2008年11月30日

プロとアマの差

プロ魂(ぐっちーさんの金持ちまっしぐら)

(エントリより)
出張から帰ってきてふらふらとシャツの整理などをしつつニュースでも見ようとテレビをつけたら王監督が出ておられる。「プロ魂」というスペシャル番組のようですね。こういうのを作るからたまには受信料を払ってもいいような気になるね、NHKも。

やはりすごいですね、王監督。普通に淡々とおっしゃる・・・・

人間だからミスをする、間違えて当たり前だ、とおっしゃいますよね。でもプロなんです、僕たちは。プロっていうのはミスをしちゃーいけない。100回やったら100回、1000回やたら1000回全部成功させるのがプロなんです。それを目指さなきゃ−いけない。いいよ、仕方ない、気にするなよ、大丈夫だ、とうのはほかの人、お客さんとかがいう言葉でしてね、自分で言ってはいけないんです。

思わず顔面に力をいれて聞いてしまいましたよ。そう、そうなんですよ。そのとおりなんですよ。自分で仕方ないとかいっちゃーいけませんよ。


1回でも100点を取れば褒められるのがアマ

毎回100点を取ることを期待されるのがプロ



自分もこの番組は見ていた。自分はプロとアマの差を上記のように考えていたので、王監督の言葉には膝を打ったものである。
posted by かせっち at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ&ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月29日

差別と非差別の間・はじめに

突然ではあるが、「差別」ということについて考えてみたい。

ネットに対する槍玉の一つに「ネットには差別的言動に満ち溢れている」がある。確かに当たらずとも遠からずではあるが、その一方でマスメディアが取り上げる「その言い方は○○に対する差別だ!」という主張も、本当に差別といえるものか首を傾げることもある。

これは「差別」というものの言葉の定義がきちんと為されていないことにある。勿論広辞苑やWikipediaなどに当たれば字義的な定義は為されているだろうが、それが広く受け入れられていないか、「差別」という言葉を使う人が都合よく使っているのかもしれない。

そこで自分は差別と非差別を次のように提起する


その存在を以ってする非難は差別であるが

その行動を以ってする非難は差別とは言わない



その人の「存在」とは変えることができないこと、本人が選択できないこと。例えば出自、肌の色、身体的特徴などは本人の選択の余地なく、変えることもほぼ不可能だ。変えることのできないことを根拠に合理的な理由無く排除されたり非難されたりすることは理不尽なこと。故にこれは差別的と言えよう。

その一方で「行動」は変えることができ、本人が選択できることであり、その責任は行った本人が取るべきものである。だから日本人だろうが韓国人だろうがアメリカ人だろうがアフリカ人だろうが、アイヌだろうが在日だろうが同和だろうが、悪いことをすれば悪いと非難することは至極当然である。

上記が基本スタンスである。これは自分が掲げた仮説に過ぎない。この仮説が正しいかどうか、今後様々な事例を取り上げて検証していく。その過程で仮説の適用範囲を限定したり、仮説自体を修正する必要に迫られるかもしれない。しかしそれで「差別」そのもの理解が深まるのであれば、それは望むところ。

以上、開始の言葉として。
posted by かせっち at 22:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 論考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Jリーグ第33節 鹿島vs磐田

…そりゃね、今の磐田じゃ鹿島に勝てるとは思ってなかったよ。

でも守備陣の意識が高くて鹿島と互角の勝負になっていたから

勝てなくても引き分けに持ち込むくらいはできると思ったよ。

その上、既に千葉が清水に負け、東京Vも横浜Mに負けてたから

勝ち点1を拾うだけでも御の字だったのに…


あそこまで頑張ってたのに点取られるかぁ!?(号泣)

勝負の女神は非情だ!!!(号泣)



嗚呼、最後のFK、ドーハの悲劇を思い出してしまった。

監督もオフトだし。
posted by かせっち at 16:13| Comment(2) | TrackBack(0) | スポーツ(J1) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月25日

的を差し出したのは誰か

「マスコミが官僚を叩いたから官僚が殺された」(CNET Japan Blog・夢幻∞大のドリーミングメディア)

(エントリより)
 これから書くことは、皆さん、想像してはいけないことだ。だが、想像してしまった。だから書く。
マスコミが官僚を叩いたから官僚が殺された」これは、マスコミにとって一番想像したくないことである。CNET Japanの読者ブロガーのエントリーで「オバマは殺される」というのがあったが、これは、口に出していけないけど、心のそこにあったはずだ。同じように、「マスコミが官僚を叩いたから官僚が殺された」というのもきっと心のそこにあるかもしれない。マスコミにとって、官僚とは「悪の象徴」であって、不特定多数だから意味がある。ある意味、暴力団と同じ扱いである。特定の人間が殺されると、ちゃんと殺す理由がないと困るのである。もし、捕まった犯人が「マスコミが官僚を叩いたから」という理由だったら困るのである。そうなると、誰も叩けなくなるからだ。


上記のブログは小泉容疑者が警察に出頭する前に公開されている。最初に読んだときは「可能性は無くはないが、まさかねぇ…」と思っていたが、小泉容疑者の「官僚は悪い奴だからやった」旨の供述がもれ伝わるに至り、このブログを思い出した次第。

以下、似たような趣旨の記事より。

「襲撃犯」出頭でも闇は深い(泥酔論説委員の日経の読み方)

(エントリより)
彼が「デッカイこと」と認識したのは、官僚はケシカラン、天下り役人はケシカラン、厚労省はケシカランというメディアが散々喧伝してきたことと軌を一にしています。
「マスコミ報道を鵜呑みにして間違った『正義感』とやらで凶行に及んだのではないでしょうかね」、と先日書きましたけど、おそらくこういう輩にとっての「社会の窓」はテレビメディアでしかなく、それが報じる内容と三十数年前の自己体験とを無理矢理重ねたのが事件の真相であり、それ以上でもそれ以下でもないと考えます。


