2011年01月30日

無関係ではいられない

高みの見物(当ブログ記事)

(エントリより)
「あんたら、日本がTPPを受け入れても自分達は安泰だと思っているから、そんなに持ち上げてるんじゃないのか?

考えてもみろ。もし中韓や東南アジア諸国が

『わが国では日本語教育に力を入れ、日本語が達者な人材を日本のマスコミに採用させたいと考えている。わが国の国民ならば、アナウンサーなら200万、記者なら400万、解説委員なら600万の年収で十分だ。しかし日本のマスコミはわが国の人材を採用しようとしない。これは経済原理に反する明らかな非関税障壁であり、日本はこれを是正しなければならない』

とTPPで主張したら、あんたらはこれを受け入れるのか?

そんな主張はあり得ない?しかし国内の農業関係者が直面している状況はそういうことだろ?」


TPPを能天気に持ち上げるNHKの解説者に自分は以上のように毒づいた。ところがマスメディアもTPPに無関係でいられないらしい。


ただ、日本が繁栄さえすれば(新世紀のビッグブラザーへ)

(エントリより)
 昨日の「頑張れ日本!」のシンポジウムの前に、片桐勇治氏と交わした会話。


三「今回のTPPにおける『サービスの自由化』って、報道サービス、つまりマスコミも入っているんですよね」
片「もちろん、入っています」
三「ということは、WSJやブルームバーグのようなメディアが、日本で、例えば毎日新聞の販売店使って、宅配事業を始めたら・・・」
片「日経新聞なんてあっという間に食われるでしょうね。しかも、WSJにしても、本国でさえ、そんな何百万部もの販売部数を誇っているわけではないんです」
三「例えば、東京圏だけで百万部のシェアが取れるという可能性があるだけで、ものすごいビジネスチャンスということで、雪崩れ込んできますね」
片「あるいは、TPPを利用して日本の新聞やテレビを買っちゃうというのも簡単になりますね。何しろ、マスコミを最初に抑えちゃえば、怖いものなしですから。絶対にやってくると思いますよ」


 とのことです、日本の新聞社、テレビ局の皆さん。

posted by かせっち at 19:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月26日

本当の親孝行

news - 生まれなかった子の歳を数えてみる(404 Blog Not Found)

公的年金の年間支給額が50兆円を超えたという。これを支給を支える現役世代の数で割ると、子供が幼稚園入園から大学卒業までにかかる費用の年間平均に匹敵する。つまり現役世代は年金世代という「子供」をもう一人養育している計算になる。


そりゃ少子化にもなりますわな


(エントリより)
現在公的年金を受給しているみなさんにお伺いしたい。

あなたの老後の安心というのは、あなたの娘や息子の安心を奪ってまで得るべきものなのか、と。

もしかして生まれていたかも知れない、あなたの孫を奪ってまで得るべきものなのか、と。

年金をいくらもらおうが、いつまでもらおうが、我々はいつか死ぬ。

それでも安心して死ねるのだとしたら、その後にも我々の子供が生きているからではないのか?

私としては、子供たちの不安をよそに自らだけ安心して生き続けるより、然るべき時期に安心して死ねる社会を望む。不死ならぬ我らにとって、「親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ」こそめでたき事なのだから。「親生きてることにしとく、子それにすがる。孫生まれぬ」というのは、社会的逆縁幇助でなければ何だというのか。


親を思う子の気持ち(幸か不幸か家族計画)

(エントリより)
524 名前:774号室の住人さん[sage] 投稿日:2006/02/21(火) 09:06:17 ID:XluxjeoQ
連投になるけどスマソ。

あのさ、あんまり関係ない話なんだけどさ。
ウチの親父が言ってたんだ。
「親にしてもらったことに対する感謝は、自分の子供に還元してやりなさい」って。
親が、実家が暖かいって思えたなら、俺らもそういう家庭を作っていかなきゃいけないと思うんだ。
人それぞれかもしれないけど、それが一番の親孝行になるんじゃないかな。


525 名前:774号室の住人さん[sage] 投稿日:2006/02/21(火) 23:02:34 ID:fODwAy+3
>>524
俺も似たようなことを聞いたことはある
育ててもらった恩なんて何十年何百年孝行しようと返せるもんじゃない
そんな暇があるなら、その分自分の子供に費やせって
立派に育って、立派に育てて、それが何よりの恩返しだってね

