2011年04月25日

強者の贅沢 弱者の命綱

一向に終息の兆し見せない福島第一原発の事故を受け、反原発・脱原発を求める運動も活発化している。しかし実際に日本の原発を全て止めると、東京電力管内に匹敵する5,500万kw(=100万kw×55基)の電力がなくなる現実について、真剣に考察されてるとは言い難い。


この5,500万kwを別の電力で代替するのか

それとも5,500万kwをなかったことにするのか

究極的にはこの二者択一である



「脱・原発」…というわけにはいくまい。(雪斎の随想録)

(エントリより)
 「多少の不都合は甘受しても…、原発依存から脱却すべきだ」と唱える人々もいよう。
 だが、その場合の「多少の不都合」とは、どういう水準なのか。
 たとえば、今まで通勤途中の駅でエレベーターを使っていた人々が、階段を上り下りするようになるのは、「多少の不都合」かもしれない。ついでに、「メタボ対処にもなる…」と。
 だが、雪斎にとっては、それは、「多少の不都合」では済まない。うっかり階段で足をふみはずしたら、数カ月の病院生活は必定、間違えば「あの世」行きである。
 これは、何も個人的な事情を語っているのではない。ある人々にとっては、「多少の不都合」でしかないものが、他の人々にとっては、「途方もない不都合」になるということの事例である。


それでも経済成長が必要な意味(Business Media 誠)

(記事より)
 「経済発展して何の意味があるのか」という問い。「人は本当に経済発展とともに幸せになっているのか?」という問い。「便利なものはなかったけれど、昔の方が幸せだったのではないか」という疑問。

 「これらの疑問や問いは、強者が感じるものなのだ」と気が付きました。階段が難なくのぼれて、公共交通機関しかなくて大混雑している街でも移動に困らない、自律的な体温調整ができる、そういう人だから「ぜいたくでは?」と思うのだと理解したのです。

 そして留学後、ちきりんはクリアに答えられるようになりました。「なぜ経済発展が必要か?」と問われたら、「弱者も生きること、生を楽しむことが可能になるからだ」と。豊かになるとはそういうことなのだと。
posted by かせっち at 21:01| Comment(2) | TrackBack(0) | ブログ&ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月19日

そうか、あいつは敵か

菅直人首相の生まれは山口県 かつての長州である

福島第一原発を抱える福島県 かつての会津である

もはや何も言うまい



「世良周蔵」の再来(雪斎の随想録)

(エントリより)
 ● 東北はまたも「中央」の踏み台か――維新以来の怨念の歴史
 一部を引用する。

 「そうか、あいつは敵か。そうか……」
 福島県出身の友人が、酒を飲んだときに小さく漏らすようにいった。冗談のようでもあり、半ば本気のようでもあった。
 菅直人総理は、選挙区は東京だが、生まれ育ったのは山口県である。高2の時に父親の転勤で東京に転居したとしている。もともと「長州の人」なのである。
 福島県、つまりざっくりいって江戸時代の会津藩は、幕末から維新の転換期、大変な目に遭わされた。長州と薩摩を中核とする官軍は、徳川慶喜の降伏(大政奉還)後も責め手を緩めず、江戸を火の海にはしなかったものの、幕府側に立つ諸藩を「賊軍」と決めつけ倒滅戦に動いた。その最大の犠牲者が会津藩だった。会津の苦難は白虎隊をはじめ多くの書物に記されている。
 もう150年前のことじゃないかというなかれ。やられた側はその時の恨みを忘れない。先祖の苦難は親から子に伝えられ、いや、教えられなくても、自然と意識の下に刻印されるのだ。


 記事に紹介された「奥州の怨念」を雪斎は理屈の上では肯定しない。
 国民の中に「断絶」を作るような議論を雪斎は悦ばない。
 だが、感情の上では、雪斎は、この「奥州の怨念」のことをヴィヴィッドに理解する。


「国壊れて菅があり…」と東京新聞投書欄(国を憂い、われとわが身を甘やかすの記)

東京新聞に投書された、杜甫の漢詩で菅氏を揶揄。

(エントリより)
 国壊菅氏在 津波襲沿岸 呑家壊原発 残存瓦礫山
 宰相好会議 自己避決断 政府船頭多 混乱船上山


 (国壊れて菅があり、津波が沿岸を襲い、家を呑み原発を破壊し、残るはただ瓦礫の山である。宰相は会議を好み、自らは決断を避け、政府は船頭多くして、混乱し船山に上っている)
posted by かせっち at 20:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治(民主党) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月14日

冷静と情熱のあいだ

放射能という“目に見えない恐怖”がもたらすストレスの脅威
市民が知りたい情報を伝えられないメディアの責任(日経ビジネスオンライン)


福島第一原発事故は現在進行形の危機であると同時に、放射線という「目に見えない恐怖」が不安を煽っている。マスメディアもネットメディアも確たる情報が乏しいことも相まって、子供を持つ親にとっては疑心暗鬼に掻きたてられる状態である。

