2007年11月30日

食品偽装にみる中国

食品汚染、中国国内はもっと深刻(日経BP SAFETY JAPAN)

中国国内の食品偽装の実態を告発した本『中国の危ない食品』(周勍/草思社)の書評。最近では日本でも食品偽装事件が後を立たないが、それでも日本と中国では根本的な違いがあると、評者は述べる。

(記事より)
 日本の場合、食品偽造の根底にあるのは「もったいない」という感覚だ。

 実際問題として、食料品関係の法的基準はかなり厳格に作られている。少しぐらい破ってもそれですぐに問題が起きるというものではない。目の前の食料品を期限切れで破棄するとなると、どうしても「もったいない」という意識が働く。実質的に問題がないのだから、いいのではないか――そして、改修した食品の再利用や、消費期限シールの張り替えが発生する。

 中国の場合は、根底に「もうけるためなら」があるように思える。日本でも「船場吉兆」の事例は、単価の安い原材料をブランド品と偽って使用するというもので、目的はもうけだった。しかし中国の場合は「もうけるためなら、消費者に健康被害が出ようと知ったことではない」という点で、「船場吉兆」とは異なる。

 このあたり、日中の食に対する国民性が出ているようで興味深い。


そして、中国の13億の民を統べる方法とは「大量死」にあるのではないか、と提起する。

(記事より)
 実のところ本書を読み終え、学生時代の中国旅行を振り返って、ひしひしと感じるのは、共産中国を作り上げた毛沢東という政治家の特異性だ。

 一億人近い餓死者を出したという大躍進政策や、多くの犠牲者を出した文化大革命など、毛沢東の政策にはどれも大量の死がつきまとっている。それは近代的思考からすれば忌むべきものだが、もしかして人民に強いる大量死こそが中国を治める要諦だったのではないか。なにしろいくら死んでもかまわないほどに、中国は人であふれている。

 焚書坑儒を行った始皇帝のように振る舞うことこそが、中国を末端に至るまで治める術であると、毛沢東は考えていたのではないかという気がするのである。


果たして毛沢東が特異だったのか?

歴代皇帝を倣っただけではなかったのか?
posted by かせっち at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国(経済) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月29日

「場」の共同体

日本における「人と人とのつながり」って何だろう?(あさってのほうこうBlog)

(エントリより)
■「日本の共同体は血縁に基づくものだ」
そのように誤解している人が多いと思います。
でも実のところはそうではないんですよね(皇室は除く)。
日本の共同体は血縁共同体ではないんです。
伝統的に日本では、血のつながりなんてどうでもええんですよ。

<略>

■じゃあ、日本にある共同体って何なんだ!
それは同じ「場」を共有するという事実の積み重ねに基づく共同体。
例えば、農民は土地という「場」を媒介にした結びつきを重視します。
武士などの場合は家という「場」を重視。

■日本において大切なのは、同じ「場」にいること。
血縁などなくってもいい。
その場にいることが重要。
いない奴はたとえ血縁者であっても「よそ者」となります。


ブログ主曰く、共同体の基礎を「血縁」に置く中国に対し、日本は「場」「その場にいること」を基礎に置く。日本の伝統的価値観からすれば、共同体の最小単位は「家」「家族」であり、一見すると中国同様「血縁」を基礎に置いているように見える。

しかし実際のところ、「家」を存続させるために婿を取ったり、養子を迎えたり、馬場信春のように縁もゆかりもない人が「御家再興」したりする。つまり「血縁」よりも「家という存在」を重視すると考えれば、ブログ主の主張と合致するところだろう。

更に思い浮かぶことは儒教との関係。血縁との関係性である「孝」と、社会との関係性である「忠」が相反するとき、「孝」を優先する儒教は、「血縁」共同体を基礎に置く中国から生まれるべくして生まれた思想であると言える。

確かに儒教は日本に入って来てはいたが、親の死に目に会うことよりも公の仕事に果たす(「孝」より「忠」を優先する)ことが美談になるように、儒教は結局日本に根付かなかったようだ。その原因は「血縁」と「場」の差だったのかもしれない。

