2010年05月31日

国際親善試合 日本vsイングランド

テレビで見た感想。

・イングランドにボコボコにされるかと思っていたら、思いのほか試合の形にはなっていた。尤も、イングランドは代表メンバーが確定しておらず、選手も本調子じゃなかったようだ。

・ちょっと驚いたのは、イングランドが自陣に人数を割いてがっちり守っていたこと。まるでイタリアのカテナチオを見るよう。確かに監督はイタリア人のカペッロだが…

・ということで、今回の善戦はイングランドが全体的に引き気味だったことが大きい気がする。豊富な攻撃タレントが一気呵成に攻めかかるオランダに日本の守備陣が耐えきれるかどうか。

・オシムが絶賛したように、中盤の底の阿部が良かったように思う。相手の攻撃の芽をいち早く摘み、それを長谷部が受けて攻撃につなげるパターンが機能していた。

・とはいえ、長谷部とペアを組む遠藤の動きはイマイチ。体調万全の中村俊輔が入っていたら、試合展開も変わっていたのではないかと思うのだが…俊輔は間に合わないのかなぁ?

・イングランド相手でもワンタッチパスは上手く回っていた。しかしほとんどが横パスで、ゴールに向かうスピードに欠ける。ゴールに向かわないボールは脅威でもなんでもない。

・ボールの収まりが悪い、無理な所にパスを出す悪癖は相変わらず。そのフォローで無駄に走りまわってスタミナが奪われる。90分間走り切れない一因はこんなところにもあるのではないか?

・枠に飛ぶ強烈なミドルシュートを打てていたのは欧州組の本田と長谷部。流石に欧州で揉まれているだけのことはあるが、Jリーグ組も打てるようにならないと世界では厳しい。
posted by かせっち at 20:48| Comment(2) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月30日

税が生まれる場面

※2010/05/30初出
※2010/06/05修正

政府の税収に関するメモ。

世の中には様々な税金があるが、どのような場面で税金が発生するかを考えた時、以下のような特徴が見受けられる。


支出あるところに税金あり


わかりやすい例は消費税、酒税、たばこ税、ガソリン税、軽油取引税、自動車取得税、自動車重量税等など。これらは物やサービスの対価を支払う時に発生する税金である。

雇用者が労働者に給与を支払えば所得税が発生し、親子の間でも一定額以上のお金には贈与税が掛かる。全ての場面ではないものの、多くの場面で支出には税が伴う。

ということは、増税しなくても支出の場面が増えれば税収増になり、増税すると支出の場面を減らして税収減にもなり得る。これを考えるために、支出の場面で考えた税収の式を以下に示す。


税収=税率×課税対象額×支出の回数


上の式より増税は1回の支出での税収(税率×課税対象額)を増やす。しかし増えた支出金額が支出の回数を減らし、税率アップ分を打ち消して税収減になる可能性を孕む。

一方増税しなくても、課税対象額があがる(高額出費をする)か支出の回数が増えれば税収は増える。これは好景気時の消費行動だから、景気対策は政府の税収増の目的とも合致する。

増税は「即効性があるように見えて、副作用も大きい西洋医薬品」、景気対策は「効果が見えにくいが、結果的に効いている漢方薬」に似ている。無論漢方薬とて用法には注意する必要があるが。


参考:
続 成長こそが全ての解(新世紀のビッグブラザーへ blog)
posted by かせっち at 21:00| Comment(0) | TrackBack(2) | 経済(メモ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月24日

宇宙的視野

【友愛】自民悪政を360度転換し普天間移設問題をゼロベースで見事解決した鳩山総理 沿道から怒号を挙げ叱咤激励する沖縄県民の思いは大歓迎の証だとご満悦(Birth of Blues)

