2008年08月31日

天網恢々

天網恢々:借金踏み倒しの男性、雷に打たれる=中国福建省(大紀元)

(記事より)
 【大紀元日本8月31日】8月26日、中国福建省福清市東瀚鎮在住の男性が借金の返済を求められた際、借金した事実を否定し、鉄棒を手に、金を借りたのは事実であれば、雷に打たれると誓った。その1分後、まさに落雷が彼を直撃した。けがした男性は病院に搬送された。命に別状はないが、このことはネットで話題となった。


いや、悪いことはできないもので…(苦笑)
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2008年08月30日

日本の教え

【韓国】聯合ニュース日本支社長:「他人に無関心な日本は異様。『人に迷惑をかけるな』という抑圧教育が元凶だと思う」★2[08/28](東亜備忘録)

「日本に感じる違和感の原因が「人に迷惑をかけるな」という教育にある」という韓国・聯合ニュース日本支社長へのインタビュー記事に関するツッコミ。

(エントリより)
 こういう無責任な記事をメディアが流すからダメなんだよなあ。
 確かに日本人より積極的だけど、韓国人は「人に迷惑をかけてはいけない」って教育を受けていないせいで犯罪率が極端に高いんだよね。
 レイプは日本の6倍、アメリカと比べても2倍、殺人や強盗などの凶悪事件も日本の2倍。
 日本で起きた極めてまれな例と韓国の普遍的で深刻な社会問題を比較するなんてそもそも馬鹿げてる。
 ケンカでストレス解消って聞くと日本人だと口げんかやつかみ合い、せいぜい行きすぎてちょっとした殴りあいを想像するけど、韓国じゃ集団暴行事件や放火事件に発展する。
 
 問題はこういう馬鹿げた話を韓国人は真剣に信じていて、そのせいで問題が改善されないって事なんだよね。
 未成年者の多数の生徒による特定未成年女児へのレイプ事件なんかが多発してる。
 被害者が被害を口外しないように脅迫などをともなった非常に悪質なレイプがね。
 日本をそんな国にしたい?


ブログ主が指摘しているように、「他所様にご迷惑をお掛けしない」という日本の伝統的な教えが日本社会の安定性に貢献している。この教えこそが日本人たらしめているといってもよい。

昨今言われているような道徳教育の必要性を大上段に訴えなくても、「他所様にご迷惑をお掛けしてはいけない」と教えること、自分の行動がこれに合致しているか考えさせればよい。

これを守れる人ならば、キリスト教徒だろうがイスラム教徒だろうが特亜出身だろうが、日本に移民に来てもらって結構。これが自分の移民に対するスタンスである。

(エントリより)
 他人に迷惑をかけない人ってのは頭がいいんです。
 なぜなら行動する前に「こういう行動したらどうなるだろう? 周りの人はどう感じるだろう?」って考えるから。そうでないと迷惑をかけないようにできないし、そうする事で自然に行動する前に頭の中でシミュレートする習慣ができる。無意識のうちにね。
 他人名義の携帯電話を自由に使用停止できたら、その事でどんなに他人に迷惑がかかるか。
 物を考えない人には思慮深い人の考えは理解できないんだよね。
 ^^;;;


しかしこの日本の教えは世界的には異端であり、「他所様に迷惑を掛けてでも自分を主張する」のが主流。外国人に「他所様にご迷惑を掛けない」という概念はないと考えた方がよい。

一方、日本人にとってこの教えは当たり前すぎて空気のように無自覚であり、外国人も同じように考えていると思っている。だから彼らにこの教えを明示的に教えるということをしない。

かくして「他所様にご迷惑をお掛けしてはいけない」という概念が共有されないままで外国人を受け入れた結果が、日本人と外国人の間で起きる摩擦なのだろうと思う。

だから外国人が日本に来たとき、日本の受け入れ側は「他所様にご迷惑をお掛けしない」という日本人の行動原理を彼らにしっかり教えなければならないのである。


「他所様にご迷惑をお掛けしない」という日本人の教えは

各種宗教の戒律に比べれば実践はよっぽど簡単だと思うぞ



尤も、今の日本人でもこの教えを守れない奴が多いのだが…orz
posted by かせっち at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月29日

プロのジャーナリストの優位性

上杉隆インタビュー『ジャーナリズム崩壊』はすでに始まっている(ダイヤモンド・オンライン)

『ジャーナリズム崩壊』の著者、上杉隆氏へのインタビュー記事。

(記事より)
―上杉さん自身もブログで発信していますが、ネットでは誰もが発言者になれます。プロのジャーナリストも一ブロガーと同じ土俵に立たされることにもなります。

 じつは私自身は余裕を感じているんです。私は東京にいて取材をしているという強みがありますが、地方のブロガーは首都の取材はできないので、いくら素晴らしい意見は発表しても、それ以上は無理でしょう。むしろ辛いのは、取材をしない評論家・コメンテーターという立場の人たちではないでしょうか。テレビでの特異な見解や陳腐な意見などは、後にネット上で攻撃され、信頼を失なう。間違ったコメントを本人があとで軌道修正しようとしても、ユーチューブなどで過去の発言を流され、誤魔化しを指摘されてしまう。すると、活字媒体もその評論家を使いにくくなります。


プロのジャーナリストと市井のブロガーの差が、この発言に集約されている。

市井のブロガーは自分の身に降りかかったことでもない限り、事実を取材することは稀である一方で、プロのジャーナリストは事実を取材することから全てが始まる。つまり「事実の取材」という行為に対し、我々はプロのジャーナリストに対価を払っている。

同時にプロのジャーナリストは取材を元に「論評」を行い、それを世間に「公表」することも仕事のうちであった。

彼らにそれが許されたのも、彼らの「論評」の質が良かったからというよりは、単に「公表」の手段を彼らが独占していたため、彼ら以外の、特に彼らの「論評」に対立する「論評」が世に出ることがなかったというだけの話である。

しかしネットが「公開」を開放したことで「論評」も市井のものとなり、プロのジャーナリストの優位性は「取材」のみになった。今後も市井のブロガーがプロのジャーナリストの取材力を持つことはなかろう。しかし論評力は取材力とは別の話である。


先日の「市場→マスメディア」のアナロジーで行けば

市場関係者の農産物の目利きの力には敬意を表するが

晩のおかずの作り方まで指図される謂れはないのである



参考:
目利き(当ブログ記事)
posted by かせっち at 22:50| Comment(2) | TrackBack(2) | メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月22日