ただ、だからって親への思いやりや感謝の気持ちをないがしろにしていいってわけでは当然ないが


妻子を持たない自分ができる親孝行は、自分より若い世代を支援することではないか、と思う今日この頃。
posted by かせっち at 20:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 世代間問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月22日

非営利と手弁当の越えられない壁

非営利団体の運営にも経営視点や資金が必要という当たり前のこと(ガ島通信)

経営が立ち行かなくなってきたメディア企業に代わり、組織ジャーナリズムを担う期待を集めているNPO(非営利団体)。しかし「非営利」という言葉を「無給」「手弁当」「ボランティア」と読み替える日本的解釈がNPOの活動を歪めている。

(エントリより)
非営利であれば、なおさら経営的な考えが必要です。

まず、組織がある時点でマネジメントが必要になります。いくら崇高な目的があっても人が参加し、自発的に動いてくれるとは限りません。お金や地位というインセンティブがある企業とは違い、非営利の場合は目的やモチベーションが重要です。上司や部下の関係もつくりにくく、指示しても話を聞くとは限りません。

次に活動維持の資金が必要になります。人が動き、集まるだけでお金がかかります。都内であれば打ち合わせの会議室代、マックやスタバも飲食費が必要になります。

人のコストもあります。集まって話しているということは学生ならアルバイトなど収入を得ることが出来ません。大企業やマスメディアにいるとこの部分のコストに気付かない人がいます。平気でベンチャー企業家やフリーエディターやコンサルタントをご相談などといって呼び出すのはここが分かってないから、フリーの人にとっては時間が最も貴重です。蛇足ですがここがコストという理解がないので無駄な会議が減らない…

活動資金集めは、ベンチャー企業だけの課題ではないのです。

アメリカ公共図書館を取材している菅谷明子さんの「未来をつくる図書館ーニューヨークからの報告ー」には資金調達や広報を専門に行う担当者がいて、工夫を凝らしてお金を集めていることが書かれています。とてもよい本なのでぜひ読んでください。

非営利活動だけでなく公共セクターもそうですが、いわゆる「いいこと」をやっている団体が多くありますが、だからと言って人がお金を出すかというとそうでもありません。営利企業よりむしろ資金調達は難しい。その理由は、日本ではお金の話をすることが嫌われる傾向にあるからです。


20代の若者が、“心のキレイ”な人を食い物にしている(BusinessMedia 誠)

「非営利」を「手弁当」と誤解しているNPO運営者の実例。

(記事より)
 「今の若い人は、40代以上の世代に比べて心がキレイ。だから給与や賞与について不満をいわない。彼らは心が満たされた世代だから」――。

 とある教育分野のNPO(特定非営利活動法人)の理事長がこう言った。彼は、自らが運営するNPOで働く20代の職員らについて語り始めた。有名私立大学で教育学を研究する50代後半の教授であるだけに、理路整然と話す。本人いわく、NPOで若き職員らと“実験的な活動”をすることで研究成果を確かめようとしているのだという。

 私は、この言葉を聞いたときにその場をボイコットしようと思うくらいの嫌悪感を覚えた。このNPOの職員は現在15人ほど。平均年齢は28歳。その大半が大学を卒業し、夢を持って入ってくるものの30歳前後で辞めていく。毎月の給与は平均で20万円ほど。手取りは17万円台になる人もいる。当然、賞与はない。これは職員数人から聞いた話だが、業務の一環で教育委員会などに行くときでも、交通費は自腹を切ることがあるという。

 劣悪な労働条件の中で部下たちを働かせておきながら、理事長は「彼らは心がキレイ」「給与や賞与について不満をいわない」などと口にする。話し合いを終えたあと、その場に同席した編集者と話すと、驚くことを言い始めた。「NPOはボランティアだから、あのような労働条件でも仕方がない」。会社という“安全地帯”に身を置きつつ、辛らつな批評をする姿はいかにも会社員らしい。

<略>

 竹井さんは最後にこう話してくれた。

 「心のキレイな人たちが持続可能な活動を行うためには、まっとうな報酬が必要。欧米のNPOでは当たり前の理屈だ。日本の社会もこのことを理解する必要がある」と。


全国に広がる“タイガーマスク”現象―【私の論評】この現象は、財務官僚が財政民主主義的立場を堅持することから、やむなく発生してきたものという見方もできる?!(Funny Restaurant)