ところでブログ主は「場」の共同体でやってきた日本の変化の一端として、「血縁」の重視を揚げている。しかしここで取り上げられた「血を分けた子供を持ちたい」という願望は、中国的意味での「血縁」というよりは、個人の欲求といえるものだ。

即ちこの現象は、日本の共同体観が中国的に血縁重視に変化したというよりは、戦後注入された欧米の個人主義の産物であり、共同体が個人レベルにまで解体されてしまったことの証と見るべきなのである。ここに今の日本の社会の危うさがある。

『歴史の終わり』は「リベラルな民主主義の安定には共同体の伝統的価値観が必要とする一方で、リベラルな民主主義自体が伝統的価値観を侵食し、自らを維持する力を侵食する」旨を述べている。これこそが日本で今起きていることではないだろうか。


参考:
歴史の終わり〈下〉(フランシス・フクヤマ/三笠書房)

お互いさま(ねこまんま)

「共同体」観の違い(当ブログ記事)
posted by かせっち at 22:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月28日

自分は悪くない

自分は悪くない(月見櫓)

(エントリより)
もう2年も前になりますが、「Japanese are always wrong?」という記事を書きました。これはこれで、今でも間違いではないと思いますが、彼らの根源的な考え方は、「Japanese are always wrong」ではなく、「I am NEVER wrong」なのではないかなと、最近思うようになりました。

<略>

日本人は、割と「自分が悪かったのかも知れない」と考えるのが好きです。どれほど相手が悪かったとしても、「自分にも何か悪いところはなかっただろうか」と考えがちです。相互にこのような考え方であれば、たとえ対立することがあったとしても、互いに一歩ずつ譲り合って必要以上に傷つけあうことを回避することができます。

しかし、この考え方で韓国人と接すればどのようになるでしょうか。相手は、自分が悪いとは絶対に思わず、こちらは、「何か自分に落ち度はなかっただろうか」と頼まれもしないのに考えます。この両者に損得が絡んだ関係が生じれば、その結果は子供でも容易に想像がつくと思います。


このような考え方は韓国人だけではなくて…


大家は言った「お前を訴えてやる」――米国の不条理にがくぜんとする(Business Media 誠)

(記事より)
 携帯電話の向こうで、アパートの大家がすごんでいる。

 「いいか、オレは今日弁護士に依頼を出した。お前は通常の家賃に加えて、弁護士費用も払わなければならない。これを避ける方法はただ1つ――×××ドルを今日中に、耳をそろえて支払うことだ。議論の余地はない。急がないともうすぐ銀行が閉まるぞ。じゃあな」

 それまで白熱した議論を展開していた筆者も、さすがにこのセリフには慌てた。すぐさま家を飛び出し、銀行でしかるべきお金を下ろした。

 ――それが過剰に請求された、間違った金額であると知りながら……。

 「ロサンゼルスMBA留学日記」、今回は筆者が出くわした米国社会の不条理と、そこから派生した考察をお届けする。

<略>

 数日後、1通のメールが届く。「Confirmed. Tenant will have $92.00 credit towards Dec. Rent.」(状況を確認した。住人は12月に92ドルを振り込まれる)。幕切れはあっけないものだ。直接のメールはこの一文だけで、「間違っていましたゴメンナサイ」という文言はなかった。ちなみに50ドルのLate feeも返せといいたいところだが(通常の家賃は期限どおりに払っており、延滞はない)、面倒なので我慢することにした。なんとも、骨が折れる交渉だった。


…てか、「自分は悪くない」と考えるのが世界の趨勢で

「自分が悪いかもしれない」と奇特な考えを持つのは

日本人だけなんじゃねーの?



