだな」とは思った。

それでも「やっぱり日本の方がいいなぁ…」と思う面はあった。彼の地もそこそこ「ジャパナイズ」され、日本の文物を目にすることがあったものの、それは「彼の地で解釈された日本」であって「日本そのもの」とはやっぱり違っていたりする。

まぁ、日本語が通じないことが最大のストレスであったことは確かだが(苦笑)、短期間とはいえ外に出たことで、日本の良いところも悪いところもおぼろげながら見えてきたのは確かで、今のように日本そのものを考える切欠になったかもしれない。


参考:
日本びいきの外人を見るとなんか和むスレのまとめ
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2009年03月14日

彼を知りたがり、己を知らず

国家のモデル 最終回(新世紀のビッグブラザーへ blog)

(エントリより)
「日本は金融立国、アイスランドを見習え!」
 今にして思えば、↑この手の主張がどれほど空虚で、バカバカしいものか誰もが理解していると思いますが、当時はこの論調に心奪われる人が多かったのも、また事実なのです。
 本来は、それぞれの国に住む人々の民族、言語、宗教、文化、歴史などが異なる以上、「他国を見習う」ことなどできるはずがないのです。世界の中でも特に独自性が強い日本にとって、他国の国家のモデルなど、精々、参考になる程度でしょう。
 例えば、日本には「自動販売機」とうビジネス・モデルがありますが、このモデルを中国で適用することはできません。一晩で破壊され、中のお金を盗まれるのがオチだからです。
 日本で「自動販売機」というモデルが成り立つのは、この国が世界屈指の犯罪小国であるためで、同じ条件を満たす国は世界には数えるほどしかないのです。


麻生首相の『とてつもない日本』が最近バカ売れしているそうだが、以前のエントリで取り上げた通り「日本は普通に凄い」というのがこの本の趣旨である。

しかし「日本は普通に凄い」ことを一番知らないのは日本人自身でもある。世界的に見て凄い事が日本人にとっては当たり前のことなので、凄さの自覚がないのだ。

そして日本の凄さを支えているのが政府の強力な指導というよりは寧ろ、市井の人間の日々の営みであることは、外国人の日本を賞賛する言葉の端々に伺える


「日本は普通に凄い」のであると同時に

「日本の普通は凄い」のである



他人の芝生は青く見えるものだが、自分の芝生を見極めてから考えよう。


参考:
とてつもない日本(当ブログ記事)
【文化】ジャポニスム【世界の中の日本】スレのまとめ
日本びいきの外人を見るとなんか和むスレのまとめ
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2009年01月19日

日本の強み

「口先だけではない」と口先で言ってみた(新世紀のビッグブラザーへ blog)

(エントリより)
 現在、今週末締め切り分の執筆を続けており、すでに最終章に入っているのですが、以前から何度かご紹介しているSWOT分析で、日本経済を分析しています。日本経済を取り巻く環境について、S(強み)、W(弱み)、O(機会)、T(脅威)の四象限に分けて整理するわけですが、ここで吃驚!
 強みに分類した環境は、一度もマスメディアで見たことがなく、弱みに分類した環境は、ほぼ毎日見かけていることに気がついたのです。普通ならば、ここで「マスゴミ・・・orz」となるところなのでしょうが、あまりにも偏っていたので、これはある種の強い「需要」があると感じました。


「日本の強みを報じるメディアがない」と喝破する三橋氏だが、今日の日経のWebサイトでは「日本の強み」を述べるコラムがあった(外部の人間のコラムではあるが…)

恵まれた国ニッポン、今こそリスクをとって飛躍しよう(日経・夏野剛のネオ・ジャパネスク論)

(記事より)
 まず日本。GDP515兆円。依然として世界第2位の経済大国。国債および政府借り入れなどの国の借金は830兆円に上るものの、個人金融資産が1500兆円(株価の下落で10%くらい減っているとしても1350兆円)あり、乱暴だけれども差し引きすればおカネはたくさん(500兆円以上)ある。

 さらには高い教育レベル。OECD(経済協力開発機構)のPISA(学習到達度調査)では、さすがに2000年よりも大きく順位を落としているものの、2006年、科学的リテラシーで6位(2000年は2位)、読解力で15位(同8位)、数学的リテラシーで10位(同1位)で、まだまだ優位性はある。人口2000万人以下の小国を除くと(小国では政策効果で高く出やすい)、読解力以外(トップは韓国)はトップである。

 つまりマクロのレベルでは、カネがあってヒトもいる。

 産業。製造業の潜在技術力は依然として高い。自動車やエレクトロニクスなどは無論のこと、最終製品でなくとも高品質な製品のパーツの最大供給国は日本である。

 サービスの品質も高い。高級なホテルやレストランでなくとも、不快になるような扱いを受けないのは日本ぐらいではないか。小売りでもだまされることを心配せず、性善説で買い物できる。