元事務次官襲撃事件と 時代の変節点(日経BP)

(記事より)
 確かに、被害に遭われた元事務次官やその妻らが恨まれる筋合いはない。夫・山口剛彦さん(66)とともに殺害された妻・美知子さん(61)は、春頃にがんを患い、術後療養中だった。ようやく体力が回復し、12月には地元の旅行クラブへの参加も予定していた。妻のサポートのため、山口元事務次官は、福祉医療機構の理事長を今年3月に退職していた。静かな余生と平穏な日々を過ごしたいからだ。翌日に襲われた吉原元事務次官宅も同様である。

 ただし、恨まれる人柄ではないが、「恨みをかうような報道」はされている。メディアの年金制度批判では、その制度を誰が作ったのか、その本人は天下り、巨額な退職金を得ているといった内容が、連日連夜、報道されていた。


尤も、小泉容疑者の供述は支離滅裂であり、その内容を単純に信用できるものではない。しかしもし彼が「マスコミが官僚を叩いているから、やっても構わないと思った」と供述を始めたら、メディアはどう落し前をつけるのだろうか。
posted by かせっち at 21:46| Comment(2) | TrackBack(0) | メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月23日

そこに反面教師は居らず

上の水が濁ってるから、下の水も濁ってる(月見櫓)

ブログ主は韓国人相手にチャットをした経験から韓国人の思考や行動を考察し、その結果をこのブログで紹介しているが、これに対して時々反論や反駁を受けるという。

その一つが「チャットに来るのは十代の子供が多いから(子供の言ってることだからまともに受け取るな)」というもので、ブログ主自身もある種納得していた。

しかしこの子供特有と思われていた現象が、実はやはり韓国人全体の特徴なのではないか、というお話。

(エントリより)
こういうのは最早彼らの典型的なパターンのひとつで、しかも実のところは十代の馬鹿子供に限ったことではありません。しかしチャットに来るのは、比較的若い人が多いというは事実なので、「経験も思慮も教養も浅い子供や若者」だからこその、馬鹿発言や蒙昧行動なのかと思っておりました。

しかし、実際にはチャットで見られる彼らの幼稚性や狂気に基づく言動と、例えば韓国人の大学教授や企業家、政治家などの社会的地位があり、教養も経験も豊かなはずの人々の言動が、非常にしばしばオーバーラップします。

これを今までは「社会的地位があり、教養も経験も豊かなはずの韓国人が、チャットの馬鹿子供と同レベルに落ちているのか」と嘲笑っておりましたが、最近、もしかして逆じゃないか?と思うようになりました。

「逆」というのは、韓国人の大学教授や企業家、政治家などの社会的地位や教養、経験ある人々の言動を、チャットに出現する子供たちがトレースしているのではないだろうか、ということです。

「社会的地位や教養ある韓国人士が、チャットの馬鹿子供と同じレベルに落ちている」のではなく、「チャットの子供たちと社会的地位や教養ある韓国人士のレベルに大差がない」ということです。


子は親の背中を見て「粗雑」(笑)
posted by かせっち at 22:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国・朝鮮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

未来を差し出したツケ

内需拡大についてのご意見募集(代表戸締役 ◆jJEom8Ii3Eの妄言)

金融危機とそれに伴う世界的な景気後退が現実味を帯びる今、外需に頼れなくなった日本のとるべき道は内需拡大。しかしてその方策は?

(エントリより)
私は内需の減退要因に、少子高齢化が大きく作用していると考えています。
日本の金融資産の60%以上を65才以上の高齢者が保有していると言われています。
そして、団塊世代の引退を含め、日本の人口ピラミッドは大きな歪みを抱えています。
資料
高齢者問題
http://blogs.yahoo.co.jp/daitojimari/folder/1547415.html

私は、このような歪みを改善することが最大の課題であると考えました。

そこで、次のような提言をいたしました。

現在の贈与税を緩和し、親族間の免税限度を時限的に引き上げる。
世代間の資金流動化を促進し、消費世代である若年層への資産の移動を促進する。


もし失われた10年のとき、正社員の給料を減らしてでも就職氷河期の世代を受け入れていたら、30代の中堅となった彼らが消費の中心となり、内需の計算が立っていたものを…と、自分は思うのである。


目前の危機を避けるために未来を差し出したツケは

今も、そしてこれからも続くように思われてならない



参考:
消費行動の格差(当ブログ記事)
posted by かせっち at 21:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 世代間問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

香嵐渓2008

巴橋より

奥三河の紅葉の名所、香嵐渓までドライブしてきた。走ったルートは以下の通り。

浜松市内

国道257号

長篠

県道32号

田峰

国道257号

稲武

国道153号

足助(香嵐渓)

国道420号

田峰

国道257号

長篠

国道257号

浜松市内


愛知県豊田市足助(あすけ)にある香嵐渓へは豊田市から国道153号で東進するのが通常ルート(観光案内にもそうある)。しかし紅葉の時期は豊田市や名古屋市から押し寄せるマイカーで渋滞する。

一方足助の東側には大きな町がなく、同じ国道153号でも渋滞することは稀。そこで浜松から国道257号を北進して足助の東隣の稲武まで行き、そこから国道153号を西進して足助に行く。

ところで、国道257号を北進する際、途中の長篠(そう、「長篠の合戦」で有名なあの長篠だ)と田峰の間は県道32号(鳳来長篠線)を走ることをお勧めする。

並行して走る国道257号はワインディング・ロードの上に、センターラインも引いていない狭い道多く、対向車の通り抜けに苦労するからだ。県道側の方が整備が行き届いている。

