2010年08月30日

新監督発表

W杯終了後、中々決まらなかったサッカー日本代表監督に、アルベルト・ザッケローニという人が就任するそうだ。3−4−3の攻撃的サッカーを好み、イタリア・セリエAのウディネーゼで3位、ミランで優勝経験があるという。

で、ちょっと調べてみたんだが…


アルベルト・ザッケローニ(Wikipedia)


うーん、微妙…


前述のウディネとミラン以外は大した成績はなく、特にチャンピオンズリーグではグループステージで敗退続き。最近のユーヴェも負け越した上に、MLSチームとの親善試合に負ける体たらく。確かに欧州リーグ経験者でCLで戦ったことのある監督だけど…
posted by かせっち at 23:24| Comment(2) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月29日

ハイフィンガーの呪縛

以前のエントリで述べたように、現在ハイフィンガー奏法から矯正中。何となくコツがつかめてきたので、何時かブログに上奏する予定。

今回は日本でハイフィンガー奏法が定着する過程を論考したブログをご紹介。

私の疑問〜ハイフィンガー奏法(calafのMusic Life)
私の疑問〜ハイフィンガー奏法について その2(calafのMusic Life)
私の疑問〜ハイフィンガー奏法について その3(calafのMusic Life)
私の疑問〜ハイフィンガー奏法について〜最終回(calafのMusic Life)

(エントリより)
今日からしばらくピアノの「ハイフィンガー奏法」とやらを検証してみたいと思います。この呼び名はピアニストの中村紘子さんが著書「チャイコフスキーコンクール」で一躍有名にしたもので、ピアノを弾かない人でもご存じの方も多いのではないでしょうか。

手首を鍵盤に対して水平を保ち、指を鎌首のように持ち上げ、文字どおりそのまま鍵盤に対して叩きつけるように弾く奏法のことですが、中学3年(1959年)の時、日本音楽コンクール第1位特賞を獲得、翌1960年にNHK交響楽団の世界ツアーのソリストとして帯同した彼女が18才(1962年)の時ジュリアード音楽院に留学します。彼女はロジーナ・レヴィン女史に師事するわけですが、初めてのレッスンでショパンを弾き、その音楽性は大いに賞賛されたものの、奏法そのものは、「一からやり直しましょうね」と全否定されたのでありました。来る日も来る日もハノンよりもさらに退屈なドフナーニのエチュードで指の上げ下げをやらされたのでありました。奏法の修正とは言葉で書くと簡単なようですが、3才から15年以上もかけて「ものにした」奏法がそうやすやすと修正できるわけでなく、宿舎のベッドで壁をぼんやり見つめる日々が続いたそうです。それほどひどい目にあったこのハイフィンガー奏法について、中村紘子さんの師である井口愛子(1910−1984)さんの晩年の述懐を先ほどの著書「チャイコフスキーコンクール」の中で紹介しています。

日本では何故ノンレガート奏法(ハイフィンガー奏法)が行われていたのか。これは兄の基成氏に先立たれた晩年の井口愛子先生自身の述懐として私には胸迫る思いの言葉ではあるが、要するに「不運」の成せるわざとしか言いようがない。昭和の初めに多感な青春時代を送る運命となった先輩たちの不運、なまの良い音楽に出会う機会も少なかった時代の不運、そして、なんといっても戦争というもので修業を十分に達成できなかったあの時代のすべての人々の不運・・・・。(1989年4月16版 94、95頁)


簡単にまとめると、大正期に日本に招かれたピアノ教官が「ハイフィンガーな人」で、彼の薫陶を受けた日本の音楽家が日本のピアノ界に君臨するに至り、ハイフィンガーが日本の主流になった、ということのようである。
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2010年08月25日

二枚舌

(1)日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして如何なる事態を想定しているのか。

(2)格付けは財政状態のみならず、広い経済全体の文脈、特に経済のファンダメンタルズを考慮し、総合的に判断されるべきである。
 例えば、以下の要素をどのように評価しているのか。

・マクロ的に見れば、日本は世界最大の貯蓄超過国
・その結果、国債はほとんど国内で極めて低金利で安定的に消化されている
・日本は世界最大の経常黒字国、債権国であり、外貨準備も世界最高