中国三題

違う話題を取り上げながら、実は根っこの部分では互いにカバーしあっている、中国に関する記事を3つ。

中国 5千年の歴史とは?(中韓を知りすぎた男)

(エントリより)
中国を語るときに必ず「中華民族はメンツを重んじ、自尊心の非常に
強い民族である」と言いますが、どこの国だってメンツを重んじ
自尊心は強いです。

中国人の「メンツ」は世間に対する名誉ではなく、単なる虚栄心です。
その虚栄心の為に嘘を嘘で塗りたくります。

中国人の「自尊心」は自分の品位を保つことではなく、常に相手に
勝ちたい、負けたくないという、劣等感の裏返しの様な気がします。
そのためには手段は選ばない。

自分自身に自尊心があるなら、他人の自尊心も尊重しなければ
ならない。しかし中国人は永遠に他人の立場を考えることがない。
国際的にも相手に無理難題をふっかけ、自己主張ばかりを相手に
押し付けます。

問題を指摘すると、突然 話題や論旨をすりかえて、言い逃れます。
このオリンピック期間だけでも問題を隠蔽して、道理にかなうことを
語り合うことは無かった。

道理にかなうことを、語り合えば、すぐに馬脚を現し面子が潰れる
からです。


オリンピックは早すぎた〜『変わる中国 変わるメディア』
渡辺浩平著(評:中村正人)(日経ビジネスオンライン)

※公開翌日以降の全文閲覧にはユーザー登録(無料)が必要。

(記事より)
 学者の手による本書も、メディアを統制する当局の頑なな姿勢を客観的に批判している。また、中国特有の問題として、世界への「協調」と「強面」を使い分ける当局の苦しい「二重人格」性も指摘する。国内向けにふるまえば海外で違和感を与え、海外に合わせれば国内の反発を買うという二律背反な状況のなかで、現政権は「二重人格者」になっているという。

 背景には、共産党が生き残りのため共産主義を捨て、新しいイデオロギーとしてナショナリズムを採用したことにあると、アメリカ人中国研究者スーザン・L・シャークの著作を援用しながら著者は解説する。

 要は、この状況、党が自らつくり出したものである。愛国心に根ざしていればたいていのことが許されることを知った大衆は、一方で、政府の個別のイシューへの対応が道義や原則ではなく、党の都合やそのときどきの事情で変わるという不条理に晒されている。今日問題がなかったネット上の主張や批判がある日突然、強制削除されるかもしれないから、彼らは無責任で、自制を欠いたやりたい放題になりがちだ。こうした疑心暗鬼や矛盾を無理やりつなぎとめるのがナショナリズムの役割となる。これはたちの悪い話である。

 思うに、あの国の権力は外からチェックを受けることに過敏すぎるのだ。面子を重んじる文化が災いしている。また、批判を受けることが自らの地位の追い落としにつながるという理不尽で苛烈な権力闘争の歴史が長かったことも影響しているのだろう。

 でも、権力なんて批判されて当たり前。なぜそう腹をくくれないのか。中国が本当に変わったと言えるとしたら、政府が国内メディアをコントロールする側に立つのではなく、チェックを受ける側に回ったときだ。


第14回 私が会った<A女>たち(3)
民主主義の根幹を拒否した改革開放が“悲劇”を呼ぶ(日経ビジネスオンライン)

※公開翌日以降の全文閲覧にはユーザー登録(無料)が必要。

(記事より)
 中国は市場経済を推し進め自由競争を過激化させる一方で、“中国の特色ある社会主義体制”の維持だけは絶対に譲らず、民主主義体制への移行は許していない。いま民主主義化するのは、政権の安定を揺るがすだろうし、また政権が揺るげば経済発展に支障をきたすだろうから、私は決して今ただちに民主主義を遂行することがいいと思っているわけではない。

 しかし、どの国よりも資本主義的な過激な自由競争が蔓延し、かつ民主主義の根幹だけは取り入れないとなると、民主主義の根幹となっている“主権在民”やら“個人の尊厳”やらが完璧に欠如した状態で、その文化の一部だけが、現象として入ってくることになる。

 つまり、民主主義的モラルの最も根底となる部分が欠落したまま、資本主義の享楽的なものだけが入ってきたら、どうなるだろうか。まるで封建主義社会のときのような価値観が一気に戻ってきて、男女のモラル感もそちらに傾いていくのではないだろうか。

 私はこれまで、多くの中国の、いわゆる<A女>たちに会ってきたが、ほとんどの女性が、「中国の男性は、同時に複数の女性と付き合っている」って言っていた。まるで昔の封建時代の社会に戻ったようで、私はここのところずっと、なぜだろうと考えてきた。

 しかし、いまようやく、その理由は「中国は改革開放をして海外の情報が入ることを許したけれど、民主主義の根幹だけは取り入れようとしないから」ではないかと思い至ったのである。


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2008年08月20日

目利き

大野病院事件に無罪判決、問われるマスメディアの報道(ガ島通信)

帝王切開手術中の産婦死亡事故を巡り、担当医師が刑事責任を問われた大野病院事件の一審判決を受けてのエントリ。この事件を巡っては、マスメディアの報道と、専門家である医師達がブログで行う主張とが真っ向から対立していた。

(エントリより)
1月に提出した修士論文「ブログジャーナリズムの社会学的考察-マスメディアジャーナリズムからシチズンジャーナリズムへ-」でも、ケースのひとつとして医師ブログと医療崩壊問題について取り上げています。これらも踏まえて一度どこかで整理したいと思っています。論文から一部を抜粋しておきます()は補足。

<略>

専門家のブログは時にマスメディアの報道だけでは分からない問題の本質をあぶりだす。ジャーナリズムにとって重要なのは言論の質である。誰もが情報発信できるようになれば、マスメディアが発信している言論であるからジャーナリズム性が高いというこれまでの枠組みは通じない。マスメディアは、医療のみならず科学や法律といった専門的な世界のトピックスを、時に難しい言葉を話しがちな専門家に代わって一般大衆に分かりやすく伝える役割も担ってきたが、専門家がブログを持つことで質の低い報道は批判に晒されることになる。


卸売市場の市場関係者は自ら米や野菜を作ることもなければ、牛豚を育てることもない。船に乗って魚を取ることもなく、海に潜って貝を採ることもない。彼らは市場に集まった商品を目利きして、売りさばくだけである。