こんなことだから日本人はつけ込まれるんだよ。
posted by かせっち at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月27日

理解の浅い人と深い人

“理解が浅い人”と“理解が深い人”の8つの違い(前編)(日経ITpro)
“理解が浅い人”と“理解が深い人”の8つの違い(後編)(日経ITpro)

芦屋広太氏のコラム「ひとつ上のヒューマンマネジメント」の「5分で人を育てる技術」シリーズ。

(記事より)
“理解が浅い人”と“理解が深い人”の8つの違い

(1)理解が深い人は目標を持ち,自分にテーマを課す。
理解が浅い人は目標感がなく,自分にテーマを課せない。

(2)理解が深い人はイメージする。
理解が浅い人はイメージしないか,そもそもできない。

(3)理解が深い人は体験する。
理解が浅い人は体験しない億劫な性格である。

(4)理解が深い人は切迫感を持つ。
理解が浅い人は切迫感が弱く,締め切りに緩い。

(5)理解が深い人は常にアウトプットする。
理解が浅い人はアウトプットを嫌がる。

(6)理解が深い人は何でも興味を持ち好きになる。
理解が浅い人はものに興味がなく,無感動で怠惰。

(7)理解が深い人は常に批判的に見て考える。
理解が浅い人は批判的に見れず,疑問を持たず,鵜呑みにする

(8)理解が深い人は何回でも根気良く繰り返す。
理解が浅い人は繰り返さず,その場限りですぐ忘れる。


詳細はリンク先を読んで頂くとして、上記に掲げられたことは仕事の進め方に限らず、「お勉強」にも言えることではないだろうか。
posted by かせっち at 21:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月25日

参院選大勝の裏側

伊吹やさしいね(恐怖!猫屋敷)

伊吹自民党幹事長が講演で述べた「(仮に衆院解散をかけた場合)民主党は衆院の90の選挙区で候補者不足の状況である」との発言についてのブログ。

(エントリより)
ここまでを整理すると、
1.国政で優先されるのは「衆議院」であり、参議院ではない
2.小泉政権下で行われた郵政選挙の結果、民主党は衆院の多くの議席を失った
3.安倍政権下では、参院選を「安倍の信任選挙」として位置づけた
4.その結果、「議席を失った有力衆院候補を、軒並み参院で立候補させた
5.大勝してしまった(=衆院に出る筈の候補が、全部参院で当選してしまった

伊吹発言の「民主党は90足りない」という指摘はまさにこれで、衆院選で勝てる可能性のある候補を全部参院に廻してしまった結果、民主党は実に90もの選挙区で立候補者すら立てられない、という点の指摘だな。


なるほど、参院選の大勝の見返りが衆院選への手駒不足か。小沢氏「現状では衆院選は厳しい」と言った理由はここにあったのかもしれない。
posted by かせっち at 21:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治(民主党) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月24日

「生きる力」って何?

例えば子供がいじめを受けて自殺したとき、学校関係者や教育評論家、テレビのコメンテーターなどが「「生きる力」を教えなければならない」と力説する。


でも「生きる力」とは一体何なのだろうか?

この問い対する明快な答えを聞いた例はない。



以下、Critical Horizonで引用された記事より。

広がる若者世代の貧困 「一回転ぶとドン底まで行く」
――NPOもやい事務局長・湯浅誠氏インタビュー(上)(J-CASTニュース)

「ネットカフェ難民」転落 本当に若者の「責任」なのか
――NPOもやい事務局長・湯浅誠氏インタビュー(下)(J-CASTニュース)


(記事より)
――一方で、若者の「弱さ」「甘え」が、すぐに仕事を辞めて職を点々とするようなフリーターを生み出した、という意見もあります。

なんと言っていいのか難しい問題なんですけど。前にこういう事例がありました。5月に失業、相談に来たのは9月なんですが、その4ヶ月間の間に食べられなくなった男性でした。その間に、彼は3回就職しました。でも、3回の仕事をいずれも3日、3日、1日で自分から辞めてしまっているんです。食うに困っていて、仕事を探していて、実際に採ってくれるところもある。でもなんで辞めてしまうのか、ということですよね

彼に働く気がないのかというと、そうではない。そうじゃなきゃ3回も就職活動はしないわけで、だけど、続かない。「なんで?」と聞いたら、「仕事についていけると思わなかった」。そこがいわゆる「弱さ」の正体ですよね。
私はいつもこう言っているのですが、新しい仕事に就くということは、大変なことです。会ったことがない人たちと、やったことのない作業をやるってこと。多くの人はできると思うんですね。しかしやったことないんだから、そこには実は根拠がない。なんで根拠もないのにできると思えるのかというと、「今までやったことないことやらせてもらえた」「チャンスをもらえた」「やったことないことをやってうまくいってほめられた」といった「成功体験」みたいなものを過去に持たせてもらえた。だから、それを応用して「できる」と思えるんです。
逆に言うと、そういう経験に乏しい人にとっては、「できる」と思えない。本人にとってはこれが、大問題だったりするんですよね。