(3)各国間の格付けの整合性に疑問。次のような例はどのように説明されるのか。

・一人当たりのGDPが日本の1/3でかつ大きな経常赤字国でも、日本より格付けが高い国がある。
・1976年のポンド危機とIMF借入れの僅か2年後(1978年)に発行された英国の外債や双子の赤字の持続性が疑問視された1980年代半ばの米国債はAAA格を維持した。
・日本国債がシングルAに格下げされれば、日本より経済のファンダメンタルズではるかに格差のある新興市場国と同格付けとなる。


上記は誰の主張とお思いだろうか?散見される論拠は、自分が頻繁に引用する三橋貴明氏の主張そっくりだが、驚くなかれ、これは小泉政権下で日本国債の格付けを引き下げた格付け機関に対する、財務省の反論なのである。

外国格付け会社宛意見書要旨

(文面より)
1.貴社による日本国債の格付けについては、当方としては日本経済の強固なファンダメンタルズを考えると既に低過ぎ、更なる格下げは根拠を欠くと考えている。貴社の格付け判定は、従来より定性的な説明が大宗である一方、客観的な基準を欠き、これは、格付けの信頼性にも関わる大きな問題と考えている。
 従って、以下の諸点に関し、貴社の考え方を具体的・定量的に明らかにされたい。


以下、最初の文章が続くわけだが、これを引用した三橋氏曰く、

日本の財務省とアイルランドとユーロ(新世紀のビッグブラザーへ)

(エントリより)
財務省、格好良い! 国内で二枚舌さえ使っていなければ、惚れちゃいそうです。
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2010年08月22日

Jリーグ第20節 磐田vs清水

清水には悪いが勝たせて頂きました

勝因はジウシーニョにつきる


ルーズボールを悉く拾う奴が帰って来たのは大きいわ。グノが残ってりゃ攻撃がもうちょっと楽になってたんだろうが…

posted by かせっち at 20:08| Comment(2) | TrackBack(0) | スポーツ(J1) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月20日

収斂する意見

欧米先進国による財政引き締めは
景気後退をもたらす(ダイヤモンド・オンライン)


2001年ノーベル経済学賞受賞のスティグリッツ教授のコラム。

(記事より)
 金融部門の財政タカ派は、政府は歳出削減によって財政赤字を解消することに傾注するべきだと主張した。赤字が減れば信頼感が戻り、それが投資の回復につながって、ひいては成長の回復につながるという理屈だった。だが、この論理展開はもっともらしく聞こえはするが、それが誤りであることは歴史的証拠が繰り返し証明しているのである。

 アメリカ大統領ハーバート・フーヴァーがその処方を試したときは、それは1929年の株式市場の暴落を大恐慌に変えるのにひと役買った。97年に国際通貨基金(IMF)が東アジアで同じ処方を試したときは、景気低迷が景気後退に、景気後退が不況に変わったのだ。


独占インタビュー ノーベル賞経済学者 P・クルーグマン
「間違いだらけの日本経済考え方がダメ」(現代ビジネス)


2008年ノーベル経済学賞受賞のクルーグマン教授へのインタビュー記事。

(記事より)
 今年後半、二番底の可能性がある/日銀が「インフレなどとんでもない」と言い続ければ、日本は破産する/消費税アップのタイミングはこの大不況真っ只中の時ではない。日本はアメリカより深刻な不況にあることを理解すべきだ/財政赤字の問題を優先させれば、デフレ・スパイラルを加速させるだけである。

 菅首相は一刻も早く消費税アップに向けた議論を始めたがっている。しかし、舌鋒鋭い「闘う経済学者」はこう言った。「急ぐ必要はない」と。財政再建よりも先に、日本がまずなすべきこととは―。


二人の意見がどんどん三橋氏の主張に近づいていく(笑)


参考:
環境の変化に対する適応力(新世紀のビッグブラザーへ)
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2010年08月14日

四十路の手習い

三十路の手習い(The Hermitage)