同じことが田峰と足助を直接結ぶ国道420号にも言える。稲武を経由するより距離的には短いが、途中の道が狭すぎる。帰途でこの道を使ったら、対向車のすれ違いで雪隠詰めになるところだった。

帰途でわざわざ道の狭い国道420号と257号を選んだのはこれら道が整備されているか確認するためだったが、完全に期待外れ。今後も整備される気配もなさそうだ。

ということで、浜松から足助に行くには稲武経由で行くのが現時点ではよさそうだ。長篠〜田峰間の国道257号、田峰〜足助間の国道420号は単車でもない限りお勧めしない。

最後に、紅葉の時期は香嵐渓近くの駐車場はすぐに一杯になる。満車になる前に早めに到着するようにするか、少し離れた場所の設置される臨時駐車場に停め、香嵐渓まで歩くこと。


参考:
香嵐渓(Wikipedia)


以下、今回撮った写真。

続きを読む
posted by かせっち at 16:34| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月22日

ブレーキも必要

「市場」優位の時代は終わったか。(雪斎の随想録)

アメリカ政府によるビッグ3救済支援の問題を枕に、経済に対する国家の関与の仕方についてのお話。

(エントリより)
 このように考えれば、「国家か市場か」という二者択一的な議論の仕方は、粗雑なものでしかないし、「『市場』の優位の時代の終焉」云々という議論もまた、先々の経済社会の姿を展望する上では却って要らぬ誤解を世の人々に与えるものでしかない。国家という枠組は、結局は、人々の自由な活動を支えるためのものである。さらにいえば、筆者が想定する「国家の役割」の根幹とは、「国家は、普段は鬱陶しいものであってはならないけれども、必要なときには必要なことができるようでなければならない」というものである。現下の金融危機は、その時間がどれだけの長きに渉るかはともかくとして、「必要なときに必要なことができる」ことが国家に要請されている局面であるということを示しているに過ぎないのではなかろうか。


今日は久しぶりにロング・ドライブをしてきた。その時の模様は別途上奏するとして、ドライブの最中に「経済政策は車の運転に似ている」と考えた。

車の運転はアクセルを踏んでスピードを上げ、ブレーキを踏んでスピードを落とすのが基本。でも運転が上達してくると、アクセル操作だけで道路の状況に適したスピードをコントロールできるようになる。こうなってくると、普段のスピードコントロールはアクセルで行い、ブレーキは車を停車させるときのみという運転の仕方になる。

これを経済政策に例えると、車の運転は「経済」、アクセルは「金融政策」、ブレーキは「政府による介入」ということになろうか。つまり経済は金融政策でコントロールするのが「上手な運転」で、政府による介入を許すことは「のべつ幕なしにブレーキを踏むような下手な運転」ということになろう。

更に言えば、信号機は「政府による規制」にあたる。安全運転のために儲けられた信号機も裏返せばスムーズな運転の邪魔。数が多すぎれば渋滞の原因にすらなる。すると「そんな信号機は撤去して、楽に運転できるようにしてしまえ!」という声があがる。これは規制緩和派の言い分に相当する。

それじゃ信号機(規制)を取り払い、バイパスや高速道路(グローバル経済)を作ってビュンビュン走れるようにしよう。なぁに、阻むものは何もないから、アクセルワーク(金融政策)だけで運転(経済)はOKさ!―――ってことになりそうだけど、それでもやっぱりブレーキを踏む場面はあり得る。

例えば先の方で渋滞で車が止まってた、カーブが想定以上にきつかった、不意に歩行者が飛び出してきた。このような場面では仕方がないからブレーキを踏まざるを得ない。寧ろこのような状況でもアクセルワークだけで回避しようとしたら、間違いなく事故を起こしているだろう。

このように例えると、金融政策が万能で政府の関与を嫌う経済政策は「ブレーキが壊れたダンプカー」(古い…)を扱うようなもので、一度コントロールを失うと誰にも止められない。よって今のような非常事態には政府の関与というブレーキが必要なのだと思う。

…こんなことをドライブ中に愚考したわけだが、「国家は、普段は鬱陶しいものであってはならないけれども、必要なときには必要なことができるようでなければならない」という雪斎氏の指摘に、その意を強くした次第である。
posted by かせっち at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済(メモ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

下の世代のために

最近心に響いた言葉(付:国籍法改正案)(ぼやきくっくり)

(エントリより)
■「正論」08年12月号【軍学者が読み解く自民、民主のアキレス腱 「日本文明」を護れぬ者に政権を担う資格なし】より
 軍学者の兵頭二十八さんの言葉
 そもそも縄文時代から続いている日本文明の美質とは何なのか?壮年者が若年層のために苦労を買って出る――という「持続のマナー」であった。これはシナ文明の真逆である。このゆえに日本文明はシナ文明とは決して相容れないのだ。

 聖武天皇は、日本を持続させるために苦労してシナの間接侵略と戦った。だから追号に「武」の字が贈られている。

 壮年者が若年者のことを我がことのように真剣に考えてきたから、日本文明はこんなに長く持続し、しかも「日本国家=日本文明」であり得ている。逆にシナ文明は、若年者を常に老年者の奴隷(あるいは喰い物)と見る文明だから、政体は次々に革命で倒される。国土は汚染され、資源も根こそぎ濫費され、人民は使い捨てられるのだ。