物流網が発達していなかった時代においては、このシステムは効率がよかった。物流を市場に集中させれば限られる物流網を有効活用できるし、物流が集中する市場に目利きを重点配置させれば、流れる商品の量だけでなく質も安定する。

しかし物流網が十分発達すれば市場を経由させる必然性はなくなる。市場の野菜に「農家の○×さんが作った」という証明書を添付するくらいなら、「農家の○×さん」から直接野菜を買えばよい。これほど確実な証明の方法はない。

時として、農家の○×さんがダマシをかけることもある。それを全ての消費者に見抜けというのも酷な話。それを目利きする存在として市場関係者は今後も必要とされるだろうし、需要がある限り存在し続けるだろう。

しかし物流網が発達すると共に相対的に市場を経由する物流が減り、更に市場関係者の目利きを代替するような目利きサービスが現れた場合、市場の規模は縮小し、市場関係者が恩恵に与れるパイの大きさは小さくなっていく。

かくて「市場の関係者である」というだけで禄を食んでいた市場関係者は淘汰され、「本当の意味での目利き」だけが小さくなる市場に生き残ることになるだろう。

ここでアナロジーの種明かし。

市場→マスメディア

市場関係者→マスメディア関係者(新聞記者など)

農家の○×さん→専門家

別の物流網→インターネット

目利きサービス→ググる先生、ウィキ、はてブ、2ちゃん、ブロゴスフィア

posted by かせっち at 21:31| Comment(0) | TrackBack(1) | メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月18日

日本ならではのもの

日本ガラパゴス説を追う・・・(ぐっちーさんの金持ちまっしぐら)

(エントリより)
さて、日本の携帯電話はガラパゴスの動物みたいなもんで勝手に進化してしまい世界に通用しない、とよく言われるんですが、でもね、おさいふケータイなんて滅法便利だし、JRも地下鉄も飛行機も一発で乗れるし、何がいかんのか、などと思い詰めていたところ、「あれはですねー・・・・」と、来日1年目の仕事仲間のアレックス君というオーストラリア人がおもしろいことを教えてくれました。

要するに、日本に来て当初、こんなあれこれ機能つける必要はないんじゃないか、と自分も思ったんだそうです。機能が多過ぎてこれは使えんと、と。まあ当然です。

所が日本に長くいるようになると、持ってないと不便でしょうがないことに気がついたというんですよ。「日本ではこれ、ただの電話機の代替だ、なんて思ってたら大間違いですね。」とおっしゃる。

<略>

要するに東京と言う街(日本全般も)がとんでもなく便利かつ高機能に出来ていて、その生活をもっと便利にしようとして、電子マネーなどなどが登場し、それに対応する為には携帯がここまで進化せざるを得なかった、という考え方ですね。

ですから、「電話を買おう」、と考えてしまうと日本の携帯は高スペック過ぎるけれど、そういう「ハイクオリティーライフを支える道具を買おう」としてみると理にかなっているということかもしれませんね。ガイジン、面白い考え方しますね。


携帯を持ってない自分は、日本というガラパゴスの中ですらアウトサイダーなのですね…orz


日本のおもしろファンタCM集の海外反応【YOUTUBE動画】(誤訳御免!)

(エントリより)
さて、本題ですがコカコーラ社のファンタのコマーシャルです。
その中でもファンタ学園として人気を博したシリーズに英語字幕を付けたものがYOUTUBEにアップされていて、視聴数・コメント数をかなり稼いでました。
動画を観て頂ければわかりますが、実際話題になるほどの面白さがあります。
でも、基本部分は金八先生のパロディだし日本的な笑いも多いので、本当に外国人にも受けてるのかなと気になったので、ちょっと記事にしてみました。
果たしてどの先生が人気なのか・・・・・・興味のある方は続きをどうぞ。


このCMは知ってたけど、こんなに別バージョンがあったのか?(笑)

以下、外国人の反応。

(エントリより)
Sadako666
アハハハハ!ワーオ、イングランドもこのぐらい面白いCMをやってくれたら良いのに。

anyjen
クソッ、俺の国にはあんなに違うタイプのファンタは売られてないぞ・・・あれだけ違うタイプの先生もいないけどな。XD

TheYellowAnt
アメリカのCMがせめてこの半分の面白さがあれば、俺はもっとファンタを
飲んでやるのに・・・・・・

gjcypher
俺達にはしょぼいファンタ・ガールズしかいないってのに・・・日本へ引っ越すか。

NovaTheSilent
俺の子供はこんな学校に通わせてやりたい。

posted by かせっち at 21:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月17日

アフガニスタン・ルール

新聞記事の評価基準「アフガニスタン・ルール」(活字中毒R)

(エントリより)
『ジャーナリズム崩壊』(上杉隆著・幻冬舎新書)より。

【前フリが長くなったが、話をアフガニスタン・ルールに戻そう。これはタイムズ本社に通っていた夏、本社の記者たちに聞いた話だ。

<略>

 こうしてタイムズ内ではアフガニスタン・ルールという次のような評価基準が定まる。
 遠い外国の政府の記事は言語の違いなどから反論されにくく、また検証も困難なため、厳しい論調で書かれやすい。同じ理屈で、過去の出来事は現在進行形のものよりも、すでに情報源が存在しないことや再検証が難しいなどの理由で大胆に書かれやすい。また、読者や新聞の発行地から遠く離れれば離れるほど、関心も薄まり、検証も難しくなるため自由な筆致で書かれやすい。
 これらの現象から、最終的な編集権を持つニューヨーク本社から離れれば離れるほど、比較的取材は易く、取材対象に対しても厳しい記事になる傾向があるということを知ったという。
 逆に言えば、アフガニスタン・ルールとは、取材対象が新聞発行地に近ければ近いほど、取材や記事執筆に困難が伴うということをいうのである。
 ここまでの話はタイムズ本社で過ごした際、複数の人物から聞いた話なので、若干、事実関係にブレがあるかもしれない。だが趣旨は記した通りである。
 つまり、彼らの到達した結論は、一見大事に見えるアフガン戦争の記事も、卑近なニューヨークの消防署の記事も、それぞれが困難を伴って同じように苦労をもって取材し書かれたものであり、ともに敬意を払うべきものなのだ、ということなのである。】