(エントリより)
◎とはいえ事前練習何もしないで行ったので何も弾ける訳が無く順当に片手づつ練習wもともと私は読符が苦手で初見で何かを弾くなんて夢のまた夢であるw とはいえ軽い練習と、ハノンでの運指チェックで指の運動能力やフォームには何ら問題ないとの診断。
むしろ、手首のフォームについて、子供の頃とは全く逆の事を言われたのが印象に残った。 子供の頃は何かと手首を下げるな下げるなと言われていたが、今回手首が上がり過ぎと言われたw 指先でカツンと弾こうとするとどうしてもそういうフォームになるんだよなぁ。 (指長いし…)下がってペタペタ弾くよりいいけどw


自分もピアノは手首を上げて指を立てて弾くものだと思っていた。子供時代のレッスンでもそのように習ったし、指を立てれば鍵盤と指先が垂直にあたって最大の力が鍵盤に伝わるので、物理的にも理にかなっている。

しかし最近になって、そのような弾き方は古典的で、現在の主流ではないことを知った。

ショパンに学ぶピアノ・テクニック(キーボードマガジン 2010 年SPRING号 No.368)

(記事より)
 初期のピアノは、タッチも浅くダイナミクス幅も狭い。またそのころの音楽も明快で典雅な曲調の古典派だった。『ソナチネ・アルバム』の曲や、モーツァルトなどが典型だろう。こういった曲を弾くには、手の形を丸くし、1つ1つ指を高く上げ、垂直に鍵盤を叩く奏法が適している。ハイ・フィンガーと呼ばれる方法で、粒立ちのはっきりした、明るく軽い音色が得られるのが特徴だ。
 一方、ショパンが実践し、弟子たちにも教えたのは、重力奏法と呼ばれる弾き方だ。鍵盤を弾くのに用いるのは、指の力ではなく腕の重さになる。腕の重さを指から鍵盤に伝えつつ、重みをかける指を変えていくことでフレーズを弾いていく。指は、鍵盤付近の自然の位置に保つが、意図的に寝かして指の腹を使った柔らかい音色を利用することも行う。非常に滑らかなレガートや、楽器全体を鳴らすような深い音色を得られるのが特徴だ(下図)。


この記事を読んでからTVでピアニストの弾き方に注目してみると、運指による例外はあるものの、確かに指を伸ばし気味に弾いている人が多かった。そこでハイフィンガー奏法と重力奏法について調べてみた。

脱力による重量奏法(重力奏法)早わかりスピード講座(村田ピアノ音楽院)
現代ピアノ奏法(Concerto House)


振り返って見ると、今までの自分の弾き方は正にハイフィンガー奏法だったように思う。そこで上記のサイトなどを参考に、この数カ月重力奏法に取り組んでいるのだが、今までの弾き方を捨てる作業は中々骨が折れる。
posted by かせっち at 12:57| Comment(0) | TrackBack(1) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月11日

宇宙の海は俺の海

今週『銀河鉄道999』TV版まとめて放映ってのをNHK−BSでやっているので、ちょっと興味があって999関係をググってみたら、その後のOVAなどではメーテル、ハーロック、エメラルダスの設定がとんでもないことに…


プロメシュームは1000年女王だった

その昔『1000年女王』という松本アニメがあった。その時の主人公1000年女王は実は惑星ラーメタルの女王ラー・アンドロメダ・プロメシュームII世で、紆余曲折あってラーメタルの機械化政策を断行、機械帝国の建国者となる。ドクター・バンとの間に娘メーテルをもうけたのは『999』映画版通り。


エメラルダスはメーテルの双子の姉だった

プロメシュームの子供はメーテル一人だったはずが、実はエメラルダスが双子の姉だったということに。機械化政策を推し進める母プロメシュームに反発、女海賊となって機械化人との戦いに身を投じつつ、最愛の人・トチローの行方を捜す。


緑のアルカディア号もラム戦可能

キャプテン・ハーロックが駆る宇宙戦艦といえばアルカディア号。『宇宙海賊キャプテンハーロック』TV版では青いボディカラーで鋭角な艦首だったが、『999』映画版以降では緑のボディーカラーで髑髏をあしらった艦首になっている。