<略>

 半世紀以内に死に絶える老人の福利だけを考えたなら、外国から元気な下層労働者を何千万人でも入れたらいいわけである。己れの党に投票しそうな外国籍人に参政権を与えればいいし、役所の窓口にイヤガラセにやってくる「在日」やヤクザたちに、法の下の不平等に他ならない特権を約束して帰ってもらえば自分一代は楽だろう。選挙の支持母体たる公務員労組のサボリを罰せずに公的年金保険加入者に泣きを見させておき、他方で財源のアテのないバラマキ政策を鼓吹することもできよう。

 しかしそれでは日本文明は持続できずに終焉する。後任者は呻吟する。無論、法の下の平等が破壊された空間では、近代自由主義など消し飛ぶ。税金を払わぬ特権成金が国会を支配する。次の世代には重いトラブルと不幸とが贈与されよう。否、次の世代は、物の考え方がもはやシナ人と同列になっているであろう。「エージェント・スミス」ばかりの日本国ができあがるのだ。


ああ、なるほど(納得)


だとすると「息子の世代」である自分は、下の世代に何をしてあげられるだろうか。


参考:
15年ずれた世代論(当ブログ記事)
posted by かせっち at 20:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 世代間問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

波及効果の恐ろしさ

メディアの連鎖反応が引き起こした「津波」(不可視型探照灯)

今回毎日が引き起こした誤報記事の罪深さは、単に影響が毎日新聞の紙面だけに留まらず、TVのニュース番組でも紹介されて拡散したことにある。

(エントリより)
 → マッチポンプが引き起こしたという次元では済まない、背筋が凍りつくような恐ろしさを感じる。

  記者が見つけたひとつのネタ。
    記者のネタが警察にぶつけられ、
      警察の担当者がそれを否定せず、
        デスクが、ネタの裏づけなどを念のために確認し、
          校閲が記事の内容を確認し、間違いがないと判断すれば
            即ち、それは警察が『慎重に捜査を進めている」という文章に。
              新聞はそこから印刷され、物流に乗り、各家庭や店頭に並んでいく。
                それだけではない、テレビメディアがその記事を2次利用して発信される。

 そのネタに、実は「間違い、ミス、ノイズ」があったとしたら?
 テレビでそのまま報道されたとしたら?記事を鵜呑みにされて、適当な「コメント」が流れてしまったら?

 むしろ、その間違いすら「黙殺」されたとしたら?


参考:
基本すらできてない(当ブログ記事)
ソース・ロンダリング(当ブログ記事)
posted by かせっち at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 毎日新聞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月21日

コーヒー注意!

民主党の菅氏は社民連時代の1989年、韓国当局に逮捕・投獄されていた在日韓国人政治犯の釈放を求める要望書に署名。ところがその政治犯リストの中に、日本人拉致に関わった辛光洙が含まれていた。

北朝鮮による日本人拉致が明らかになった後、NHKの政治討論番組において、拉致問題の解決に深く関わってきた自民党の安倍氏にこの一件を面前で指摘され、しどろもどろに釈明する一幕があった。

その時の映像がBGMを付けられてニコニコ動画にアップされている。


<<<注意!>>>

決してコーヒーを飲みながら見ないこと!



菅直人の正体はショッカー!?‐ニコニコ動画(秋)(Birth of Blues)


特にドリフVerは秀逸だ…(笑)
posted by かせっち at 21:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治(民主党) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クローズド・インテグラル

「トラック」に笑い、「トラック」に泣くビッグスリー(日経Tech-On!)

アメリカの自動車産業がトラックを得意とし、日本の自動車産業が小型車を得意とした理由は、それぞれの車の成り立ちが各々の国の産業構造に適していたからだ、というお話。

(記事より)
 トラック系は,フレームの上にボディを載せるボディ・オン・フレームを採用している。米国メーカーは,「T型フォード」の時代から「アメ車」と言われる大型セダン,さらにはピックアップトラックと一貫して,トラック系のボディ構造を採用してきた。それに対して,日本はビックスリーにクルマづくりの基本を学んだものの,戦後に航空機のエンジニアが自動車産業に移ったこともあり,航空機のボディ構造に近い一体型のモノコック型のボディ構造を採用した(藤本隆宏氏,「自動車の設計思想と製品開発能力」)。それはまた,市場において顧客が,トラックについてはボディ・オン・フレームから生み出される製品としての特徴やイメージを,小型乗用車についてはモノコック構造からのそれを受け入れたからである。

 そして重要なのは,藤本氏らが提唱しているアーキテクチャの理論から見ると,ボディ・オン・フレーム構造を持つトラック系は標準化された汎用部品を組み立てることによってつくる「オープン・モジュラー型(組み合わせ型)」に近いということである。一方,小型乗用車については,専用設計された各部品を微妙な調整をしながら組み上げる「クローズド・インテグラル型(擦り合わせ型)」に近い。

 米国は移民国家であり,移民を即戦力として使わなければならないという歴史的な事情からオープン・モジュラー型に向いた組織としての能力(ものづくり組織能力)が醸成された。この能力はトラックと相性が良かったために,米国ではトラック系に比較優位を持つに至った。これに対して,日本では戦後の人・モノ・金がない状況下でクローズド・インテグラル型に向いたチームワークや多能工としての組織能力が醸成され,これがモノコック構造の小型乗用車と相性が良かったために日本は小型乗用車に比較優位を持っている---というのが(筆者が理解する)藤本氏らのアーキテクチャ論のあらましである。


このコラム『材料で勝つ』に掛かると、アメリカの自動車産業の衰退もお得意の「オープン・モジュラー⇔クローズド・インテグラル」論に導かれてしまうわけだが(笑)、それもまた一つの解釈。


戦艦大和や零戦は「システム工学」の産物(日経ビジネスオンライン)

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そして「クローズド・インテグラル」に強い日本が力を発揮したのが「システム工学」だ、というお話。