 農産物のクオリティーも高い。20年くらい前に輸入米の是非で大騒ぎしたことがあったが、あれ以来、国内米の流通も自由化され、各産地のブランド米が高いにもかかわらず売れている。

 コンテンツも豊富。映画こそハリウッドに遠く及ばないが、アニメや漫画となると日本の独壇場。さらに最近は日本のアーティストやドラマがアジアで大きな支持を得ている。

 国土。肥沃な農地に、豊穣の海。国土の70%は森林に占められ、水資源も豊富。温暖化の影響か、異常気象が多いが、依然として美しい四季を味わえる。

 そしてITインフラ。携帯電話が世界一の3Gネットワーク普及率を誇るだけでなく、インターネット普及率もスウェーデンに次いで世界2位という充実した環境が整っている。実際、インターネット上のホームページの数は米国に次いで世界2位というし、光回線を筆頭とするブロードバンドの普及率も高い。世界のトップレベルのインターネット大国であることは間違いない。

 日本は、こんな恵まれた環境でなぜ世界でのプレゼンスが低いのか。こんな恵まれた環境で何を不安視するのか。世界の景気が悪くとも、今こそカネもありヒトもいる日本がリードするチャンスではないのか。今こそ世界をリードし、世界経済に貢献する好機ではないか。
posted by かせっち at 22:09| Comment(7) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月17日

日本型組織が崩壊するとき

日本型組織を一言で表すなら「職人集団」。末端の構成員ですら職人であり、また各人は職人であることが求められ、そして新人は職人になるように教育される。

彼ら職人の能力は高いため、組織の運営システムに問題があっても職人達の能力がそれをカバーしてしまう。これは日本型組織の強みであると同時に弱点でもある。

つまり職人の能力に依存することでシステムの問題を放置してしまうのである。そして職人の能力の劣化や人数の減少でカバーできなくなったとき、システムの問題点が顕在化する。

この時にシステムの改善に向かえばまだ見込みがある。しかしそれまで職人の能力を力の源泉としてきた以上、非難の矛先はシステムの改善ではなく職人の能力不足に向かう。

かくして職人に対して過剰な精神論が横行し、職人をサポートするはずのシステムの改善は図られず、現場の職人はただ疲弊していく…これが日本型組織の崩壊パターンである。

この例は旧日本軍に幾つか見られる。

例えば大敗北を喫したインパール作戦では、前線から兵站強化が幾度も要請されたにも関わらず、大本営で指揮していた牟田口廉也中将は精神論でねじ伏せたと言われている。

その牟田口廉也中将に類する輩は、現代の日本でも見受けられる。


今日のDQN(信友浩一 九州大学大学院医学研究院医療システム学分野教授)(或る浪人の手記)

(エントリより)
「医師は応召義務を果たしていない」、ネットで物議

 「医師は応召義務を果たしていない」「医師は被害者意識を捨てよ」―。昨年12月、NPO法人(特定非営利活動法人)「日本医療政策機構」のホームページに掲載された信友浩一氏(九大教授)の緊急提言がインターネット上の掲示板や医師ブログなどで物議を醸している。信友氏の「医師は、医療業務を独占していながら、応召義務を果たしていない。これが医療のもっとも本質的な問題だ」との主張に対し、ネットの掲示板には、「医療政策を提言する立場の人間が精神論を語ることに絶望する」などの書き込みが殺到している。(新井裕充)

<略>



 うわー、久々にキタワ、コレ。

 自己責任厨が権力や発言力を持ったりすると、こうなるという見本みたいなやっちゃな。

 自分達は監督で、一般の下々の医者はラガーマンで、「辛かろうが苦しかろうが、チミたちは血反吐吐きながらのたうち回って頑張り給へ。私らは見守ってるからw」という、とても人間の言葉とは思えない提言を、堂々としておられる。

<略>

 この腐れ自己責任厨のDQNを、「牟田口中将」と呼んでいる勤務医さんのブログがあるんだけど、全く、これ以上無い程にピッタリの呼び名ですな。

■牟田口中将あらわる 「医師は被害者意識を捨てよ」 信友 浩一 九州大学大学院医学研究院医療システム学分野教授 勤務医 開業つれづれ日記・2


以前紹介した王監督の言葉を再掲する。

「プロ魂(ぐっちーさんの金持ちまっしぐら)」より)
人間だからミスをする、間違えて当たり前だ、とおっしゃいますよね。でもプロなんです、僕たちは。プロっていうのはミスをしちゃーいけない。100回やったら100回、1000回やたら1000回全部成功させるのがプロなんです。それを目指さなきゃ−いけない。いいよ、仕方ない、気にするなよ、大丈夫だ、とうのはほかの人、お客さんとかがいう言葉でしてね、自分で言ってはいけないんです。


「プロはミスしてはいけない」という王監督の言葉は職人本人が持つ覚悟の問題である。職人はこのプライドが持つが故に、決して自分から弱音は吐かず無理難題も受け入れる。

しかし現実には職人も人間であり、能力も有限でミスも犯す。有限の能力の職人をフォローし、全体としてミスを減らすようにするのがシステムの存在意義であるはずなのだ。

それなのにシステムの改善をなおざりにしたまま、「プロはミスをしてはいけない」と他人が過剰に言い募るのは、物言わぬ職人の覚悟に付け込んだ精神論に過ぎないのである。


個人の能力に過剰に頼る組織は脆いものである

精神論が横行する組織は組織自体に問題がある
posted by かせっち at 22:11| Comment(6) | TrackBack(5) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月12日

多文化共生?他文化強制?