〜〜〜〜〜〜〜

<略>

 僕がこの「アフガニスタン・ルール」の話を読んでいて驚いたのは、アメリカのジャーナリズムの世界には、こういう2つのニュースの価値を真剣に「比較」する姿勢がある、ということでした。日本だったら、「まあ、『みんなちがって、みんないい』、じゃないか」というようなお茶の濁し方をされて、次の話題に移ってしまいそうですよねこれ。内心では、「そんなの、世界的なニュースのほうが『偉い』に決まっているじゃないか」と思いながら。

 そして、この話を読んでいて痛切に感じるのは、「アメリカでは、『ニュースを伝えること』だけではなくて、そのニュースが『受け手にとって意味があること』『受け手によって検証されること』もニュースの価値に含まれると考えられている」ということです。


ここでいう「タイムズ」とはNew York Timesのことで、「アメリカの朝日新聞」と揶揄される新聞ではあるが、この議論に関しては示唆に富んでいる。


ノリミツ・オオニシが日本について与太記事を飛ばしているのも

正にアフガニスタン・ルールに則っているわけだ(冷笑)



以下は自戒も込めて。

(エントリより)
 これは、マスコミだけではなく、ブログにもあてはまる「ルール」です。
 僕も書く側として、「自分から遠い人ほど、厳しいことを書きやすい」という実感はあるんですよね。
 匿名(ハンドルネーム)で書いているとはいえ、日本の総理大臣の悪口は書けても、職場の同僚の悪口は書きにくい。中国政府は批判できても、地元の町内会の運営や会社の勤務状況については批判しにくい。
 まあ、ブログの場合は、あんまり身内の悪口ばっかり書いても、読む側も何のことだかわからないし、不快になるだけなのも事実なんですけどね。
posted by かせっち at 20:12| Comment(0) | TrackBack(0) | メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月15日

メビウスの輪

【正論】「8月15日」 東洋学園大学准教授 櫻田淳(産経)

(記事より)
 12年前に世を去った高坂正堯教授(国際政治学者)が昭和40年代初頭に著した『宰相吉田茂』の中に、教授の「保守主義者」観を示す記述がある。以下に抜き出してみる。

 ◇ 自分は過去において相当な実績を挙げてきたのだという安らぎの感情は、社会の現在や未来に自信を与える。

 ◇ この自信の有無が保守主義者と反動家を区別する。

 ◇ 自信と心の安らぎがなければ、社会の進歩を取り入れることができない。

 ◇ 戦後の保守主義の基盤は、焦土の中から復興してきたという「実績」に求めるしかない。

 高坂教授の指摘を踏まえるならば、保守主義者は、自ら築き上げて来た実績の裏付けを伴わない限りは、たとえ「保守」を自称していても、「保守主義者」ではないということである。

 1990年代以降、戦後に優位を保った進歩主義思潮の影響力が決定的に後退したのは、彼らの言説が戦後の「実績」としての平和と繁栄の条件を護(まも)るのに役立たないことが、白日の下に曝(さら)されたからである。彼らの議論は、内外の変動の中で実践性の乏しい観念論として受け止められたのである。

 ≪進歩主義と別種の観念論≫

 ただし、進歩主義思潮の後退の後に浮上したのは、別種の観念論ではなかったろうか。筆者は、「あるべき日本」を頭の中だけで思い描き、それに向けて社会を導くというスタンスの言論を好まない。

 たとえば戦前期の「古き良き日本」の歳月の中で人格を形成した三島由紀夫や福田恆存のような知識人が戦後の風景に対する批判を寄せ、その故に「保守主義者」と呼ばれたのであれば、その事情を筆者は諒解(りょうかい)する。

 けれども、戦後の歳月に生まれ育った人々が、三島や福田の言説を真似(まね)しつつ、戦後の歩みに冷ややかな眼差(まなざ)しを向け、自らの体験とは無縁の「古き良き日本」の風景を恋慕するならば、それは、観念論の趣を濃厚に帯びることになる。

 「輝かしき共産主義社会」を夢想した往時の人々と「古き良き日本」に想(おも)いを寄せる現在の人々には、性格の差異はないのである。


自分は「左翼と右翼」という区別よりも、「理想主義と現実主義」という区別で物事を見ている。

左翼が共産主義・社会主義という理想論に囚われた理想主義者である一方で、懐古調の右翼もかつての日本に理想を求める理想主義者であり、「理想主義と現実主義」という切り分けにおいてはどちらも同じ側にいる。


左翼も右翼も互いに別の地平に立っていると思っている

しかし「理想主義と現実主義」のメビウスの輪において

同じ理想主義の極の裏表に佇んでいるだけである



そして故・高坂教授が示した「保守」の拠り所が「自ら築き上げて来た実績の裏付け」にあるとするならば、それは理想主義の対極にある現実主義ということができるだろう。「保守」とは「懐古主義」ではなく「現実主義」なのである。
posted by かせっち at 21:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月14日

汝の敵は何処に

引き続き毎日新聞変態記事問題。

この問題が発覚してから、毎日新聞社内では今回の事件を「反毎日的世論を煽る敵対勢力の陰謀」と捉える向きがある、と2ちゃんねるなどに投稿があった。これについては元毎日新聞記者の佐々木俊尚氏が言及している。

毎日新聞社内で何が起きているのか(上)(CNET Japan Blog/佐々木俊尚 ジャーナリストの視点)
毎日新聞社内で何が起きているのか(下)(CNET Japan Blog/佐々木俊尚 ジャーナリストの視点)

これによれば、朝比奈豊・毎日新聞社社長がその筆頭格であるようだ。朝比奈氏はかつて毎日新聞が行ったネット批判の連載記事「ネット君臨」の最高責任者を務め、佐々木氏らを交えた座談会でもネット批判を繰り返すなど、ネットには一貫して厳しい立場を取っている。

また佐々木氏によれば、朝比奈氏は1960年代末の学生運動に関わっていたという。

(「毎日新聞社内で何が起きているのか(上)」より)
 朝比奈社長は一九六〇年代末、東大農学部の全共闘のメンバーだったと言われており、マスメディアには彼のような学生運動経験者が大量に流れ込んでいて、いまや編集、経営の幹部クラスに名前をぞろぞろと連ねている。彼らは「自分が時代の最先端を走っていると信じていて、自分が理解できないものはいっさい受け入れない」という全共闘世代の典型的な特徴を備えている。だからインターネットのような新しいメディアの本質を理解しようとしないし、歩み寄る気持ちもない。