(記事より)
 そして、私たち自身も、今回取り上げたような目に見えない恐怖に不安を抱いている人が、身近にいるかもしれない、という現実を理解し、むやみに自分の考えを押し付けないように気をつけなくてはならない。

 本人だけが恐怖を感じている場合には、それほどまでネガティブな影響を及ぼさないかもしれないが、子供を持つ母親や父親たちにとっては、他人が想像する以上に放射能の問題はデリケートなものであることは、前述したいくつもの調査結果からも明らかである。

 子供を思う気持ち、子供を守りたいと思う感情は、当人にしか分からない。たとえ同じように子供がいる人であっても、子供の状況、健康状態によっても変わってくる。

 「大丈夫だよ」と言われれば、「そんな無責任なこと言うな」と感じ、「気にしすぎだよ」と言われれば、「気にしすぎて何が悪い」と余計に思う。

 「水を買い占める人の気が知れない」と非難されれば、「何を言われたって構わない。子供を守れるのは親しかいない」と反発し、「2時間しか外で遊ばせないなんて子供がかわいそうよ」とたしなめられれば、「後から影響が出る方が、かわいそうでしょ」と逆切れする。

 ついつい放射能についての楽観派は、「たいして気にしなくていいんじゃない」とか、「そんなこと気にしていることの方が、体に悪いよ」と言ってしまいがちだが、そういった何気ない一言が、脅威を感じている人をますます孤立させてしまうことがある。放射能の専門家でない私たちが、目に見えない脅威を和らげることはできないけれど、余計なストレスを作らない努力くらいはできるのではないだろうか。


小休止すらできない夜なのでした(In Deep)

一方で、上記のブログ主は「不安心理が不安なニュースを探させる」と指摘する。

(エントリより)
私は上のトップニュースを見た途端、「ああ、みんな闇ばかりを探している」という事実を知りました。

なぜ、このことだけで「みんなが闇ばかりを追いかけている」と言えるのか。

ランキングの下の日付を見ていただきたいのですが、他のニュースがほとんどその日か前日のニュースなのに対して、この「中国のボトル入り飲料水、飲ませたニワトリが死亡」の日付は 2007年 09月 10日とあります。

4年前のニュースなのです。

ロイターのランキング1位になるには、かなりのアクセスが必要で、多分、誰かがこのニュースを探し出して、いろいろな媒体に貼り付けて、多くの人がクリックしたか、あるいは意図的に集中的なアクセスをした可能性もありますが、どういう理由であれ、「ほとんど何の意味もない4年前の外国のニュースが1位になった」という事実は十分に残念な話で、飲料水パニックの中とはいえ何となく、冷静さの欠如はあったのかなあと思います。

しかし、ロイターはまだ日付があるからいいです。

日付、根拠などが何もないニュースたくさんあるわけで、そういう場合、非常にはっきりしているのは、

・不安な気持ちでニュースを探して、不安な記事にたどりつけばさらに不安になる

という事実のように思います。

ある程度の大人の人たちならば、今までの人生で自分の考え方や価値観といったものがある程度は確立されているでしょうし、非常時には、むしろその「自分」を基準にして考えることのほうが大事に思います。

もし、不安な気持ちが先行しそうな時は、「他は無視する。見ない。聞かない」という方法もあるようにも思います(今の私)。

これは単に心情的な、あるいは心理的な問題ではなく、「非常事態に冷静に行動するためには、普段以上に平静である必要がある」ということは言えるのです。不安だったり怖かったりしていてはダメなんですよ。
posted by かせっち at 20:46| Comment(4) | TrackBack(0) | ブログ&ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月10日

無能な働き者

東日本大震災からひと月が過ぎようとしている。しかし震災被災者への救援は遅々として進まず、福島第一原発事故も収拾の目処が未だ立っていない。

これまで当ブログでは震災が起きてから菅政権を批判することを控えてきた。本来ならば取り上げていたであろう、菅政権の失策も敢えて取り上げてこなかった。

それは、例えその思想信条に賛同できない政権であっても、震災被災者を救援し、原発事故を収拾できるのならば、それはそれでよいと思ってきたからだ。


しかしもういいだろう

ひと月経つ今 敢えて言おう

やはり菅はデネソールである、と!