タイガーマスク現象を枕に、経営感覚を持つ欧米型NPOを紹介するyutakarlson氏のブログ。氏の主張のベースになっているドラッカーのNPO論は、最初とりあげたガ島通信の記事の纏めで紹介している『非営利組織の経営』となる(おお、繋がった…)。

(エントリより)
さて、今回のこの現象について、結論からいいますが、私は、日本では、アメリカなどのようにたとえば、施設の子供たちを支援するような有力なNPOや、NPOに対して、多くの寄付金が集まる仕組みなどがないため、「タイガーマスク」のような人たちが、具体的に行動しようにもできないため、いわゆる現在いわれている「タイガーマスク現象」のような行動をしているのではないかと思うのです。

自分の善意を届けたいと思った場合、アメリカなどの場合は、子どもたちを支援するようなNPOが全国に星の数ほどあり、たいていのNPOは地域に密着しているので、かなり、具体的で本当に役立つ末永い活動ができます。しかも、身近な存在なので、寄付したり、何か行動しようとした場合に、誰もが思い立ったらすぐできます。

NPOというと、日本の場合は、あまりに規模小さく、それに経済的にも非力な組織が多いため、本当に限定的な活動しかできないためほとんど目立ちません。さらに、日本では、未だに多くの人々が「NPOとは、奇特な人々が手弁当で集まってやる事業」くらいの認識しか持ち合わせていないようです。そうして、ボランティアの意味をとり違えています。ボランティアの意味は、本来は、他人の意思や、地域とのしがらみなどで実施するのではなく、あくまで自分の意思で行うことを意味するのであって、もともとは、軍隊に志願するときなどに使われた言葉です、無給、無賃金で労働することを意味するものではありません。実際、アメリカでは有給のボランティア活動もいくらでもあります。



二宮尊徳の言葉(とされるもの):

道徳を忘れた経済は罪悪である

経済を忘れた道徳は寝言である
posted by かせっち at 20:33| Comment(2) | TrackBack(0) | ビジネス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月21日

凋落

マスコミはなぜネット時代の弱者になったか(切込隊長BLOG)

切込隊長氏によるマスコミの凋落の的確な分析。記事にすれば一行、テレビの時間で数秒程度しかない生情報に、マスコミは事情や背景といった付加価値を乗せて送り出している。ところがその事実について素人の記者が乗せる付加価値が、専門家が送り出す付加価値に勝てるわけがない。

(エントリより)
 だからこそ民主主義とネットは相性がいいのだ、という議論がおきやすい部分でもあるのですが、でも実際には専門性に対する世間一般の信認の低下という部分もまた多いわけです。というのも、いまのマスコミの報道で素人の記者が体系だった学習もせずに取材ベースに記事を書いたところで、その道で飯を喰って、プロとして暮らしている人たちからすると今さら感があったり間違っていたり入門的すぎて価値がなかったりといったことが多くなります。

 マスコミが批判されることを嫌うのは、そもそも新聞記者は知的トレーニングを積んだ専門家集団ではなく、あくまでメディアに情報を乗せ、それを加工し、評価するためのプロ集団だったことが背景にあります。下手をすると、読者や視聴者のほうがその問題について切実であり記者よりも詳しく経験も見識も伴っていることが多いわけですから、ある程度仕方のないことと言えます。

 ネットでの言論増加で、そこでの発言の質的な向上や、高品質な意見のピックアップが出来るようになってくると、事実関係に基づいた評価はネットで多面的に行われてメディアが付加価値として行ってきた活動にお金を払ってくれる人が少なくなっていくでしょう。アメリカで、ついに報道機関がNPO化していった背景には、社会的に価値のある事実関係の調査報道は必ずしも世間一般の関心ごとと同一ではなく、むしろそうではないがゆえに、より重要度が低いはずの娯楽や芸能の情報に目玉を奪われ負けてしまうということに対応した結果といえるでしょう。利益が出ないのだから、仕方がありません。


posted by かせっち at 18:27| Comment(0) | TrackBack(0) | メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月19日

紅の錬金術師

中国の土地バブル崩壊はもうすぐ
長く続くわけがない資金の拡大的循環の仕組み(JBpress)