ホントは怖い「多文化共生」(産経・正論)

(エントリより)
 これに対して、総務省の「多文化共生推進プログラム」の方は、きわめて狙いが明確です。要するにこれは、近年の外国人定住者の増加という現象にともなって出てきた話だというのです。このプログラム提言の立役者、山脇啓造先生は、多文化共生の発想は、外国人をいかにもてなすかという従来の「国際交流」とは違うのだと言って、こう説明しています−「今求められているのは、外国人を住民と認める視点であり」「同じ地域の構成員として社会参加を促す仕組みづくりである」。

<略>

今後外国人の定住化がすすめば「『日本人』と『外国人』という二分法的な枠組み」それ自体を見直す必要が出てくるだろうという。その上で、「国籍や民族などの異なる人々が」「互いの文化的違いを認めあい、対等な関係を築こうとしながら、共に生きていくこと」が多文化共生だと山脇先生はおっしゃるのです。

 つまり、これから外国人定住者がふえつづければ、やがて日本文化は日本列島に存在する多くの文化の一つにすぎなくなる。そしてそれでよい、というのが「多文化共生」の考えだということになります。なんともどうも、怖ろしい話です。


この手の多文化共生の考え方に欠落してるのは

幾らこちらが相手の文化を尊重しようとも

相手がこちらの文化を尊重するとは限らないことだ



自分は日本文化の根源は「他所様にご迷惑をお掛けしないこと」にあると思っている。これは裏を返せば「他所様にご迷惑を掛けない」限り、何しようとも構わないことを意味する。だから別の文化を持つ外国人が「他所様にご迷惑をお掛けしない」原則を守る限り受け入れて構わないし、寧ろそのことが日本文化の新たな側面を作り出すだろうと考えている。

だが問題は、外国人が「他所様にご迷惑をお掛けする」場合である。

外国人はほとんどの場合「他所様にご迷惑を掛けても自らを主張する」文化で育っている。それ故「他所様にご迷惑をお掛けしないこと」ことに反発を覚えるだろう。また日本の側も、かつてならば「他所様にご迷惑をお掛けする」人間には排除の論理が発動したが、現在の日本でそれをやると人権侵害の謗りは免れないだろう。

かくして現状のまま「多文化共生」を謳いあげたところで、日本の原則を攻撃する外国人と、日本の原則を守ることが憚られる日本人の間で起きる文化的摩擦の行き着く果ては、日本側の一方的譲歩という形にしかなり得ず、それは「他文化強制」をもたらすだけだと、危惧せざるを得ないのである。
posted by かせっち at 20:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月06日

日本人のこころ

本当に守らなければならないもの(月見櫓)

(エントリより)
血統も蔑ろにすべきではないかもしれませんが、私たち日本人が持つべきもの、最も失ってはならないものは、「日本人のこころ」ではないかと思います。それが具体的にどういうものかということは上手く説明出来ませんが、日本人なら誰でも「日本人のこころ」というものを漠然とでも理解出来ると思うので、くどくどと説明の必要はありますまい。

ただ「譲り合う」とか「他人を慮る」という一歩引いたものや、優しく口当たりの良いものだけが「日本人のこころ」ではないと思います。「日本人のこころ」を持たないものを認めない、許さないという、ある種の「頑なさ」も、「日本人のこころ」を構築するひとつではないかと思います。朝鮮人はよくこれを「息苦しい」とか「気難しい」と言っています。

たとえ「生粋の日本人」であっても、朝鮮人のような振る舞いをして全く憚らぬ者=「日本人のこころ」を持たざる者を日本人とは思いたくありませんし、逆に朝鮮人の血統を持っていても、日本国籍を持ち日本人であろうとする人ならば、私は日本人と思います。

生まれながらに日本人であることは、確かに僥倖ではありますが、「日本人であること」は朝鮮人が「息苦しい」とか「気難しい」などと言うように、意外に楽なことではありません。しかし易きに流されて日本人が「日本のこころ」を忘れ、「日本のこころ」を失った時こそ、日本人が日本人でなくなり、日本が日本でなくなる時ではないでしょうか。

「日本人であること」について、自分を含めた日本人に対し常に問い続けていくことが、日本人には必要ではないかと思います。


「他所様にご迷惑をお掛けしない」

これが自分が考える「日本人のこころ」



参考:
日本という「OS」(当ブログ記事)
posted by かせっち at 20:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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