(エントリより)
首相、県民歓迎と認識か

 鳩山由紀夫首相は4日の初来県後、周囲に「自分はそんなに反対されたとは思わない」との感触を漏らしている。周辺によると「首相はむしろ歓迎されたと思っている」という。

 4日は県庁前広場をはじめ、首相が立ち寄る各地で抗議行動が起きていた。しかし首相は「どこでも、同じ人が集まっている印象がある」と感じ、「車で走っているときは(沿道で)みんな手を振ってくれている。ほかの県を訪ねたときと比べてそれほど嫌われているとは思えない」と話しているという。

 このエピソードを聞いた与党議員は「宇宙人にもほどがある。本当に石を投げないと分からないのか」と吐き捨てるように話した。

<略>

沖縄タイムス | 県内反発 不信も増幅 鳩山首相きょう再来県 知事、「困難視」変えず via kwout


いや、もうね…
posted by かせっち at 21:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 政治(民主党) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月23日

「失われた10年」に向かうアメリカ

クルーグマンと財政危機(Klug)

ノーベル経済学賞受賞者がクルーグマン教授が、アメリカは日本のような「失われた10年」に陥る危険性を指摘している。それはまるで三橋氏が以前から主張しているシナリオを見るようだ。

(エントリより)
 過去数ヵ月間の経済論調は、あることが中心テーマになっている。政策当局はやり過ぎではないのか、と。支出を止めるべきである、と。ギリシャが教訓だ、と。

 そして、米国債の利回りが高騰すると必ずマーケットがもっと財政赤字に気を配るように要求している証しだという。インフレがそこまで差し迫っていると警告もあり、また連銀は緩和政策を止め、出口戦略に着手すべきだという警告もある。連銀が資産の売却を行い、金利の引き上げを行うべきだ、と。

 では、1930年以降の記録的水準ともいえる失業率はどう理解すべきなのか?それに雇用が回復しだしたとはいえ、金融危機後に800万もの職が失われたにも拘わらず、まだ回復した数は50万に過ぎない。

 現実は、政策当局者はやり過ぎではないということだ。むしろ足らないのだ。データが示すところによれば、米国はギリシャ型の信用不安に向かっているのではなく、日本の「失われた10年」に向かっているのだ。高失業と低成長の罠にはまった「失われた10年」だ。
posted by かせっち at 19:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

将の将たる器

政治と官僚、政治主導について(さざなみで船酔い)

以前のエントリで「今、日本に必要なのは、官僚支配からの脱却ではなく官僚システムのアップグレード」という意見を紹介した。それに繋がるようなブログの御紹介。

(エントリより)
で、この点に関する私の個人的かつ無責任な意見なのですが、やはり、官僚というのは、高い専門性に裏打ちされた高度な政策立案能力を有する集団ではありますが、その本質というのは、あくまで、戦術家の集まりである、ということです。

これは、官僚個々人の能力云々の問題ではありません。単純に官僚というのは、行政官であり、法令で定められた自らの権限の範囲内でしか、その責任を持ち得ないからです。

要するに、官僚一人一人というのは、それぞれ、そもそも他所様のやる事には、基本的に口を出す権限を与えられていないわけです。更に言えば、法令に基づく、自らのテリトリーの範囲内の事務に関しては絶対的な責任を負わなければならず、また、自らが評価されるのもその限りにおいて、です。

従って、よく、日本には戦術はあっても戦略がないといった類の話というか批判を聞きますが、こんなん当たり前の話です。個々の戦術家が、自らに与えられた権限の範囲内で、戦術を立て、これを寄せ集めたものが、即ち、日本の国家としての意思決定だったわけですから。

で、です。
これまでは、これはこれで上手く機能していたんだと思います。というのも、日本は戦後、安全保障問題をアメリカに委ねることで、政治の対象を、主として経済問題に特化することが出来ましたし、その経済問題にしたって、グローバリズムがそれほど進展していない環境下では、基本的には、国内問題だったわけです。そのような政治環境下においては、戦術レベルでの最適化を図ることが、結局全体の最適化に繋がったのだと考えられます。