(「毎日新聞社内で何が起きているのか(下)」より)
 前回のエントリーで、毎日の朝比奈豊社長は「東大農学部の全共闘メンバーだったと言われている」と書いたが、複数のルートから「朝比奈社長は全共闘のメンバーではなかった」というご指摘を受けた。同じ空気を共有していたのは事実だが、全共闘という組織のメンバーではなかったということだ。お詫びして訂正したい。とはいえ、朝比奈社長が学生紛争の世界に身を投じていたのは間違いない。私も本人からそう聞いている。


毎日社内から漏れ伝わる「敵」という言葉には正直違和感を感じていたが、これで合点がいった。


「自らは正義なり」と大見得を切り、敵を作って攻撃する

仲間であっても自らに異論を挟む者を、敵と見なして粛清する

「ネット君臨派」の行動は往時の学生運動と同じだ



「ネット君臨派」が朝比奈氏を筆頭に学生運動経験者に握られているのならば、彼らから発せられる「敵」という言葉は、その行動様式の発露と言えよう。

では、彼らのいう「敵」とは実際のところ誰なのだろうか?毎日を追い落とそうと画策する読売・朝日・日経の連合軍?2ちゃんねるなどに入り浸るネット右翼?

毎日変態新聞の敵(新世紀のビッグブラザーへ blog )

(エントリより)
 なんて。実は今回のWaiWai問題が大騒ぎになり、いつまで経っても沈静化しないのは、毎日変態新聞が推測している通り、毎日に対する敵対勢力が、黒幕がいるんです。本当は内緒にしておこうと思っていましたが、あまりにも毎日変態新聞が惨めで無能なので、こっそりと教えてあげます。
 毎日変態新聞を追い込み、反毎日的世論を形成しようとしている敵対勢力の名前は。
 
 その敵対勢力の名は「日本国民」と言います。ぜひ、朝比奈に教えてあげてください。


まぁ、今回の変態記事では日本国民を敵に回したのは確かだろう。しかしガ島氏はもう少し具体的に「敵」を示してみせる。

「敵」を見誤った毎日新聞(ガ島通信)

(エントリより)
毎日新聞問題について海部美知さんが、旧メディア対ネットという構図ではなく女性が怒っているから長引いているのではないかという指摘をブログでされています。

海部さんも、実際に抗議している人たちが主婦かどうかは分からないとしながらも、

念のためここで情報を開示しておくと、私自身も、息子をもつ日本人の母親である。この問題に対して、怒っている男性は、おもに「日本の恥を英語で撒き散らした」ことがポイントだと思うが、女性の場合、これに「記事の中身そのもに対し、吐き気がするほどの生理的嫌悪感と、自分たちを直接侮辱されたような怒り」を覚えるという点が上乗せされるだろう。それは、私も同じである。


と書かれ、セクハラ問題であるとの認識を示しています。この指摘は腑に落ちるものでした。この騒動は消費者問題であるにもかかわらず、毎日は「敵」(問題の本質)を見誤っていたのでしょう。


なるほど、これをセクハラ問題と捉える視点は今までなかった。

実際2ちゃんねるでこの問題が一番盛り上がっているのは「既婚女性板」という既婚女性が集う掲示板である。「既婚女性」→「既女」→「鬼女」という連想から通称「鬼女板」とも言われ、2ちゃんねるの中で一番敵に回してはいけない板とされている。

というのも、既婚女性はまず使える時間がふんだんにあり、一家の家計を預かっているので資金及び予算執行権があり、かつそこそこの学歴のある人や、会社勤めの経験がある人などがいて、彼女らが昔取った杵柄の専門知識を披露することがあるのだ。

「お詫び記事」の内容が覆される日(不可視型探照灯)

(エントリより)
図書館と一般人が新聞社の脅威になった日(図書館情報を学ぶ) より

たぶん雑誌記事索引や図書館内のデータベースシステムを利用して見つけ出したのだと思うのだけど、司書過程を履修した自分から見ても凄い調査能力だ。発見した記事をエクセルにきれいにまとめているところとか、神がかっている。。。

調査したのは俗に「鬼女板」(既婚女性板の略)と呼ばれる2ちゃんねるの板に集う主婦の方々らしい。もしかすると、司書資格を持つ人や、図書館勤務経験のある人がいたのではないだろうか。マイクロフィルムの存在など、図書館について勉強でもしない限り分からないような気がする。もしそうだとしたら、司書課程の設置が図書館員養成とは別の方向で効果を発してきているのかもしれない。

今回の告発そのものの意義についてはさておいても、図書館のコレクション保存の重要性が近年で最も示された出来事ではないだろうか。インターネットの情報網と図書館の雑誌記事コレクションが組み合わさると、時を超える脅威的なメディア監視システムへと化けることが示されたのである。

はたしてこの監視装置が効果を発するのは毎日新聞だけか、もしくは別の新聞社もまた危険性があるのかもしれない。なにしろ、すでに書いたものは国立国会図書館に永久に保存されているのだから……。


→ 確かに、事実を突き止めたのはマイクロフィルムをつぶさに探し、事実を突き止めようとする努力があったからだった。

一方で、毎日新聞は自らが残してしまった「記事」に足元を掬われ、さらに「お詫び記事」として配信してしまった「内容」に苛まれることになってしまった。


役所が作った広報を垂れ流すだけの新聞記者に

その爪の垢を煎じて飲ませたくなるような行動力(笑)



※注意
毎日デイリーニュースの過去記事をマイクロフィルムから探し出したのは、その方が「毒女(「独身女性」の通称:「独身女性」→「独女」→「毒女」)」と名乗っていることから、主婦ではないと思われる。但し投稿されたのは鬼女板であることには間違いない。



そして鬼女板を敵に回してはいけない最大の理由は、彼女らが一旦本気になったらいつまでもスレッドが継続するということだ。実際今回の事件のスレッドは既に連続120を越え、別の話題では数年続くスレッドも存在することから、その執念深さが伺えよう。

更にガ島氏が指摘するような「セクハラ問題」という側面を考えれば、毎日新聞は最も敵にしてはいけない相手を敵にしてしまったようだ。思えばかつて毎日新聞が経営危機に陥ったのも、「西山事件」に怒った当時の鬼女様達が不買に走ったからとも言われる。歴史は繰り返すのか…

その毎日新聞は新たに敵を生み出しているようである。

毎日新聞、反発を受けて「毎日jp」の閉鎖を検討(technobahn)