(記事より)
 日本の軍艦の設計に用いられた技術のほとんどは、欧州から輸入したり真似をしたりしたものだった。例えば戦艦大和の艦首の水面下にある球状の突起である。球状船首と呼ばれていて、今でも商船に採用されている。もっとも、今では球状のものはほとんどない。はるか後の1980年頃の私の研究室の研究によって薄型の長く突き出たものに取って代わられた。

 戦艦大和の艦首の形の設計は、当時の海軍の技術者がドイツを訪れて、ドイツの設計を真似した結果なのである。当時のドイツの学者バインブルム氏がこのような形状の効果を論文で予言し、ドイツの商船設計者が客船に応用したことを現地視察などで学び、その類似形を目黒にあった海軍技術研究所でテストを重ね、大和級などの軍艦に応用したのだ。軍艦だけでなく、航空機の設計でもそのような例が多い。

 零戦や大和に代表されるように、戦前の軍事技術のレベルはかなり高い。しかし、それは科学技術のレベルが高かったからではないのだ。つまり要素技術力は高くなかった一方で、「総合化(シンセシス)力」または「システム工学の力」が高かったのだ。


どちらの話も日本らしい力の結集のさせ方かと
posted by かせっち at 21:16| Comment(0) | TrackBack(1) | ビジネス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月20日

15年ずれた世代論

世代の連環(雪斎の随想録)

世代を語る際は、1945年生まれの団塊の世代を中心に前後30年の軸で見ることが多いが、それを15年ずらして1900年 - 1930年 - 1960年 - 1990年生まれの世代の軸で見てみよう、というお話。

(エントリより)
 祖父 1900ー1910年代生まれ
   ・ 日露戦争前後、「明治国家」の完成期に出生
   ・ 青春時代は「大正ロマン」の最盛期。「モボ」と呼ばれた。
   ・ 終戦時40歳前後。第二次世界大戦中は応召せず。
   ・ 東京オリンピック前後に退職、「復興」を支える。
    ・ 往時、財界四天王と呼ばれた人々が、この世代。
   ・ 昭和の終わり、「バブル」の時期前後に鬼籍に入っていく

 父親  1930ー1940年生まれ
   ・ 幼少期、「少国民」と呼ばれる。
   ・ 復興、高度経済成長とともに社会人キャリアが始まる。
   ・ 戦後の「消費文化」の恩恵を逸早く受ける。
    ・ 「日活スター」、「長島・王」の世代
   ・ 「バブル崩壊」の時期前後に退職。社会人としては、かなり恵まれた人生。

 息子 1960−1970年生まれ
   ・ 幼少期は、「経済大国・日本」驀進の最中であった。
    ・ 特撮ヒーロー番組、アニメを飽きるほど観ていた。
    ・ 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を素朴に信じていた。
   ・ 青春時代は、「バブル」の洗礼を受ける。
    ・ 「清貧」という考えは違和感がある。
    ・ 「国際派」志向は当たり前という意識がある、
   ・ 1990年代の「不況」以前には、既に就職していた。
  
 「息子の息子」 1990年ー2005年生まれ


自分は雪斎氏と同じく「息子」の世代になる。

豊かさを普通のものとし、特撮ヒーロー&アニメは飽きるほど見てたが、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉は知らず、日本がそれほど実力があるとは思い至らないのが正直なところ。

青春時代はまさにバブルの時期だが、大学を出る頃はバブルが弾けて失われた10年の足音が忍び寄る。しかしそれが本格化する前に何とか今の会社に潜り込むことに成功。

所謂「バブル世代」の一番最後あたりなるのだが、「万事、楽観的」という雪斎氏の指摘もまぁ当たってるかな。
posted by かせっち at 21:56| Comment(2) | TrackBack(1) | 世代間問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

妄信は身を滅ぼす

中国を信じすぎるとこうなる、という例。

中国専門学者の罪(中韓を知りすぎた男)

(エントリより)
日本の政府もアメリカの政府も中国政策を考える場合、必ず中国専門
学者からアドバイスをもらいます。この学者達が中国の間違った
イメージを政治家たちに植え付けたのです。

日本の学者もアメリカの学者も元々中国が好きだから、中国に興味
があるから中国専門学者になったのです。

学者達の中国文明への憧れが、冷徹な目を曇らし、現実から遊離
した「幻想中国」を政治家たちにレクチャーしたのです。

政治家もビジネスマンも失敗しないように、行動を起こす前は専門家
といわれる人たちの知識を手に入れます。しかし私の経験上
その道の専門家ほどその道に詳しくありません。

個人が興味や趣味で専門家の学者の本を読んで知識を得るだけなら
何も問題はありませんが、国や会社の命運を預かる政治家や
ビジネスマンにとって間違った情報は命取りになります。


「中国を信じる」「信じたい」「信じさせてくれよ…」〜『加油(ジャアヨウ)……!』(日経ビジネスオンライン)

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北京オリンピック前後に中国を取材した重松清氏の著書『加油(ジャアヨウ)……!』の書評。

(記事より)
 重松さんのもの言いは今日の標準的な日本人の価値観をほぼ代表するものだと思うのだが、それを彼らはまっすぐ理解してくれるだろうか。むしろ政治的なメッセージを読み取り、反発を招くことさえあるのでは。あるいは、急にキレたりホッとしたり、国家は嫌いだが、君たちのことは好きだと言ってみたり。いったいこのオジサン何なのよ。不可解なものに見えたりしないだろうか。

 日本人の信じる良識をとことん体現したルポゆえに、相互のすれ違いが浮き彫りになってしまった。評者にはそう読めた。ひとりの人間として中国の人々と向き合いたいという思いは個人レベルならなんとか通じることもあるだろう。しかし、個人ではいかんともしがたい局面がリアルに、しかも膨大に存在することに気づいたはずの重松さんは、ホテルの部屋でパソコンを前に無力感を覚えなかったのだろうか。