長々と書いてきましたが、端的に言えば、官僚の政策立案機能を否定せず、これを最大限活用する事が重要であるのと同様に、この現行体制の限界についても十分に認識する必要があるのではないか、ということです。この認識を十分に持っていないから、セクショナリズムだとか、省益よりも国益だとかの、てんでピントがズレた議論になるんじゃないの?と思うわけです。


政治家の役割とは官僚を上手く使うこと。自民党は官僚に上手く使われて踊らされ、民主党は官僚を使わないで失敗している。真の政治主導とは「将の将たる器」ということなのだろう。


参考:
The Matrix Reloaded(当ブログ記事)
posted by かせっち at 19:38| Comment(4) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月22日

ハイパーインフレになる条件

ハイパーインフレについての考察メモ。

「国債を増発すると貨幣供給量が増えてハイパーインフレになる」という論はオークションの例で説明できる。

オークションの全ての参加者の持ち金が1万円だった場合、10万円の商品が出品されても誰も落札できない。従ってオークションには1万円以下の商品しか出品されない。

ここで全ての参加者の持ち金が100万円だった場合、10万円の商品は落札できる。それどころか誰もがその商品を競り落とそうとして、10万円を大きく超えた金額で落札される場合もある。

このように、オークション参加者の持ち金が商品の落札価格のハードルを決める。参加者の持ち金が貨幣供給量、落札価格を物価とすれば、ハイパーインフレ論にも一定の正しさがある。

ただしこれには隠れた前提がある。それは「オークション参加者の誰もが出品された商品を欲しがっている」ということ。それではこの前提の反対の場合は一体どうなるだろうか?

オークション参加者の誰もがその商品を欲しがらないのだから、値段を下げても参加者にお金をばら撒いても落札されない。落札されたとしても、とても低い金額になってしまうだろう。

「オークション参加者の誰もが出品された商品を欲しがっている状態」とは需要が供給を上回っている状況であり、その反対は供給が需要を上回っている状態だから、以下のようにまとめられる。


需要が供給を上回っているインフレ経済下では

貨幣供給量の増加でハイパーインフレが起こりうるが

供給が需要を上回っているデフレ経済下では

貨幣供給量の増加はハイパーインフレに繋がらない



参考:
モノ・サービスの供給問題(当ブログ記事)
posted by かせっち at 20:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 経済(メモ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月15日

お金は回る

マクロ経済の本質について考察メモ。

経済学を本格的に学んだわけではない自分が、経済関係の本や文献、Web記事などを読み漁った結果、マクロ経済については以下のようなイメージを持っている。


マクロ経済の本質とは「お金は回る」ということ


「金は天下の回りもの」という馴染み深い言葉はそのものズバリだし、最近よく聞く「誰かの支出は誰かの収入」という言葉も「お金が回る」サイクルの一部分を取り出した描写である。

そしてケインズ派、新古典派、マネタリスト等等、経済学派の差は「お金の回し方」の流儀の違いであって、いずれにせよ「お金は回る」というマクロ経済の本質については同じである。

一方、多くの人達は経済を家計簿感覚で捕えたがる。その方が馴染み深いからだが、家計簿は「自分の収入と自分の支出」を表すもので、他者との連携―――即ち「お金の回り方」までは読み取れない。

かくして、マクロ経済を家計簿感覚で捕えている人は「お金は回る」という本質に気づかずにマクロ経済を把握しようとするので、結局のところマクロ経済の正しい理解に至らない。


マクロ経済を家計簿感覚で捕えることは

「大地は平らだ」という目に見える状況を頑なに信じ

「地球は丸い」という本質を理解できないのと同じである
posted by かせっち at 22:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 経済(メモ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月08日

実名の盾 論拠の矛

勝間和代vs.ひろゆきGW決戦 秋に伏線あった(R25)