中国における「錬金術的」土地開発の解説記事。

(記事より)
 中国は政府が独裁体制を取っている他は、資本主義国となんら変わることがないと考えている人も多いようだが、その認識は間違っている。こと土地の所有形態に関する限り、中国は共産主義国である。

 中国の農地は村が所有している。農民は村から農地を借りて耕作している。それは、集団で農業を行った人民公社時代のなごりと言ってもいい制度である。

 その中国でも、経済発展に伴い、北京や上海などの大都市周辺には宅地開発の波が押し寄せてきた。

 中国において、農地から宅地を造成しているのは民間会社ではない。地方政府が管理監督する「土地開発公社」が行っている。中国の土地は、宅地であっても公有制なのである。民間が携わることはできない。


以下、土地開発公社が農地の使用権を買い上げてディベロッパーに転売していく様子が描かれているが、その過程での売却益が凄まじい。


土地開発公社が坪単価300円(!)で買い上げた土地が

最終的に坪単価110万円(!!)のマンションに化けるのだ



そして土地開発公社が得た売却益は、彼らを管理する地方政府に転がり込み、それが土地投資への資金源となって最終的に中国のGDPを押し上げている、というわけである。


日本の不動産バブルを知る者は「かなりヤバい」と思うことだろう
posted by かせっち at 23:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 中国(経済) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月18日

遺言

サヨナラ。(日々是チナヲチ。)

ネット随一のチャイナウォッチャーだった御家人氏。死の病を患ってからもブログ更新を続けていたが、容態悪化による入院に伴い、知人に頼んで投稿してもらった記事。

(エントリより)
一応、「中国観察ブログ」を自称していますから、最後に中国について、いくつか。

 ●中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮。

 上海の摩天楼などの風景に騙されてはいけません。一党独裁という本質において中国は北朝鮮と等質であり、いざとなれば独裁を守るため、いかなる流血の事態を引き起こすことも辞さないでしょう。

 状況によっては、進出している外資企業の強制接収や、在中外国人に対する資産凍結や略奪などが、「官」によって行われても不思議ではありません。

 いざとなったら、何を仕出かすかわからない。……これは頭の隅に入れておくべきことだと思います。


 ●中国は、多民族国家である。

 「多民族」というとチベット人、ウイグル人、モンゴル人などを想起しがちです。確かに中国は56種類の民族によって成立しています。ただし、こうしたいわゆる少数民族が総人口に占める割合は僅か4%であり、残りの96%という圧倒的多数派を形成しているのは漢民族(チャイニーズ)です。

 私に言わせると、この漢民族こそが「多民族」なのです。北京人、上海人、福建人、四川人、広東人、河南人、東北人。……そのいずれもが国家として成立し得る規模を有しているため、感覚的には外国人同士といってもいいくらいの意識の違いがあります。

 中国が統一と分裂の歴史を繰り返してきた理由も、ここにあります。独裁政権は、実質的には武力に頼って統一を維持するほかありません。実際に中共政権も人民解放軍をあくまでも「党中央の指揮に絶対服従するもの」とし、国軍化を断固否定しているのはこのためです。

 「中国人」というものは、例えば国際的なスポーツの試合や外交問題のような限定的な状況でのみ、頭をもたげる特異な観念なのです。日常的には、あくまでも地縁・血縁最優先。例えば東京のコンビニや居酒屋の中国人アルバイトが、往々にして店ごとに「××人」と地方閥で固まっているのは、その好例といえるでしょう。

 もし中共政権による統治を保証している人民解放軍が地縁や利権その他の原因でバラけ始め、党中央軍事委員会を頂点とするピラミッド型命令系統の維持が困難になったときには、国際社会の思惑がどうあれ、中国には割拠に似た状況が現出することになるでしょう。


 ●必ず「中共語」でニュースを読むこと。

 以前にも何度か紹介したことがありますが、ここで念を入れておきます。一般に使われている中国語と、政府や党中央などから発せられる「中共語」は同じものではないということです。

 「日中友好」を中国語に訳すると「中日友好」。ただしこれが「中共語」になると意味が大きく異なってきます。凡例をいくつか挙げておきますので、ニュースで中国の公式声明に接するときは、これを以て解読してみて下さい。