この報道に対し、毎日新聞はすぐさま報道元に「事実無根」と抗議したのだが…

毎日新聞が本誌に厳重抗議、「毎日jp」の閉鎖報道は事実無根と反論(technobahn)

(記事より)
毎日新聞による抗議文は弊社、テクノバーン宛てにファックスで(タイムスタンプは8月13日16:00)で送信されてきたものとなります。しかし、実際には抗議文は毎日新聞社側のミスにより弊社とは関係のない他社宛て送信、この他社のご好意により弊社宛に再送されてきたものとなります。毎日新聞社側のミスとはいえ、ファックスの取次ぎをしていただいた他社におかれましてはご迷惑をおかけいたしましたことをここに謹んでお詫びいたします。


抗議文の送り先を間違えてFAXしてやんの(ゲラゲラゲラ)

しかもそのことをしっかり記事にされてやんの(ゲラゲラゲラ)



見えない敵を追っかけまわしてないで、まぁお茶でも飲んで落ち着け(笑)


参考:
新展開(本ブログ記事)

事件の経緯毎日新聞問題の情報集積wiki)…毎日変態記事問題の経緯をまとめたもの。必見。
posted by かせっち at 21:32| Comment(3) | TrackBack(0) | 毎日新聞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月13日

新展開

毎日新聞の英文サイト「WaiWai」において、実話雑誌系のイロモノ記事を英訳(場合によっては加筆)して公開してた問題について、毎日新聞は一応の釈明を発表した。

毎日デイリーニューズ「WaiWai」問題 おわびと調査結果(毎日)


この中で毎日は、今回の問題の原因が「WaiWai」がネット媒体であったことにあるようなニュアンスで釈明している。ところが問題の記事はネット媒体での公開以前に、紙媒体である毎日新聞の英字紙「毎日デイリーニュース」で公開されていたことが発覚する。

毎日新聞の英文記事、主婦および看護師を始めとする医療従事者の怒りを買う(その68)7/20付「おわび」は虚偽報告 毎日デイリーは紙媒体時代、1997年10月5日号付"WaiWai"で日本語見出しつきの「『受験生』バカ母SEX献身の実例」というアサヒ芸能を出典とする記事を日本人スタッフが執筆して掲載(概報)(天漢日乗)

【毎日変態新聞】社内調査の末の検証記事も全てウソだった事が発覚(柔らかニュース)

毎日新聞!社内調査の末の検証記事も全てウソだった事が発覚(【2ch】ネタちゃんねる)

(ブログ「【2ch】ネタちゃんねる」エントリより)
新聞紙面に掲載した釈明記事も虚偽の発表であった。
webではなく、11年前から紙面にて猥褻記事を掲載していた事が発覚した。

×9年前のウェブスタート時から始まった
○いいえ11年前の紙媒体(英字新聞)時代から侮日記事はすでにでかでかと載っていた

×ウェブだからチェック体制が甘かった
○紙媒体上ですでに11年前から日本侮辱記事を垂れ流し

×日本人スタッフが関与していない
○日本人スタッフが3人いた英字新聞時代から日本侮辱記事を垂れ流し

×少数の外人スタッフの暴走
○外人15人、日本人3人という大所帯の英字新聞紙媒体の時代から日本侮辱記事を垂れ流し

×英語だからチェックできなかった
○日本の母親はセックスで息子の成績を上げる、という大きな日本語の説明がついています

↓証拠画像

<略>


ここに揚げられた画像は、2ちゃんねるの有志が図書館に通い詰め、毎日デイリーニュースの過去記事のマイクロフィルムを丹念に調べ上げた結果、見つけたものである。

(ブログ「天漢日乗」エントリより)
発見に至る経緯。「日本の母は息子の性処理係」毎日新聞が捏造記事119スレッドより。

380 :可愛い奥様:2008/08/10(日) 10:38:15 ID:sDggEX3YO
豚切り失礼します。
活字版発掘人@毒女です。
何代前かのスレで「日本の母は〜」の活字版を探しているか他がいらっしゃいましたが、
これではないかと思われる物が発見できましたので、
アップします。
ほかの物に関しては今しばらくお待ちください。
失礼しました。

http://imepita.jp/20080810/378750


当初ソースがこの画像しかなかったため、釣りの可能性も捨て切れなかった。しかし別経路での記事の入手方法の公開、また2日経っても有力な反証が出てこないところを見ると、これにはソースがついたと考えてよいと思われる。

当然2ちゃんをはじめネット上は祭り状態になり、この動きを察知したJ-CASTが遂に記事化する。

毎日英字紙にも「変態ニュース」 11年前から多数の記事掲載(J-CASTニュース)

(エントリより)
毎日新聞社がかつて発行していた英字紙「Mainichi Daily News」が「バカ親SEX献身の実例」「ポケモンの意味は勃起した男性器」などと題した変態的な記事をたくさん掲載していたことがわかった。英語版ニュースサイトだけでなく、11年前の英字紙の時代からずっと続いていたわけで、ネットだからこそ起きたこと、ではなかった。


前回の大炎上では、この問題を報じたJ-CASTの記事をYahoo!ニュースが見出しに載せたことで一気に衆目を集めることとなったと言われている。毎日の検証結果を覆しかねない事実がJ-CAST→Yahoo!ニュースのホットラインで報道された場合、毎日には大きな痛手になると思われる。


参考:
雑記二題(本ブログ記事)
マスコミの劣化(本ブログ記事)

事件の経緯毎日新聞問題の情報集積wiki)…毎日変態記事問題の経緯をまとめたもの。必見。
posted by かせっち at 21:48| Comment(2) | TrackBack(1) | 毎日新聞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月12日

ただいま挑戦中

昨夜2ちゃんねるで突如浮上した話題を取り上げようかと思ったが、もう少し様子を見ようと思うので、今日はこの夏休み中に挑戦していることを一席。

実は自分はピアノ弾きの趣味を持っているのだが、弾く曲はクラシックではなくてロック系。ロック系の曲は有名どころでもないと譜面がない場合が多いので、耳コピ(耳で聞いて曲を覚える方法)に頼らざるを得ない。

で、現在挑戦しているのがMad At Gravityの『Walk Away』―――つーても普通知らんわな、こんなバンド。既に活動休止状態になっちゃてるみたいだし。

この曲を最初に聞いたのは、TVで見た『サラマンダー』という映画。映画の内容はまぁまぁだったが、エンディングで流れてきたこの曲を聴き


うぉ、かっちょえええええ!