BSジャパンで放送された経済評論家の勝間和代氏と2ちゃんねる元管理人西村博之(通称ひろゆき)氏の対談について。かみあわない議論と、持論をひろゆき氏に次々と論破されたことにいらついたのか、「だめだこれ」などと番組ホスト役にあるまじき態度をとった勝間氏にネット上で非難が集中。結局勝間氏が自分のブログで謝罪を行うに至った。

この対談では「実名匿名論」という(はっきり言って古臭い)議論が為されたが、これには昨年の秋に伏線があったというお話。

(記事より)
この二人の「匿名・実名論争」だが、昨年10月にすでに始まっていた。毎日.jpの「勝間和代のクロストーク」で勝間氏は「ネット上でも実名で表現を」のタイトルでコラムを執筆。

「ネットがメディアとしての信頼性を高め、既存のメディアと肩を並べる存在になるには、表現者が自分の名前を開示し、責任の所在を明らかにすることが不可欠だと私は考えています。匿名コミュニケーションのままでは、いつまでもネットは周辺メディアの位置にとどまるでしょう」
「ネットを過激な陰口の場にしないためにも、思い切って、実名主義を進めてみませんか。それによって、コミュニケーションが円滑になるほか、ビジネス面での利用の際の信頼性も高まると確信しています」
と主張した。

この直後、ひろゆき氏はブログで勝間氏の名前は言及せずに
「基本的には、匿名派の人は、会社バレして面倒が起こるとかのデメリットの話をしているのに、実名派の人は、実名にはこんなメリットがあるよみたいな意見が多いのですね」
「匿名派の人は、相手の意見も踏まえた上で判断してるわけですが、実名派の人は、相手の意見に耳を傾けずに、自分の主張だけを声高に叫ぶ人が多いように見えるわけです」
と書いた。


ひろゆき氏の最後の指摘は興味深い。

自分の主張の論拠がテッパンでない限り、声高に叫ぶだけでは相手を説得できない。相手から指摘される批判・矛盾に対する答えに窮した時、最後に拠り所になるのは何か?

「自分の立場」である。

「自分の立場」が主張を正当化し、例え論拠不確かな主張を声高に叫んでも、「自分の立場」が盾となって批判をかわせる。そして「自分の立場」は自分の名を名乗ることで保証される。

「論拠の矛」の稚拙な扱いを「実名の盾」でカバーして議論する手合いが生命線である「実名の盾」を放棄するはずもない。彼らが実名論者に一致するなら、実名に拘る理由はここではないか。

もし彼らがそうではないというのであれば、「論拠の矛」だけで攻守戦う匿名論者達の議論の場に飛び込んでみればいい。手持ちの「論拠の矛」が鋭ければ、それで十分戦えるはずだ。
posted by かせっち at 10:46| Comment(4) | TrackBack(0) | 論考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月07日

タチュタタチュタ。クララがタチュタ(part146スレ)(日本びいきの外人を見るとなんか和むスレのまとめ)

日本人を鏡に例えて説明する外国人。

(エントリより)
182 :おさかなくわえた名無しさん :sage :2010/03/30(火) 20:24:24 (p)ID:ErEPKQhE(2)
身体の大きなクマみたいな青い眼のオッサンが、こんなこと言ってた。

「日本ってのは没個性というより鏡なんだ。
 拝金主義者が見れば拝金主義者に見える。
 スケベが見ればスケベに見える。
 好戦的な者が見れば好戦的に見える。
 差別主義者が見れば差別主義に見える。
 けれど礼儀正しい者が見れば礼儀正しく見える。
 優しい者が見れば優しく見える。
 好奇心旺盛な者が見れば好奇心旺盛に見える。
 義理堅い者が見れば義理堅く見える。
 みんなの言うことを聞くとわけわからないよ。
 確かに日本人は、相手に染まりやすいね。
 けど一枚の鏡だと思えばどうだい?
 日本人がどう見えるか聞けば、そいつがどんなヤツなのかわかるんだ」