 「対話」→「中共の言い分の押しつけ」「中共からの命令伝達」
 「協議」→「中共の言い分の押しつけ」「中共からの命令伝達」
 「協力」→「中共への奉仕」
 「平和」→「中共による制圧下での非戦時状態」
 「友好」→「中共に従順」
 「交流」→「中共の価値観の押しつけ&軽度の洗脳」


 しかしなから、と付け加えておきます。

 中国がどうなろうと、日本政府がしっかりしていれば何も心配することはありません。

 その日本政府を選ぶのは、私たち日本人です。

 ですから結局、日本人一人ひとりの、民度と品格が問われることになるのです。

 いちばん大切なのは、実はそのことではないかと私は考えています。
posted by かせっち at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月15日

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『シェア』の補足・その2

『シェア』の第1章は太平洋沖に漂う膨大なゴミの描写から始まる。この現代物質文明の象徴から、アメリカ人が如何にモノに囲まれているかを描きだすことがこの章の狙いだ。現代物質文明の申し子たるアメリカ人は世界の個人消費を引き受けるほどにモノを買い、所有し、捨ててきた。

しかしさしものアメリカ人も「自分が所有したモノに自分の家が占有される」状況には疑問を抱くようになったようだ。モノを所有しても満足感は得られず、逆にモノの所有を維持するための負担と苦労が増すばかり。処分するにもコストがかかるとなれば捨てるに捨てられない。

不用品を簡単に捨てられないなら、誰かに引き取ってもらうのがありがたい。自分は不用品を処分できるし、引き取る側は欲しかったモノが手に入って、お互い得な話だろう―――『シェア』で紹介されているビジネスの切っ掛けは、案外こんな打算的な動機である。

ところが面白いことに、こんな打算的動機で始まったビジネスが、環境問題解決に一役貢献していくことになる。ゴミ減量に役立つことは勿論のこと、不用品取引がなかったら引き取る側が買ったはずの新品を作るための環境負荷も下げられる側面もあるのだ。

ビジネスの創業者も「環境にいいと思って始めたわけじゃない。ビジネスとして成り立ちそうだから始めたんだけど、それが結果的に環境に役立ってたというわけ」と述べる。環境原理主義者がお題目を掲げて説教するよりよほど効果的な方法だ(本書でも描写されている)。

尤も本書でも指摘しているように、こういうビジネスを成立するには一定以上のモノの供給量(クリティカル・マス)が必要となる。となると、モノにあふれるアメリカや先進国には成立しても、供給過少な途上国では容易に成立しえないように感じた。

とはいえ、今後成長が見込まれる新興国が、先進国が辿ったように資源を爆食しないようにする、一つの指針になるかもしれない。


消費者が消費することで潤ってきた製造業には辛い話ではあるがな(苦笑)


参考:
太平洋ゴミベルト(Wikipedia)

シェア <共有>からビジネスを生み出す新戦略(当ブログ記事)
シェア(補足)(当ブログ記事)
posted by かせっち at 20:30| Comment(2) | TrackBack(1) | 書籍&雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月11日

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前回紹介した『シェア』の補足。

この本で紹介される不用品取引ビジネスについて、「不用品の取引なら古物商やリサイクルショップもあるはず。それと何が違うのか?」という疑問を抱くかもしれない。実際自分も読んでいてそう思ったが、決定的な違いがある。


自分の不用品を処分したい人とその不用品が欲しい人を

直接マッチングさせるのがこのビジネスの要諦なのだ



従来のリサイクルショップは不用品を一旦買い上げ、その不用品を買いたい人が現れるのが待つことになる。買いたい人が現れるまで不用品はショップの在庫になるし、その不用品の品質はショップが保証しなければならないのが普通だ。

一方『シェア』で紹介しているビジネスでは不用品を売りたい人と買いたい人を直接マッチングさせるので、ビジネス運営者は在庫を持たずにすむ。また不用品の品質保証は出品者に帰せられるので、ビジネス運営者は品質保証リスクからも解放される。

運営者が中央集権的に管理するのではなく、参加者同士の自律的な管理に任せるのがこれらのビジネスの特徴である。そして参加者同士の自律的な管理が容易になるようなプラットフォームを用意し、緊急事態に適切に対処することが運営者に求められる。


リサイクルショップというよりは不動産仲介業に近いかな


参考:
シェア <共有>からビジネスを生み出す新戦略(当ブログ記事)
posted by かせっち at 23:15| Comment(2) | TrackBack(2) | 書籍&雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月09日