弾きてぇぇぇぇぇ!



以来いつか耳コピしようと思っていて、この夏休みで時間が取れたので現在挑戦中。しかしキーボードが入っていないフルバンドの演奏を、ピアノ一本で表現するのは骨が折れるぜ。


参考:
Mad at Gravity - "Walk Away"(YouTube)…『Walk Away』のプロモーション・ビデオ
『Resonance』(Mad At Gravity)…『Walk Away』が収録されたアルバム
『サラマンダー(原題:Reign of Fire)』…『Walk Away』が使われた映画
posted by かせっち at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月09日

長崎・原爆の日に寄せて

焼き場に立つ少年(Kuni Photo Blog)

米軍海兵隊の従軍カメラマン、ジョー・オダネル氏が終戦直後の爆心地・長崎で撮影した写真についての記事。当時オダネル氏は従軍カメラマンの仕事として撮った写真のほかに、個人的な趣味として終戦直後の日本を撮影していた。この写真もそんな中の一枚。

晩年のオダネル氏がこの写真の少年を探すという日本のTV番組(残念ながら再開は果たせなかった)の最後では、氏の地元で開催された写真展の様子が映された。この写真と、それにまつわるエピソードに衝撃を受けるアメリカ人は少なくなかったようである。
posted by かせっち at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ&ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月07日

正体

恐るべき中国大崩壊・大暴落のシナリオ オリンピックを前に大国が抱える4つの困難(MONEYzine)

オリンピック後に訪れる中国崩壊のシナリオ。まぁ、その手のニュースをさらっていれば読んだことのあるような、特に目新しい内容はあまりないのだが、ここだけ。

(記事より)
 もともと中国人は地縁血縁を大切にする。家族同士のつながり、地元で結ばれたつながりで仕事も進めていく。このつながりが、1つ間違えば汚職に結びつくのだが、現在は拝金主義が横行して、ますますひどくなっている。

 特に、役人の汚職には目を覆うものがある。共産党政府の下には、省政府や市政府があり、その下に県や中小の市が連なり、最後に郡や町村があるが、汚職の構造も、このピラミッド型になっている。つまり、何か頼みごとがあると、上へ上へと上納金を上げていくために、大金が必要になるのだ。日本でいうところの山口組のようなヤクザ組織が、一国の構造になっていると思ってほしい。つまり中国の国民一人ひとりが、暴力団の構成員のようなものなのだ。


これはまたストレートな(爆笑)


参考:
下げ止まらぬ株価と物価狂乱 五輪後の中国は不満の爆発を抑えられるか(DIAMOND online)
posted by かせっち at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月05日

負け企業のパターン・その2

イノベーションのジレンマに襲われるニュースメディア(日経IT PLUS・ガ島流ネット社会学)

「イノベーションのジレンマ」をメディアに適用する言説がようやくメディア側(正確にはアウトサイダーだが)から出てきたか、と思ったのだが…

(記事より)
 一方で、性能や品質をより高め、利益率の高い部分に特化して生き残る方法もある。ネットの未来を予測した動画「EPIC2014」では、ニューヨークタイムズがオンラインへの記事提供を廃止して、老人や裕福層向けに紙のみを提供するという結末が関係者に衝撃を与えたが、これはある意味で悪くない選択だ。

 インターネットのメーンユーザーである30代に比べて、新聞のターゲットユーザーである団塊世代以上は収入や資産が大きい。人口が減っている若者に比べてパイが大きいとも言える。

 また、紙は印刷が必要で、ネットに比べて参入障壁が高い。ネットインフラの整備率や生活への浸透度は地域によって異なるため、「破壊的技術」のインパクトはまだらになる。時間稼ぎは十分に可能だ。少なくともコストが見合わず、組織変更も伴うウェブの世界で争うよりは合理的だ(だからジレンマが生じる。もちろん企業にとってチャレンジしなければ「死」あるのみなのだが…)。


新聞の採る道はやっぱり「負け企業の戦略」ですか…


まず団塊の世代以上の人口は減ることはあっても、増えることは決してない。藤代氏は若者の人口が減っていると指摘するが、それでも子供が生まれることで若年人口は補充される余地があるのに対し、団塊の世代以上は寿命を迎えて減る方向にしか向かわない。

新聞がターゲットとする団塊の世代以上の人口が縮小するなら、その減った分を下の世代から補充するしかない。しかし下の世代になるほど新聞よりもネットから情報を得る。ネットで情報を得ていた彼らが、年を取ったから新聞を読むようになるとは到底思えない。

藤代氏はネットのメインユーザーを30代というが、20年もすれば彼らも今の団塊の世代の年齢に近づくのである。その一方で団塊の世代は80代になり、いよいよ寿命が現実味を帯びる。


つまりネットユーザーを取り込むことなく

団塊の世代以上をターゲットにする戦略は

20年後にしぼむ市場を相手にしているのである

これを「雪隠詰め」と言わずして何と言おう



もちろん、しぼむ市場に合わせて事業規模を縮小し、新聞事業を継続する策もある。しかしその場合、新聞社は今までのような経営はできなくなる。

藤代氏が指摘するように、参入障壁として新聞社を守っていた「紙への印刷」が、規模縮小と共にコストとして経営を圧迫する。また多くの新聞記者を高額な報酬で囲い込むこともできなくなる。それは記事の質の低下につながり、更なる新聞離れを引き起こす。

かくして新聞社に残されるのは、今までとは比べ物にならないくらい小さな規模での記事の発行と、それに比して小さな規模の購読者である。このような状態になったとき、新聞が世論に与える影響は今までのように巨大ではあり得ないだろう。

車に例えれば、超高級スポーツカーを少量生産するフェラーリのような会社も需要がある限り存在できる。しかしフェラーリにトヨタのような生産能力はなく、結局のところフェラーリが自動車業界に与える影響はトヨタに比べれば限定的だ。


「EPIC2014」が示唆した新聞の未来は

新聞がフェラーリのような存在に

追いやられてしまうことを意味する



世論に影響を与えることを旨としてきた新聞社が、世論に対して脆弱な影響しか与え得ないとしたら、言論機関としてどんな存在意義があるのだろうか?