和めるかどうかわからんけど、思いだしたから書いてみた。


“あけましておめでとう→あけおめ”の場合、“あ、なるほど→(     )”(part132スレ)(日本びいきの外人を見るとなんか和むスレのまとめ)

実は似たような話が以前取り上げられていて。

(エントリより)
419 :おさかなくわえた名無しさん :sage :2009/10/03(土) 15:46:20 ID:O3pWojua
外国人の多い職場に勤める知人から聞いた話。

アメリカから来たばかりの黒人が嘆いていた。
「日本人は白人が好きだ、差別が無いと思っていたがやっぱりある」
どうしたんだと知人が慌てて聞くと、
「電車で自分の隣が空いていても、人が座らない」
「白人の同僚はそんな事は無いと言う」
確かにその黒人、ちょっと怖い外見だが、白人の方もメタボででかい。
偶然だよと言っても納得しないので、慰めるためにその日は一緒に飲みに。

帰りの電車で知人は気付いた。

知人「お前……足広げて浅く椅子に座るのやめろ」
アメ「Huh?(´・ω・`)」
知人「人種うんぬんの前に、ガラが悪くて近寄りたくない」
知人「お前の隣に座ったら、何されるかわかんないと思われてもしょうがない」
アメ「!!( ゜ω ゜)」

そしてお行儀よく座るようになったら、すぐ隣に人が座るようになったと。
「小さいおばーちゃんと、女子高生が隣に座ったよー」とほくほくしてたそうだ。

そのアメ人が最近言ってたそうだ。
「日本は鏡のようだ。礼儀正しく生きていると、礼儀正しくしてもらえ、礼儀正しい友人ができる」
「自分の周りにいる人々を見れば、自分がどう生きているのかわかる」
それはアメリカでも一緒ではと思うが、違うもんなのかね。


御神体が鏡という神社が結構あるが、それは鏡に映る自分を見させて「神の如く清らかにあれ」という警句を与えているのかも。
posted by かせっち at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

守破離

中国の民間企業、「旬は3年」のワケ(日経ビジネスオンライン)

飛ぶ鳥を落とす勢いと報じられることの多い中国企業。しかし東京大学丸川教授によると「会社としての旬の期間が3年間しかない」とのこと。人材の流動性の高さ(=会社への定着率の悪さ)が要因となっているが、もうひとつ中国企業ならでは原因を指摘する。

(記事より)
 ―― 最近の日本企業はともかく、欧米の企業も人材の流動性が高いことは知られています。なぜ中国企業はキーパーソンがいなくなると会社が傾いてしまうのでしょうか。

 やっぱりそれは自力で研究開発しているかどうかの違いではないでしょうか。端的に言えば、これまでの中国企業は外国の模倣で成長してきたわけです。それはコピー能力が優れた人材がいたからうまく行ったわけで、その人物がいなくなってしまえばその会社も終わりということです。

 一方、日本企業や欧米企業の多くは苦労してでも自分たちの力で研究開発をする。そうすると、例え主要人物がいなくなったとしても、その会社に技術や核となるアイデンティティは残る。私はそのように考えています。


「コピー能力に優れた人材」って…(苦笑)確かにコピーも才能を必要とするが、コピーだけじゃやっていけないわけで、コピーの達人が居なくなったら傾く会社ってどうよ?


まだまだ「守破離」の「守」レベルなのかねぇ
posted by かせっち at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国(経済) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ターゲット・マーケティング

小売不況の実態(MPJ)

マーケティングの一手法「ターゲット・マーケティング」についての解説。

(エントリより)
 小売業が成功するパターンはいくつかある。当然、地域特性があるのだから、一概にこれとはいえないが、欲しいものを買うということが顧客の基本にある以上、「お客が求めるもの」「良いもの」を「安く」提供すれば小売不況は起こらない。逆に言えば「欲しいものがない」「欲しいものがあっても手が出ない」から、モノが売れないといえよう。