これは、自己責任論と絡むんです。病気で仕事に行けなくなって解雇されたというと、みんな「しょうがない」というんです。みんな実際に病気をしたことがあるから。「健康管理がなってない」と自己責任論で片付けることもできるはずですが、そう言って批判する人は多くはない。一方で、仕事のことになると、「お前が頑張らなかったせい」と自己責任論で片付けられる。多くの人にとっては「頑張ればできる」ということなんだろうけど、本人にとってはどうしても乗り越えられない。これも広い意味で「貧困」だと思うんですよ。つまり、「意欲の貧困」、精神的に「溜め」がないということなんです。
posted by かせっち at 20:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月20日

入管法改正

来日外国人の指紋採取を義務付けた、改正入管法に基づく入国審査が開始された。

「何が何でも守る!」という意志(日本史から見た最新ニュース)

(エントリより)
「入管法」が改正されると、「日本社会」にはどのような影響があるのか?「警察官」の知人に話を聞いたので、その「本音」を要約して掲載します。

<略>

〜入管法が改正されれば、「犯罪抑止」の効果は上がるのかな?

「入国してくる外国人が増えれば、数自体は減らないだろうけど、犯罪発生率や、凶悪犯罪発生率は確実に減らすことができるよ」

〜それはどういう理由で?

「外国人が犯罪を行う確率は、日本人と比べると格段に高いんだけど、犯罪ってものは、外国人も、日本人も関係なく、一人の人間が、何十件、何百件と繰り返すものだから、一人や、一組織を潰す意味は物凄く大きいんだよ。特に外国人犯罪者はタッチ&ゴーで出たり入ったりしながら犯罪を繰り返しているから、犯罪者を入国させない、ということが一番大切なんだよ」

「入管法が改正されたことによって、これからは韓国人武装強盗団や、韓国人連続レイプ団なんかの入国を阻止できるからね。これは俺たちにとっても、国民たちにとっても本当に、本当に大きなことなんだよ」


参考:
タイ人「いいんじゃね?」、韓国人「不快ニダ」(散歩道)

※2007/11/23追記
グダグダ言われるんだったら日本人の指紋も採ることにしたらどうかと思うよ、本当に。(冒険少年にゅーす塾EXTRA)

(エントリより)
今回のことを「人権問題」「外国人差別」と騒ぐ人がいますが、どうしてそういう発想になるのかわかりませんね。

国家として「犯罪」を水際で止めようとするのは当たり前だと思うのですがね。

だいたい銀行とかパソコンとかが「指紋認証」を採用しているのですが、そういうところには言わないんですかね、こういう人たちは。

まあ、言うわけ無いですけどね。

posted by かせっち at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ&ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月18日

理由

最近、以下のような件名のスパムメールが立て続けに来た。

どうして携帯にでてくれないの?


(それはね

自宅の固定電話には勧誘電話しかかかって来ず

通話する相手もいないから携帯を持ってない)

ダメ人間だからさ



・・・と、バーのカウンターでロック片手にぼやいてやろうかと思った(号泣)
posted by かせっち at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 踊るダメ人間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月16日

「ゆとり」がもたらしたもの

“中学レベル”の大学生急増「ゆとり教育影響」 オンライン学習・大学ネット設立(千葉日報)

「お気に召すまま」で取り上げた記事。

(記事より)
 少子化による大学全入時代で入試そのものの機能が問われる中、日本語の設問すら理解できない大学生が急増している。講義が成立しないとの大学側の悩みに応え、千葉市美浜区のメディア教育開発センター(NIME)が事務局となり、基礎学力向上のためのパソコンを使った自習教材、eラーニングの普及へ「オンライン学習・大学ネットワーク」を設立。来年四月から、参加大学が独自に開発した教材を共用し、大学生の学力底上げを目指すことになった。

 学生の学力低下について研究するNIMEの小野博教授(62)は、全国の大学生四万六千人を対象にテストを行ったところ、国公立大学で6%、私立大学で20%、短大では35%の学生の日本語力が中学生レベル。私大や短大の中には60%を超えた学校もあった。