シェア <共有>からビジネスを生み出す新戦略

シェア <共有>からビジネスを生み出す新戦略
(レイチェル・ボッツマン、ルー・ロジャース/NHK出版)


先日の小飼弾氏の書評を読んで購入。読んでみると帯や小飼氏の指摘する「<所有する>から<利用する>へ」は重要な動機にして結果ではあるが、本書の一側面に過ぎないことがわかる。

自分にとってはもはや不要だが、捨ててしまうには惜しい所有物を、家族、友人、職場の同僚など、顔見知りに引き取ってもらう経験は誰にもあると思う。このような取引を赤の他人同士でも成立させよう、というのがこの本で紹介されているビジネスの共通点である。

こういった取引が安心して行えるには「顔見知り同士なら相手を騙すことはしないだろう」といった信頼関係が不可欠になるわけだが、全く会ったことのない相手でも顔見知りと同じような信頼関係を結ぶことできるかが、この成功のポイントとなる。

狭い交友範囲なら結べた信頼関係も、全国規模となると不可能というのが常識だった。しかしIT技術を使えば赤の他人同士でバーチャルな共同体を作ることが可能になる。そしてその共同体のメンバー同士でモノやサービスを交換する、というわけである。

赤の他人だと相手を騙すことがあるのでは?という懸念も、現実世界で仲間内での自分の評判を落とさないように行動を慎むのと同様、IT技術でメンバーの評判を可視化することで赤の他人相手でも行動を慎むようになる、というのがコンセプトにある。

この本を読んでいて、日本の伝統的な相互扶助「結(ゆい)」や「無尽(むじん)」を想起した。IT技術によってamazonの書評のようにメンバーの評価が可視化され、低評価者がパージされるというのは、正に「村八分」と同じである。

個人主義的で契約・法律・保証金を以て取引の信頼関係を結んできた欧米において、日本の伝統的な共同体感覚と同様な信頼感をベースにしたビジネスが進展してきたという点が実に興味深い、一冊であった。


参考:
What's Mine is Yours - 書評 - シェア(404 Blog Not Found)
供給過剰の行きつく果て(当ブログ記事)
posted by かせっち at 22:19| Comment(0) | TrackBack(2) | 書籍&雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月08日

洗脳

「炬燵なんか使ったらダメになる!」と自宅には炬燵を置かない主義の姉夫婦が、先日我がダメ人間の館(笑)に泊まりに来た。

二人を泊める部屋には嫌がらせのように炬燵が稼働中(笑)。炬燵に入ってTV見ながら地酒とつまみで晩酌していた義兄が一言。


「…これはやばい。居着いちゃうねぇ、炬燵に(苦笑)」


その晩、布団で寝付けなかった義兄は炬燵に入ってTVを見ていたところ、不覚にもそのまま寝入ってしまったという。


ふはははは 圧倒的ではないか!

「人間を破壊する機械」の破壊力は!
posted by かせっち at 21:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 踊るダメ人間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月01日

大晦日の過ごし方

あけましておめでとうございます

今年も与太話にお付き合いのほど

何とぞよろしくお願いします



01/01 2010大晦日なう(丁寧語とか、礼儀正しく書いてみる日記2)

(エントリより)
【話題】 大みそかってみんな何やって過ごしてるの?



私ね、紅白歌合戦って嫌いなんですよ。

下手な歌を中途半端な曲構成で聞かされるのもそうですが、合間に入る白々しい応援など、エンターテイメントとしての演出が生理的に受け付けないんです。

昔はそうでもなかったと思うんですが、ここ数年劣化度合いが甚だしく、民放のひな壇芸人バラエティのようで、見ていて痛々しく思うんですね。

ところが実家の家族はやっぱり見るんですよ。折角実家でのんびり過ごそうと思ってたのに、好きでもない番組を見せられるのはイライラすることこの上ない。

とはいえ、年末年始に家族と波風立てるのもどうかと思い、別室に引き籠ってネットしてるんですが、狭い家のことなので音が漏れてきて中々集中できない。

仕方がないんで、今年は近くのファミレスで、コーヒー飲みながら本読んでました。


次の年末は紅白が終わる時間に帰省しようかと思ったり
posted by かせっち at 07:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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