参考:
負け企業のパターン(本ブログ記事)
クリステンセン三部作(本ブログ記事)…「イノベーションのジレンマ」シリーズの書評
posted by かせっち at 20:51| Comment(0) | TrackBack(0) | メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月03日

業務連絡

医者に食生活について説教された関西の某に告ぐ。


元気に夏を乗り切るにはスタミナだ

すぐさま東京・西荻窪に飛べ!



【一日一中】 ボリュームある食事(国を憂い、われとわが身を甘やかすの記)


医者が勧める食生活 諸行無常の響きあり…(笑)
posted by かせっち at 20:00| Comment(2) | TrackBack(0) | ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月02日

China rebuilt by Japan

日本における中国研究家が描き出す中国とは、現代につながる中国そのものの姿ではなく、日本によって解釈され、再構築された中国である、というお話。キーワードは「魯迅」。

自分の国を知らない中国人(中韓を知りすぎた男)

(エントリより)
はっきり言って中国には過去を知るべき古文書があまりない。そんな
バカな とお思いでしょうが、事実なのです。

中国では権力者が変わると以前の文章は全て焼き払われる。征服者
は常に人種の違う異民族ですから、以前の歴史はまったく価値を
もたない。

<略>

ところが皮肉なことに日本では昔から中国の研究が進み
あらゆる資料が整っていた。

あの有名な魯迅が日本に留学して、日本語をマスターすることによって
日本にある中国歴史書に接した、そして驚嘆した、祖国中国では絶対
に知りえない中国の歴史を知った。

この時代に魯迅と同じように中国人が数万人留学生として日本にやって
きた、彼らは魯迅と同じように日本で祖国の歴史を知った。
そして日本人が作った漢語を借用して、新知識を中国に紹介した。

そのことによって中国は近代文明の入口に立った。

日本語を学んだ中国の知識人たちは、徹底して日本を模写した。
現代使われている中国語が、文体もボキャブラリーも日本語からの
借用であるという事実を中国は隠してしまった。


文化不毛の国「中国」(中韓を知りすぎた男)

(エントリより)
日本は建国以来、20世紀に入るまで中国と正式に国交を持ったことも
ないし,持とうとも思ったこともない。

日本は遣隋使、遣唐使によって無数の漢籍を大陸から持ち帰り、それを
徹底的に研究した。結果日本人は2000年前の「論語」や漢詩の
影響を多大に受けた。

しかし唐の朝鮮半島の侵略を見て危険を感じた日本は、中国に対して
絶縁をした。それ以降中国と外交関係を持ったのは、1871年の
日清修好条規からです。

日本は2000年以上前の中国文化の影響のまま長い間凍結した。

そうした漢籍による教養が身についたまま現代中国と接しても、中国人
の実態は闇の中です。
異民族が常に中国支配してきたため、日本人が身についた漢文の
教養が中国人にはまったく影響を及ぼさなかったのです。

ところが日本人は中国人もこの漢文の教養が身についていると大勘違い
してしまいました。

ほとんどの中国人にとって漢文は理解不可能なのです、現代中国人
だけでなく大昔から一般人は誰も漢文を読みこなせなかった。


魯迅の「狂人日記」(中韓を知りすぎた男)

(エントリより)
魯迅は日本に留学したことによって、近代文明にふれ、人間の常識と
秩序を知った。自分が育ってきた社会が余りにも日本とかけ離れていた
ために、逆に日本を通じて自分の国である 中国を知ることになった。

いま日本の大学で教授に居座っている多くの中国人教授も、この魯迅の
ように日本社会で暮らすことによって 知識と常識を見につけたと
おもわれます。

魯迅の小説の世界はまさに中国社会や中国人の本質をついています。

魯迅は日本の資料で中国の儒教を深く知った、しかし自分が知っている
中国はその儒教とはまったくかけ離れた世界であると知ってしまった。
逆に日本の中国研究家は儒教の精神と中国人を一体化してしまった。

ここに日本学者の大きな感違いが生じてしまったのです。


その中国は本当に「中国そのもの」か?

日本によって解釈された「幻想の中国」ではないか?
posted by かせっち at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月01日

雑記二題

※2008/10/5変更

久々の更新は特に取りとめも無く(笑)


※2008/10/5変更
以前取り上げた記事はこちらに移動しました→
「iPhoneとケータイの違い」


殺人犯を聖人に祭り上げる人々(池田信夫 blog)

秋葉原の事件以来、無差別殺傷事件が続発していることについて。

(エントリより)
こういう現象は自殺と同じで、メディアが騒ぐと続発することは、犯罪心理学でよく知られている。まずメディアが自重し、特に同じ事件を繰り返し続報で扱わないことが重要だ。

もう一つは、こうした事件に意味をもたせないことだ。「格差社会」や「勝ち組・負け組」といったありがちな図式で、殺人犯を「時代の象徴」に祭り上げることは、病人を増長させ、模倣犯を呼ぶ。この種の「ありがち評論」の典型が、事件の実態もわからない3日後に「容疑者が職場への怒りや世間からの疎外感を長期的に募らせた」とか「社会全体に対する空恐ろしいまでの絶望と怒り」などという見事なステレオタイプで、秋葉原の事件をテロと呼んだ東浩紀のエッセイだ。
posted by かせっち at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ&ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

iPhoneとケータイの違い

iPhoneがガラパゴスケータイより劣っていていい理由(404 Blog Not Found)

iPhoneユーザーになり、ブログの体裁もiPhoneに最適化した小飼弾氏のブログ。

(エントリより)
iPhoneの本当の恐ろしさ、それはiPhoneならだめなところをいつでも直す余地があることそのものなのだ。多少PCが古くても、OSやアプリをアップグレードすればよくなるように、iPhoneはいつでもアップグレードできるのだ、OSですらiTunes経由で、アプリならそれすら不要でApp Store経由で。

これがどれほどケータイでは非常識かということを、みんな忘れてない?

確かに、日本のケータイの完成度は高い。高くなければならないからだ。ダメなところを後でほとんど直しようがないからだ。そりゃファームウェアアップデート程度はなきにしもあらずだけど、アプリケーション単位でアップグレードなんて、ない。もしあったとしても、ケータイ屋にわざわざもっていかなければならない。

日本でよりよいケータイを手に入れるには、事実上新機種を買うしかない。Docomoなら70Xだの90XだののXを一つ足すためだけに、ハードウェアごと交換ということだ。

iPhoneなら、iTunesにつなぐだけでいいのだ。
posted by かせっち at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | IT | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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