 では、「欲しいもの」とは何か。こうなると議論が分かれてくる。細かく言えば、「十人十色」であるから、基本的には、画一化することはできない。しかし、ある程度パターン化しなければ、売る側は品ぞろえができなくなってしまう。

 ということで、小売店が良く行っているのが、「マーケティング」というものになる。要するに、地域や顧客の特性から、または競合店の調査から「その店でほしいもの」は何かを調査することだ。

 これに対し、顧客を限定することによって、その内容をより一層絞り込むこともできる。これが「ターゲット・マーケティング」である。そんなに難しいことではない。洋服屋で「紳士服」「婦人服」と分けるのは、立派な絞り込みだ。このほかにも「年齢層」「未既婚」「子供の有無」「年収」「生活様式」など様々な要素で絞り込むことが可能である。


ポイントは、ターゲットを絞り込むか、絞り込まないか。「絞り込む小売」の最先端はPOSデータを駆使するコンビニで、「絞り込まない小売」はネット販売が台頭しつつあり、絞り込みが中途半端な小売りが退潮傾向にある、ということらしい。
posted by かせっち at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月06日

The Matrix Reloaded

ルーピーが総理に任命されるという異常事態を招いた任命責任の所在(日本アンチキムチ団)

(エントリより)
鳩山由紀夫が嘘付きで無責任でカルト脳で世間知らずの世襲の最悪な例なんて事は政権交代以前から分かってたことで、今更「総理の資質が無い」とか言って叩いてもしゃあないわけで、問題の本質は

明らかに総理の資質が無い人間が総理に
任命されてしまう日本の民主主義の欠陥


なんですね。それが政権交代により露見してしまったわけです。(w

要するにAKCが以前主張してたように、日本はまだ民主主義国家として自立は無理(米帝の植民地が相応しい)という実態が証明されてしまったわけです。(w

未だに米帝にケツ持ってもらわないと何もできないわけですよ、日本は。(w

民主主義国家として自立は無理なわけですから当然「官僚主導から政治主導への切り替え」なんて無理なわけです。正確に言うと可能ですけど政治主導に切り替えたところで期待できる結果は官僚主導の方がマシって話です。(w

現時点では例え自民党、みんなの党またはどんな「愛国的(笑)政党」が政権の座に付いた所でダメダメなわけです。だって上級官僚より総合的に見て能力的に優れた政治家なんてほとんど居ないわけですから。みんなの党にしろ自民にしろ民主党よりマシだとしても小粒揃い。政治主導に切り替えたら国の運営は必ず劣化します。(爆w

で、どうすれば良いかと言うと・・・

今、日本に必要なのは、

官僚支配からの脱却ではなく

官僚システムのアップグレード。


なんですね。


その発想は無かったわ…
posted by かせっち at 22:04| Comment(0) | TrackBack(1) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月03日

業務連絡

友達のお誘いでGWの予定が埋まった関西の某に告ぐ。


貴様にうってつけのスイーツ(笑)が見つかった

今すぐ山口に飛べ!



わずか「24キロカロリー」のケーキ(エキサイトニュース)

(エントリより)
「ケーキは別腹なの」という女子のキマリ文句があるが、ちっとも別腹じゃない。ケーキを食べれば体重に響くし、体型にだって反映される。言うまでもない。

だが、このケーキはハッキリ言って特別。食べるのに、ためらいが要らないかもしれない。山口県のケーキ屋さん「お菓子のピエロ」でつくるケーキ『カロリーショート』は、まさに大ニュースなのである。

俗に、通常のショートケーキ1個は344キロカロリーと言われている(日本食品成分調べ)。だけど、この『カロリーショート』は1カット驚異の24キロカロリー! 計算してみると、通常の約14分の1である。
ということは、このケーキを14個食べたとしても、通常のショートケーキ1個食べたのと同じカロリーしか摂取しない。別に、無理して14個食べる必要もないのだが、もうバクバク食べてしまいそう。