 別のアンケートでは、ふりがな付きにもかかわらず、設問中の「怠惰」や慣用句の「話を聞いて骨が折れる」の意味が分からない学生すら多かったという。

 小野教授はゆとり教育と少子化による大学全入時代の影響を指摘。「入試が機能せず、(同じ大学でも)入学する学生のレベルが開いている」と分析する。


とある会合の懇親会でのこと。同席したある大学の理系の教授が嘆いていた。

「最近の学生は本当にレベルが低くなりました。何せ、理系の学生でも大学3年にならないと微分方程式を教えられないのですから。

おかげで物理の教授は手足を縛られているようなもので、電磁気学なんかを教えるのに苦労していますよ。」


大学3年にならないと微分方程式を習わない、だと?

自分が大学1〜2年の時の物理や数学の授業といえば

血反吐を吐く程、微分方程式を解かされたものだが・・・(呆)



そもそも物理の法則というのはそれ程多くない。力学ならばニュートンの運動方程式、電磁気学ならマクスウェルの方程式というように、ある分野の物理現象を説明する基礎方程式は1分野に1個程度しかない。

逆に言えば、たった1個の基礎方程式でその分野の物理現象が説明できてしまうのだが、この「物理現象を説明する」ということを具体的に言うと、「与えられた条件の下で、基礎方程式を解く」ということになる。

そして基礎方程式は大抵の場合、微分方程式になっている。だから物理を根本的・包括的に理解するためには、そのための具体的手段である微分方程式の解き方を学ばなければならないのである。

実はこのことは、自分の高校時代の物理の勉強の上での大きな障害になっていた。

高校で理系コースを選択した自分は、3年で「微分・積分」を履修している。しかし高校の「微分・積分」で扱う微分方程式は初歩的なレベルに留まり、物理の基礎方程式を解くのに使える代物ではなかったのである。

例えば、斜面を転がる物体の運動も振り子の運動もニュートンの運動方程式で記述できるが、実際にこれらの運動の問題を解く場合、前者は直交座標系、後者は極座標系で運動方程式を表現し、この式を微分方程式として解くのが定石といえる。

しかし数学で微分方程式を本格的に教えないため、物理でも解法に微分方程式を使うことができない。結果、一つの方程式で扱えるはずの物理現象が、別々の方程式に支配されているかのように、それぞれに応じた解き方を覚えなければならなかった。

覚える側としてはこの状況は非常に苦痛であった。高校の物理の先生もそのことを重々承知していて、「今は『こういうものだ』と思っておけばいい。本格的に理解するのは大学で微分方程式を習ってからだ」と仰っていた。

そして先生の予言どおり、大学1〜2年の間に手を変え品を変え、あらゆる物理・数学系の授業で微分方程式を解く訓練を積んだおかげで、物理についての包括的な理解が進んだのである。

このような経験があるために、今の大学生が3年にならないと微分方程式を習わないという話を聞いて、「今の大学1〜2年生は俺の高校生レベルなのか?」と驚いた次第である。

「結局、ゆとり教育なんですよ。

小学校5〜6年で習うことを中学で習い、中学3年で習うことを高校で習うというように、教科がどんどん後ろ倒しになっているんです。そのしわ寄せが大学まで及び、大学1〜2年で高校で習うことを教えなければならないんです。

尤もレベルの高い子は大丈夫なんです。そういう子は数学が好きだから、自分でどんどん先に進むんです。問題はそういう子とレベルの低い子との乖離が今まで以上に大きくなってしまった、ということなんです。」


かくなる数学力の低下に至っては、理系離れもむべなるかな
posted by かせっち at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月15日

認知への欲望(笑)

「アサヒる」「能登かわいいよ能登」「みっくみく」…現代用語の基礎知識に(痛いニュース)

「現代用語の基礎知識」に「アベする」も「アサヒる」も掲載されるとのこと。良かったですね(棒読)>中日新聞の川北隆雄・論説委員

(エントリより)
はてなは11月14日、ユーザーがコンテンツを追加・編集するオンライン辞書「はてなダイアリーキーワード」に掲載されている97のキーワードが、新語辞典「現代用語の基礎知識2008」(自由国民社)に収録されると発表した。