 そのあたり、重松さんもわかっている。だからこう書く。

〈正直に言おう。信じる──というのは、かなり無理をした表現だった。正確には「信じたい」。もっと本音に近い表現をつかうなら、「信じさせてくれよ、頼むぜ、ほんとうに」という感じである〉


そこまでして信じる必要なんかないんじゃね?(笑)
posted by かせっち at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ソース・ロンダリング

毎日新聞の誤報、ミスよりも深刻な社会部的な取材手法(ガ島通信)

先日のエントリで取り上げた毎日新聞の誤報について、ガ島氏は新聞記者の取材手法に問題があると指摘する。

(エントリより)
誤報やネットへのリテラシー不足よりも問題なのはその取材手法です。すでに消されてウェブ魚拓に残っている毎日の記事元次官宅襲撃:事件6時間前にネット書き込み…犯行示唆に『アクセスの記録などから書き込みがなされたパソコンが特定できるとみられ、捜査本部は慎重に調べている』という文面があります。これは、毎日報道「ネットに犯行示唆」は誤報という産経新聞の記事の『書き込みの内容は、参考情報として、捜査当局にも伝えていたという』で明らかなように、記者がウィキペディアの書き込みを見つけて警察に伝えて記事にしたものです。

警察は毎日の記者から情報を聞いたら「調べる」でしょうが、消されている記事をみてそのような意味としてとらえる読者は少ないでしょう。あいまいな記事の書き方はマスメディアにも警察にもメリットがあります。マスメディアは「捜査本部は調べている」とまるで情報主体が警察にあるように書くことで責任を回避できますし、警察は情報の非対称を利用して記者をコントロールすることが出来ます。

<略>

「書き飛ばし(記者はスクープ合戦と思っているかもしれないが)」は無責任な報道や警察との癒着の温床になっており、ネットの知識がなくミスしたことよりも、よほど深刻な問題なのです。


つまり、新聞記者は自分の憶測を基にした情報を警察に知らせることで、その情報を警察が否定しない限り「情報に警察ソースが着いた」とすることができる、というわけか。


それってソース・ロンダリングですね。わかります。


参考:
基本すらできない(当ブログ記事)
posted by かせっち at 21:19| Comment(0) | TrackBack(1) | 毎日新聞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月19日

基本すらできてない

どうやら毎日新聞は、日頃ネットを目の敵にしている一方で、事件とネットを結び付けようと日夜ネット上を徘徊している様だ。

そんな毎日新聞が元厚生次官宅連続襲撃事件に関連すると思われるネット上の書き込みを見つけ、小躍りして記事化したようだが、これが大誤報の引き金を引くことになった(笑)

「ウィキペディアで犯行示唆」 恥ずかしい大誤報を毎日新聞が謝罪(J-CAST)

(記事より)
元厚生事務次官宅が相次いで襲われた事件をめぐり、毎日新聞がインターネット上の百科事典「Wikipedia(ウィキペディア)」に事件前に犯行を示唆する書き込みがあったと報じた。しかし、書き込みは事件後にされており、「大誤報」であることが明らかになり、同紙は「お詫びして訂正します」と謝罪した。


事実の裏取りは記者のイロハのはずだが

毎日はそんな基本もままならないようだ(嘲笑)



詳しい経過は2ちゃんねるから。

【元次官襲撃事件】 毎日新聞、「Wikipediaに犯行予告」と誤報→各テレビ局も釣られて報道(痛いニュース)

(エントリより)
127 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2008/11/19(水) 08:36:12 ID:a8FN0xyy0
▼今北産業向け
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
1. 毎日がwikipedia「社会保険庁長官」でのPopons氏の書き込みを、UTC時刻表示に気づかずに
  「犯行予告」と誤報。

2. 2chでの「誤報祭り」に気付いた社員がネット上の記事を削除。しかし魚拓を取られる。
  http://s03.megalodon.jp/2008-1119-0323-31/mainichi.jp/select/jiken/news/20081119k0000m040155000c.html

3. 更にトラップにかかった毎日社員が毎日IPを晒す。
  記者がスレをリアルタイムで閲覧してるのがばれるwww (ニュー速スレのオマンチン)

4. 駄目押しに誤報記事が載った朝刊の修正は間に合わずに配達&販売!

5. それを信じた他局がニュースとして放送してしまい、巻き添えの赤っ恥をかく。

6. 各放送局にニュース記事誤報の裏通達が始まる。 
  番組の各キャスターがアドリブで必死にスルー完了。

7. 無罪のPopons氏が新聞で大々的に晒される。大阪14版は特にデカイ記事で名誉毀損モノ。

8. テレ朝早く気付け! 他局が自粛する中、またも誤報記事を大放送。

9. Popons氏がwiki上で全く悪くないのに謝罪した!!   ←いまココ


最後は木走日記による総括。

ネットの掟(おきて)を知らない毎日新聞の「おわび記事」のおそまつ(木走日記)

(エントリより)
 新聞やTVなどのマスメディアは、かつて独占メディアとして一方的に聴衆(オーディエンス)に記事を流してきました。

 独占的に聴衆(オーディエンス)の上に立ち、下々に高貴な記事を分け与えていた時代の感覚が、今も抜けていないようです。

 双方向がインタラクティブに情報発信するインターネットという媒体の特徴を、彼らはまだまったく理解していないようです。

 ネットでは情報発信はあなた方の独占物ではもはやないのです。

 あなた方は一参加者に過ぎない。

 一参加者ならネットの掟(おきて)を守らなければいけません。

 それは徹底的なソースのリンク付けと事実の明示化です。

 謝罪行為をするときもまったく同様です。


ネットが一次情報を報道機関に頼っているのは事実だが

拠り所である事実の裏取りすらもできない毎日新聞には

報道機関としてもう何も期待しないから(冷笑)
posted by かせっち at 20:54| Comment(0) | TrackBack(2) | 毎日新聞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月18日