TV版のアルカディア号では艦首から鋭利な刃物のような衝角(ラム)をせり出して敵艦にぶち当たる「ラム戦」をやっていた。宇宙戦艦ヤマトの艦首波動砲に匹敵する必殺技(というか反則技(笑))だが、緑のアルカディア号ではやった試しがなかった。

ところが2003年の『SPACE PIRATE CAPTAIN HERLOCK』で出てくる緑のアルカディア号でも、サバイバルナイフのような巨大なラムを飛び出させ、敵艦にラム戦を仕掛けている…てか、あんなラム、艦首の何処に入ってんだよ?(笑)


ちなみに、フルCG版『キャプテン・ハーロック』が2012年に公開予定だそうである。
posted by かせっち at 18:17| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ&映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月06日

The Day Before And After

中国の不動産バブル崩壊(三橋貴明の「経済記事にはもうだまされない!」)

「世界の工場」中国も昨今の世界経済危機と無縁ではなく、中国政府は矢継ぎ早に経済対策をうった。これにより中国の景気後退は比較的軽微となったが、その副作用が不動産バブルとなって顕在化している。

80年代末から90年代初頭の日本を彷彿とさせる中国の不動産バブルは、ここにきて中国政府が不動産規制を始めたことで「終わりの始まり」の様相を見せ始めている。

(記事より)
 繰り返しになるが、中国の不動産バブルは5月もしくは6月にピークアウトした可能性が高い。中国の不動産バブルの崩壊は、すでに「起きるか、否か」ではなく、「いつ、どれだけの規模をもって崩壊するか」が問われる段階に至っているのである。


いずれ迎える体制転換がもたらすもの(伊藤洋一の『BRICsの衝撃』)

不動産バブルが弾け、日本のバブル崩壊のように中国経済が失速した場合、血の天安門事件以来、経済成長が唯一の正当性の担保となっていた中国共産党政権が崩壊するシナリオも十分考えられる。

共産党政権が倒れると中国は大混乱に陥るという予想に対し、伊藤氏はベルリンの壁崩壊前後の東ドイツや終戦前後の日本の例から、「中国人は案外その状況を受け入れてしまうのではないか」と予想する。

(記事より)
 重要なのは、「その体制転換を中国は案外静かに迎えるのではないか」ということだ。ドイツや日本の例を見ても、むろんスカーミッシュ(小競り合い)はあるだろうが、何年間も内戦が起こるようなことはないと思える。なぜなら、多くの中国人も「今の体制が続くのが必ずしも望ましいことではない」という意見には同意しているだろうし、その後の長い争いは自分たちの生活水準の低下が招来されるが故に、歓迎しないだろうからだ。実際には、多くの中国人が呆然とする中で体制転換が起こると考える。しかも重要なのは、その転換が起こっても、中国の国としての経済レベルはそれほど落ちないだろう、ということだ。豊かな生活になれば人々はそれをなかなか手放さないし、体制転換を求めた人々も、自分たちがまた貧しくなることを求めたのではない。体制が変わっても、多くの中国人の生活は昨日と変わらない展開を筆者は予想している。
posted by かせっち at 22:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国(経済) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月03日

メジャーデビュー

「財政再建」なんて自殺行為だ
何十兆円も償還されて困るのは“借金”漬けの銀行
(日経ビジネスオンライン)


今まで三橋氏は自身のブログやネットメディアを中心に主張を展開しており、ネットを中心とした固定客がいた。しかし新聞・雑誌への露出は少なく、ネットから離れた一般層への浸透は手薄だった。

それが先の参院選の得票数に現れたように思う。三橋氏は選挙のネット解禁延期を惨敗の理由の一つに上げていたが、仮に解禁されていたとしても、ネットだけではあの得票数が限界だったようにも思う。

今後はより積極的な一般層への浸透が必要で、そのためには既存メディアへの露出も必要となる。その意味で、一般の経営者やビジネスマンが目を通す日経ビジネスオンラインに三橋氏がデビューしたことは意義深い。


参考:
暴論?あえて問う!国債増発こそ日本を救う(新世紀のビッグブラザーへ)
posted by かせっち at 19:47| Comment(0) | TrackBack(1) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月02日

イノベーションが全てではない

日本商品がやたらとオーバースペックである理由(Business Media 誠・ちきりんの“社会派”で行こう!)