菅直人氏の機能不全(ステージ風発)

(エントリより)
 東日本大震災からちょうど一ヶ月、4月10日の産経新聞は読み応えがあります。

 大震災特集を改めて展開しているからです。

 なかでも圧巻は第一面の「官邸機能せず」という連載記事です。主見出しは「首相執務室は開かずの間」となっています。

 まあ読んでみてください。

【朝刊 1面】

■【官邸機能せず】(上)首相執務室は開かずの間 「何かあったらお前らのせい」


「君の明らかなる所以の者は、兼聴すればなり。其の暗き所以の者は、偏信すればなり」。(雪斎の随想録)

(エントリより)
 『貞観政要』を読み始める。
 といっても、明治書院から出ている上下二巻で九百ページ、二万円近くという代物である。
 「明君」と「」暗君」の違いは何か。
 「明君」というのは、「様々な人々の意見をちゃんと聴くことのできる君主」である。
 それは、君主自身ぼ明晰さということとと重ならない。
 「暗君」とは、「一方に偏った議論だけを信じ、他を受け付けない君主」である。
 それは、君主の知的能力云々の問題ではない。

 現在の日本の不運は、この『貞観政要』の定義における典型的な「暗君」を宰相にしているということであろう。
 とにかく、この宰相には、「自分の気に入らないこと」を避ける姿勢が目立つ。
 色々な会議を立ち上げ、色々な人々を次から次へと内閣参与に迎えるという姿勢には、「自分の気に入ったことを言ってくれる人々」を探そうという心理が働いているのではないか。
 それを「偏信」というのである。
 震災翌日あたりの段階から、菅直人の政策対応にかみついていたけれども、残念ながら、雪斎の批判は、間違っていなかったようである。『中央公論』最新号をめくったら、「政治災害」という評が目に入った。合点が行った。


ハンス・フォン・ゼークト(Wikipedia)

(記事より)
現在のところゼークトの説であることを示す証拠はないが、広く一般にゼークトの提唱した理論として認知されている。

軍人は4つに分類される。

<略>

無能な働き者。これは処刑するしかない。

理由は働き者ではあるが、無能であるために間違いに気づかず進んで実行していこうとし、さらなる間違いを引き起こすため。


参考:
エクセリオンの息子が逝く(当ブログ記事)
posted by かせっち at 20:20| Comment(0) | TrackBack(3) | 政治(民主党) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月09日

淡々と前に

フランス 「日本人はこの状況でも逃げずに仕事をし、TVではお笑い番組を放送している。明らかに異常」(痛いニュース)

(エントリより)
1 名前:名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/04/09(土) 09:45:32.01 ID:VrKrIhbk0● ?2BP
仏TV「日本人はバラエティー番組見て笑い転げてる場合か?」

東日本大震災直後はモラルある日本を称賛する海外メディアが多かったが、福島第一原発事故以降、彼らからは日本人の反応に疑問の声が上がっている。『ニューヨークタイムズ』紙は、「日本人はどこまで政府や保安院、東京電力の言葉を信用しているのか。座して死を待つかのような日本人の対応はおかしい」という米国人記者の話を掲載。

フランスのテレビ番組では、日本在住フランス人が怒りをぶちまけた。「ニュースでは“何の心配もいらない、大丈夫だ”と繰り返している。 必要なインフォメーションは何もない。バラエティー番組を見て笑い転げている場合か?」

また、日本滞在経験があり、いまはパリに住むフランス人女性はこういう。

「東京は福島からそう遠くないのに、サラリーマンは“まだ大丈夫”という意識で
働き続けている。我慢強いのかもしれないが、仕事は生きるためのものでしょう?
命を落としてまで働こうなんて誰も思わない。放射能の危険にさらされても逃げない
なんて、欧米人の感覚からは信じられません」


地震と原発の違いはあれど、その答えのヒントは以下にあるだろう。

もはや神も大地も怒らない(In Deep)

(エントリより)
ところで、今日の地震の時にテレビをつけた時、 NHK の仙台支局だと思うのですが、放送局内の様子が映されていたのですが、そこで見た人たちの行動。

多分、仙台も震度は6前後はあった中でしょう。

その中で、そのスタジオに映っている人たちがしていたこと・・・。

髪の長いスリムな女性はホワイトボードが倒れないように支えながら冷静に周囲や天井を見ている。

アナウンサーの方でしょうか、黒いスーツを着た女性スタッフは、揺れが収まった瞬間、動じることなく報道の準備を始める。他にも、落ちそうなパソコンを支えるスタッフ、そして、カメラを持ったカメラマンはその様子を揺れながら撮影している。

もはや、そこには「地震に対しての怖れ」など見えないのです。
起きる事象に対して、淡々と対処し、次に進む。

世界のどこを見回しても、震度6の地震の揺れの中でこれをできる人はいません。
本当にいません。

<略>

そして、原因がどうであれ、この「地震」というものに対しての人類の正しい態度としては、上の NHK 仙台局で映っていた人々の態度が 100パーセント正しいわけで、そして、多分、東北の多くの方のとられたであろう態度が 100パーセント正しいと思います。

それは「不安を先行させずに、起きたことに淡々と対処する」という現実的な態度です。

地震が起きて、「ああ、神様、助けてください」と、住民全員で輪になり手を繋ぎ、空と大地に祈りを捧げるというような人間の姿も、世界での歴史の上ではあったかもしれませんが、それは正しい行動とは思えません。

あるいは、ただ叫び嘆き悲しむだけの連続も正しくありません。

それでは、「次の地震に対処できない」からです。

posted by かせっち at 20:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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