移行作業

保守は狡猾であれ(つらつらかきつらねる)

(エントリより)
「保守派」「保守支持」といっても、置かれている立場や状況によって、すべきこと、できることは違ってくる。

一般国民の保守的主張、保守系議員の言行、保守系内閣および首相の言行はそれぞれ違っていて当然です。

それを理解せず、自分たちの期待に100%応えてくれなければ、勝手に失望したり、変節したと決めつける。

保守派が正直で直球勝負を挑むのは結構なことだが、少なくとも内閣や首相は変化球を使えなければならないと思います。

直球だけで抑えれるほどリベラルは大人しくない。

安倍元首相は保守期待の星だった。

ところが、いざ安倍政権がスタートすると、村山談話の継承や靖国参拝の曖昧戦術などを理由に、保守派の中に安倍元首相を批判する連中が出て来る。

保守派政治家安倍晋三は村山談話を批判しても、内閣総理大臣安倍晋三は村山談話を安易に批判できない。
だから継承しつつ現状より悪くならない方策をとった。

--------------------------------------------
 一方で安倍氏は、村山談話を外交の現場で使用しないよう外務省に指示。政府答弁書では村山談話に出てくる「先の大戦」「あの戦争」の表記について、「その時期など具体的に断定することはできない」とあいまいさを指摘し、談話の「骨抜き」を図ってもいた。
--------------------------------------------

これは今だから話せることなのだろう。
表向きは継承しつつ、裏では形骸化を図る。

保守派に必要なのは、こういう技ではないだろうか。


自分の本職はプログラマで、古いプログラムを新しい手法で作りかえる仕事をよくやる。

古いプログラムは大抵の場合抜本的な見直しは行われたことがなく、長い年月の間に機能が継ぎ足された結果、使い勝手がすこぶる悪いものになっている。そして新しい手法で作り変えれば、今まで抱えていた様々な問題が一挙に解決することがわかっている場合が多い。

しかし実際にはいきなり新しい手法で作り変えることはしない。それは従来の機能では使いにくいと知りつつも、それに慣れてしまっているユーザーがいるから。新しい機能の方がいいと言われても、慣れたやり方を止めることには誰もが抵抗を示すものだ。

そこで最初は、表面上従来の機能を踏襲しながら中身は新しい手法で実装する。同時に新しい機能も提供してユーザーをそちらに誘導する。そして徐々に従来の機能を陳腐化させて見せ、ユーザーの大半が新しい機能に慣れた頃を見計らって、従来の機能を終了させる。

こういう手法の格好の例がWindowsに残るDOS窓だ。かつて主要なOSだったMS-DOSをいきなり終了させず、Windowsの一機能として残しながら徐々にメインストリームから外していった。今やDOS窓をメインに使う人は少数派だろう。

しかしこういう移行作業は辛い作業で時間もかかるもの。従来の機能を100%踏襲しなければ「今までと違う」と文句が来る一方で、新しい機能を打ち出していかないと「昔のまま」と不満があがる。作業している身からは「勝手なこと言いやがって」と愚痴りたくもなる。


新しい手法で新しい機能を最初から打ち出せればナンボか楽か

しかし物事の継続性を無視できない限り劇的には変えられない



こういうこともあって、左右両方から挟撃され、移行作業の道半ばで挫折した安倍氏の苦労を察せられるのである。
posted by かせっち at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

臆病者

信念の持てない行動ならば最初からするな!(江草 乗の言いたい放題)

式典での国歌斉唱時に起立しなかった教職員18人が、不起立の事実の情報を収集していた神奈川県教育委員会に対して削除を求めて提訴した件について。

(エントリより)
 この18人に対してオレは言いたい。あなた方は信念を持って命を賭けてその行為を実行したのではないのか。「名前が報告されるとまずい」程度の情けない根性でその行為を行ったのならば、最初からしない方がいい。名前が出ない以上それは2ちゃんねるの匿名の落書き程度の意味しかないのである。あなたがた18人が真に国旗や国歌を式典から追放したいのならば、少なくとも名前を堂々と明らかにした上で主張を展開し、論陣を張るべきではないのか。あなた方が自分の職を賭して戦うというのならその決意には敬意を払いたい。その主張に理があり、多くの人々を納得させることができるのならば立場は逆転するだろう。そして式典での国歌斉唱は逆に禁止されるかも知れない。ちゃんと議論しない以上何も変わらないじゃないか。それを「匿名性を守りつつ」抗議だけはしたいというのは、まるで公衆便所に書かれた「麻生内閣打倒」という落書きみたいなモノである。「人事考課の時に困るから名前は出すな」「ゼニはくれ」というのが要求ならば、なんてケツの穴の小さな戦いだろうか。あまりに情けなくて涙が出るのである。


この意見に全く賛成。最初にこのニュースを知ったときも「何このチキンどもは?」と思ったものだ。


思想の自由を貫徹するなら命を張れ
posted by かせっち at 21:18| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ&ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月16日

答えは答案用紙にある

大阪2題。(よねの備忘録)

大阪府の教育問題の取り組みついて。

(エントリより)
大阪府の橋下知事が、府内の公立小学校通う児童や保護者らと
教育問題について意見を交わすイベントが8日、大阪市中央区の
府公館で開かれた。保護者から「学力面で公立学校に期待は
していない」など学校側への不満や批判が相次いだ。