日本の商品がオーバースペックに走りがちなことを、クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」を使って説明するコラムなのだが、ミスリードを招きやすい書き方なので指摘。

(記事より)
 でも、その後もこの企業が商品Aしか持っていないと、クリーム色の“オーバースペックゾーン”に入り込んでしまいます。求められている以上に品質を向上したり(=その商品を50年使う人はほとんどいないのに、50年壊れない部品を使うなど)、おせっかいな機能を装備したり、といった具合です。これが赤の点線部分です。

 しかし、もしこの企業が“イノベーション”を起こして、商品Bの開発に成功すれば、企業はよりもうかる新商品Bに事業をシフトしていきます。これが緑の曲線部分で、イノベーションによるジャンプです。

 その後、商品Bもまた“十分なスペック”に到達するまで改善が進み(=青の実線)、それが一定のレベルに達したころには、またイノベーションにより次の商品に移る。このようにイノベーションが一定期間ごとに起これば、その企業や産業の商品はオーバースペックにはなりません。

 一方、イノベーションが起こせない企業は、いつまでも既存商品や既存技術にしがみつくことになります。毎年毎年、細かい改善がなされ、でも消費者はそんな細かい改善に価値を見いださないので対価を払いたがらず、結果として価格競争に陥ってしまう。


こういう書き方をすると、企業におけるイノベーションの有無が全てを決するように見えるが、「イノベーションのジレンマ」の本質はそこにはない。


イノベーションを自ら生み出しておきながら

合理的判断の元にイノベーションを放棄してしまうのが

「イノベーションのジレンマ」の本質である



クリステンセンの書には、新しいイノベーションに敗れ去る既存企業こそが、実はそのイノベーションの萌芽を生み出していたケースが例示されている。彼らはイノベーションを生み出していなかったわけではない。

では何故彼らは折角生み出したイノベーションを放棄したのか?それは彼らが頑迷だったからではなく、それどころか合理的な選択したからだった、というのがクリステンセンの言わんとしていることである。


(記事より)
 一方、株主の利益要求圧力が高い米国では、オーバースペックゾーンでの競争を延々と続けることは不可能です。そんなことをしていては十分な利益が得られないので、経営者はすえ変えられ、余分な技術者はリストラされてしまいます。挙げ句の果ては企業自体が身売りされたり、消滅させられます。


このコラムでの「オーバースペックゾーン」を「イノベーションの生まれていない市場」と理解すると、株主の利益要求圧力が高いからこそオーバースペックゾーンに留まらなければならない。何故か?


イノベーションが生み出した市場は未だに小さく

オーバースペックゾーンこそボリュームゾーンだからだ



オーバースペックにしのぎを削る市場は巨大であり、確固とした顧客数が見込める。一方新しいイノベーションが対象にする市場は確固とした顧客数が見込めないどころか、市場自体が存在するかも怪しい。

あなたが経営者ならば、有限の経営資源をどちらの市場に振り向ければ利益が最大になると考えるだろう?巨大かつ確固とした顧客数を見込めるオーバースペックゾーンを選ぶはずだ。

一方で新しいイノベーションが対象とする、存在するかどうかもわからない市場への経営資源投入は冒険だ。株主の利益要求圧力が高ければ尚のこと、不確かな市場への経営資源投入は忌避されるだろう。

かくして「最大市場に向けて経営資源を最大限投入し、利益を最大化する」という合理的な選択が為された結果、イノベーションを放棄して自らの衰退を決定づけてしまうのである。


イノベーションを引き起こせないのではなく

イノベーションを引き受ける決断ができないこと

その主要因の一つが株主の利益要求圧力であることが

イノベーションのジレンマの本質である



参考:
イノベーションの本質(当ブログ記事)
日本企業のイノベーション(当ブログ記事)
posted by かせっち at 20:46| Comment(2) | TrackBack(0) | ビジネス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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