14個食べる、貴様の姿が目に浮かぶ…(笑)
posted by かせっち at 18:53| Comment(4) | TrackBack(0) | ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月02日

光から生まれる影

先日のエントリでとりあげた、カール・シュミットの「敵」の三類型について追加論考。

政治における「敵」の三つの類型(雪斎の随想録)

(エントリより)
 @ 在来型の敵
 A 現実の敵
 B 絶対の敵
 @は、ゲームにおける「敵」のイメージである。サッカーのチームが、相手チームの監督を「敵将」お呼ぶイメージである。だから、「敵」に対する憎悪の感情は、ほとんどない。戦争が終われば、「敵」とも握手して別れる。

 Aは、自分の安全や利害に対して、リアルな脅威を与えてくる「敵」である。故に、「在来型の敵」とは違って、憎悪の感情がむきやすい。野球の試合で、ビーン・ボールが投げられた途端に、乱闘に発展することがあるのは、「在来型の敵」が「現実の敵」に変わったことを例であろう。逆にいえば、「現実の敵」」が、具体的な脅威を与えないようになれば、妥協し、共存してていくことは可能だということになる。

 Bは、自分が奉ずる「正義」の実現に際して、その実現を邪魔しようという「敵」である。「正義」は、妥協の難しいものである。妥協は、「正義」の純粋性を汚すものと意識されるからである。妥協のできない「絶対の敵」とは、排除するか根絶するかの何れかしかなる。それは、自分にリアルな脅威を与えているかは、あまり関係がない。フランス革命からクメール・ルージュに至るまで、幾度となく繰り返された阿鼻叫喚の風景は、この「絶対の敵」の根絶の風景である。


上記の三類型を基にすると、革命政権が批判者に対して「反革命分子」のレッテル張りをする理由が説明できる。

Bの「絶対の敵」とは自分にとっての正義を阻むもの、言い方を変えれば自分の正当性を侵すものである。仮にそれが現実の脅威でなくても、自分の正当性を侵すものは許し難い存在である。


では革命政権にとっての正当性とは何か?

それは「前政権の否定」である



革命勢力は、前政権下では統治経験を持たないため、その未熟な統治能力は正当性の担保になり得ない。よって前政権の問題を突き、前政権を否定することが革命勢力の正当性の根拠となる。

晴れて革命が成就し、革命政権による統治が始まると、早晩彼らの未熟な統治経験が露呈する。革命に浮かれた国民からも不満が噴出し、前政権の統治を懐かしむ声も出始める。


「こんなことなら、以前の方がマシだったじゃないか!」


しかし「前政権の肯定」こそが革命政権の正当性「前政権の否定」への侵害であり、彼らにとって許容できるものではない。だから彼らは批判者に「反革命分子」のレッテルを張り、妥協なく粛清する。

結局のところ、自分たちの統治能力の未熟さが招いた批判であり、自らが放つ光によって生まれた矛盾という名の自分の影を、悪魔と罵って叩いているだけである。


参考:
「敵」の三類型(当ブログ記事)
posted by かせっち at 20:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月01日

「敵」の三類型

「反革命分子」の思考(雪斎の随想録)

民主党青森県連代表が民主党批判者を「反革命分子」と称したことに対し、雪斎禅師は批判を加える。

(エントリより)
 「反革命分子」などという言葉を平気で使う感覚の下で行われた政治は、もはや政治ではない。政治という営みの前提は、たとえばハンナ・アーレントが指摘したように、「多様性」への愛着があることである。凡そ、「反革命分子」という言葉を使う論理からすれば、「反革命分子」とは、排除と根絶の対象にしかならないl。それは、フランス革命期の「ジャコバン派」から、二十世紀中国の「紅衛兵」やカンボジアの「クメール・ルージュ」に至るまで、繰り返し再現された光景である。


政治における「敵」の三つの類型(雪斎の随想録)