学生時代の自分は自他共に認める理系で、特に数学は中学・高校の試験の点の稼ぎ頭だった。そんな自分も親よれば、小学校に上がった頃は算数の点はよくなかったらしい。

周りには既にそろばん塾に通っている子もいて、他の子との点差は開くばかり。さすがに心配になった母親が担任の先生に相談したところ、その先生は次のように答えた。

「大丈夫ですよ。

お宅のお子さんは確かに計算が遅くて全部の問題を解けていませんが、解いた問題は全て正解しています。

全部の問題を解答した子でも、実際には何問か間違っていて、全問正解している子はそういません。

お子さんは丁寧に解いているんです。計算は慣れれば速くなりますから、私は心配してません。」


その年の夏休み、親から計算ドリルをみっちりやらされたが、その甲斐あって時間内に計算問題が解けるようになったとき、算数の成績は自ずと上がっていた。

恐らく担任の先生は自分の答案用紙だけでなく、自分がテストを解いている様子もしっかり見ていたのだろう。だから母の問いにもこのように答えたのだと思う。

子供がテストを解いている様子を親が窺い知ることは流石にできないが、答案用紙を見ることはできる。そこからでも子供の成績が悪い手がかりが得られるように思える。

(エントリより)
 ある母親は「学校の通知表を見ても、わが子がどの程度のレベル
なのか分からない。もっと競争心をあおったほうがいい」と不満を
口にし、父親の一人は「公立学校に学習のことは期待していない」と
痛烈に批判した。


お母さん

答えは通知表ではなく日々のテストにある

何でも先生任せ・学校任せにしていないで

子供の答案用紙は自分で見てあげよう



参考:
算数ができない子にどう対応するか(日経SAFTY JAPAN)
子どもの「促成栽培」はやめよう(日経SAFTY JAPAN)
posted by かせっち at 16:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月15日

社会の逆ザヤ

※2008/11/16追記

命の価値と価格と(404 Blog Not Found)

いわゆる小飼氏の「ジジババ自重しろ」論になるわけだが。

(エントリより)
その誰か、というのは、実は明らかすぎる。

医師不足と言うけれど 医師不足の中の諦め

「今よりもっと良い周産期医療体制を望みたい」
と誰かが望んでも
「今より少し不便になっても良い」
と誰かが許容しなければ議論は進みません


高齢者たち、である。

<略>

最も裕福で、最も医療資源を使っている人たちを、なぜ国が最も優遇しなければならないのだろうか。

彼らが、最大の票田でもあるから、としかいいようがない。

404 Blog Not Found:診断は成った。問題は治療法だ - 書評 - 格差と希望 誰が損をしているか?
P. 159
高齢者は、一般に教育費を充実させるよりも年金や医療という高齢者向けの公的支出を増加させることを望む。人口の高齢化で、高齢者の政治的影響力が強くなると、教育費が削られ、年金・医療・福祉の支出が増えてくる。高齢者は人口が多いだけではなく、投票率も高いため、政治的な影響力は強い。


これは単なる著者の私見ではない。著者はとどめを指すがごとく、こう続ける。

欧米では高齢者の比率が高いと、学生一人当たりの公的教育費が低下する傾向が実証的に確かめられている。日本でも九〇年代以降になって、その傾向が観察され始めた。



もし日本の年代別人口構成がピラミッド型だったら、「もっと若者や子どもの分のパイを大きくしろ」という意見を投票で力押しすることも可能だろうが、もはやそれもかなわぬのがご承知のとおり。


「高齢者が大票田であるが故に、高齢者の意に反する政策は掲げられない」ということは、以前のエントリで取り上げた鈴木貴博氏のコラムでも指摘されていた。

格差是正の「本当の線引き」はどこにあるか(日経BP)

(記事より)
 後の世代から大量の借金をすることで充実した社会資本を享受した“勝ち組世代”とは、赤字国債が発行されるようになった1965年以降の時代を通じ、長く社会人の立場にあった40歳代以降の世代ということになる。

 特に団塊の世代以降は、日本の高度成長を成し遂げた“恩人世代”であると同時に、年金などの社会保険や富の再配分の視点で見れば“勝ち逃げ世代”ともいえるだろう。

 一方でバブル崩壊以降に社会人になった30歳代以前の世代は、国の税収が減り続けるトレンド中にあって、拡大する期間平衡性の「負の遺産」を背負うべき世代ということになる。

 本来あるべき「期間平衡性の確保」という視点に立ち戻れば、膨れ上がった国の借金は、バブル崩壊前に社会人となった現在の40歳代以降の世代が解決すべき問題である。例えば、資産税を増税することで国債返済の原資を確保するといったアイデアがあるが、これがもし実現されれば、家屋や金融資産を多く持つ40歳代以降の世代の富が、将来国を背負うべき30代以下の世代へと移転することになる。

 そこでまた考えるのだが、有権者の過半数を占める40歳代以降の有権者に対して、増税を口にできる政治家がどれほどいるのだろうか? この点でも、30歳代と40歳代の間に引くべきニつ目の線引きも、構造的に考えて実現は難しいと僕は結論付けてしまうのだ。


自動車メーカーのGMが経営危機に瀕するに到った原因の一つに、巨額に膨れ上がった退職者年金の負担増があるのだが、これが日本の社会に当てはまりそうな悪寒…


参考:
引くべき線(当ブログ記事)
消費行動の格差(当ブログ記事)
サトゥルヌスの世代(当ブログ記事)
少子高齢化と格差(当ブログ記事)
posted by かせっち at 21:51| Comment(0) | TrackBack(3) | 世代間問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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