前述のエントリに「政敵を抵抗勢力と呼んでいた小泉はどうなのか」という反応があり、これに対して雪斎禅師はカール・シュミットの「敵」の三類型を下敷きに反論する。

(エントリより)
 @ 在来型の敵
 A 現実の敵
 B 絶対の敵
 @は、ゲームにおける「敵」のイメージである。サッカーのチームが、相手チームの監督を「敵将」お呼ぶイメージである。だから、「敵」に対する憎悪の感情は、ほとんどない。戦争が終われば、「敵」とも握手して別れる。

 Aは、自分の安全や利害に対して、リアルな脅威を与えてくる「敵」である。故に、「在来型の敵」とは違って、憎悪の感情がむきやすい。野球の試合で、ビーン・ボールが投げられた途端に、乱闘に発展することがあるのは、「在来型の敵」が「現実の敵」に変わったことを例であろう。逆にいえば、「現実の敵」」が、具体的な脅威を与えないようになれば、妥協し、共存してていくことは可能だということになる。

 Bは、自分が奉ずる「正義」の実現に際して、その実現を邪魔しようという「敵」である。「正義」は、妥協の難しいものである。妥協は、「正義」の純粋性を汚すものと意識されるからである。妥協のできない「絶対の敵」とは、排除するか根絶するかの何れかしかなる。それは、自分にリアルな脅威を与えているかは、あまり関係がない。フランス革命からクメール・ルージュに至るまで、幾度となく繰り返された阿鼻叫喚の風景は、この「絶対の敵」の根絶の風景である。

 民主主義下の政党政治における「政敵」とは、@のレベルの話である。政治家という職業で「生計」を維持するような類の政治家jならば、「議席を失ったら食えなくなる」ということで、議席を奪おうという政治家にリアルな脅威を覚えるかもしれないということで、Aのレベルがあるかもしれない。けれども、それは、例外であろう。

<略>

 然るに、民主党青森県連代表が用いた「反革命分子」というのは、「人類の敵」、「民族の敵」、「階級の敵」と同じ意味合いで、Bの「絶対の敵」を指す言葉である。もし、件の県連代表が、それを知っていて使ったのであれば、民主主義体制下の政党政治家としての資格を疑うに十分な振る舞いであろう。もし、知らないで使ったのであれば、「彼は、政治学教授を務めた割には、カール・シュミットも読んでないなかったのか」という話になる。彼は、民主党、さらにいえば小沢一郎幹事長を批判する人々とは、間違いなく妥協できないと感じているのであろう。いずれにせよ、議会政治の世界で、使われるべき言葉ではない。「言葉尻をとらえている…」などという弁護は甘い。彼は、政権与党の一員として具体的に「権力」を握っているのである。大学教授が語っている言葉とは違うのである。
posted by かせっち at 20:55| Comment(0) | TrackBack(1) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

MacBook

自分はLet's Note(Panasonic)というWindows Noteの他にiMac G4を持っている。メインで使うのはLet's Noteだが、たまにMacの方が都合がいい作業もあるので、その時はiMacを使っている。

だがこのiMac G4のPowerPC 800MHz&メモリ256MBというスペックは、今となっては流石に貧弱で、最近ではWebを見るのにも苦労するようになってしまったため、新しいMacに買い替えることにした。

「できるだけ金はかけない」「こたつで使うためにノート必須」「FireWireは要らない」という条件の結果、MacBookの一番下のグレードに決定。ただしメモリは最大に増設して、Apple Storeでぽちっとな。


かくして、本日着弾。早速使用。


クロックが約3倍なので当然だが、流石に動作は機敏。画面もiMac G4と遜色ない。強いて不満をあげるなら2kg強の重量。同クラスのWindows Noteに比べると重い。Macのノートは「持ち運ぶもの」であって「持ち歩くもの」ではない、ということか。


てな訳で 連休中はMacの環境移行作業に勤しみます

「鏡餅&蠅叩き」iMac G4はただのオブジェになります
posted by かせっち at 20:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 物欲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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