「ビジネスと社会」のジャンルには「それは仕様です」「電車代を稼がなくちゃ、
いけないんです」などが、「政治と社会」には「ローゼン麻生」などが、
「行動とパーソナリティ」には「フルボッコ」「HDDのフォーマットと同人誌の焼却」などが、
「ことばと社会」には「アサヒる」「アタシ、もうアベしちゃおうかな」などが、
「ウェブのことば」には「ググレカス」「能登かわいいよ能登」などが、
「趣味と萌え」には「初音ミク」「みっくみく」「痛車」などが収録されている。


そして奥さん!「おもいッきりイイ!!テレビ」でも「アサヒる」が紹介されましたよ!

「アサヒる」=「執拗に責め立てること」…日テレが「アサヒる」の意味をアサヒる(痛いニュース)

(エントリより)
15日に日本テレビ系列で放送された「おもいッきりイイ!!
テレビ」で、ネット発の新語「アサヒる」が紹介された。

もともとこの「アサヒる」は朝日新聞の記事が発端となった言葉で、主に「捏造する」「でっちあげる」という意味で使われている。
また「執拗にいじめる」という意味もある。(はてなキーワードより)

番組内ではこれを「執拗に責め立てるという意味」と説明。
メインとなる「捏造」の意味に言及せず、「いじめる」というマイナス
イメージの強い言葉を、「責め立てる」という言葉に変えて紹介した。


参考:
幻聴(当ブログ記事)
流行語大賞(当ブログ記事)

アサヒる
posted by かせっち at 21:52| Comment(4) | TrackBack(0) | 朝日新聞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月14日

道徳教育の是非

小学校時代の道徳の授業といえば、NHK教育の道徳の番組を見た記憶くらいしかない。もしかすると視聴後に先生の講義などがあったのかもしれないが、何にしても印象が薄くて「道徳」という言葉にピンと来なかった。

『歴史の終わり(下)』p.52)
平等についてのキリスト教の見地は、一九六三年にマーティン・ルーサー・キング牧師がリンカーン記念堂の壇上からおこなった「私には夢がある」という演説の中に如実に示されている。 <略> キリスト教の牧師であるキングにとって人間の尊厳は、人間の理性や賢さのなかにではなく、その人格のなかに、つまり道徳的性質、善悪を識別する能力のなかにある。


上記のように、人の道徳的性質が善悪を識別する能力であるとするならば、道徳とは「善悪の基準」であり、道徳教育の目的は「何が善であり、何が悪であるかを教えること」と言える。

しかしこの道徳教育の目的自体が道徳教育を難しいものにしている。何故なら、客観的事実を基に教える他の教科と違い、道徳教育が扱う「善悪の基準というもの自体」が極めて主観的な代物だからだ。

特に現代に特徴的な、「あらゆる価値は相対的であり、絶対的な価値などない」という相対主義は、国・共同体レベルでまとまっていた善悪の基準を、個々人のレベルに分解することを促進した。

かくして、個々人の主観に基づいて善悪の基準が決められ、それを他人がとやかく言うことが憚られる現代において、「一つの」善悪の基準を定め、それを教えるということは困難な作業と言える。

例えば、学習指導要領で善悪の基準を示したとしても、教師の主観と合致しなければ、教師は納得して教えないだろう。同様に、教師が納得した善悪の基準にしても、今度は生徒の主観と相容れないこともあり得るだろう。

このように、現代においては普遍的な善悪の基準など無いように見える。しかし、普遍的な善悪の基準がないからといって、善悪の基準を教えること自体を放棄してもよいのだろうか?

それは善悪の基準を完全に個々人の主観に任せたらどうなるかを考えればよい。早晩、他人の善悪の基準と衝突し、自分の善悪の基準に基づいて相手を非難し、互いに相争うことだろう。

それを避けるためにも、大多数が共通認識として持てるような善悪の基準を定め、それを教えなければならない。その意味において、道徳教育は行わなければならないのである。


一つの善悪の基準を定めることが困難な時代において

一つの善悪の基準を教えることを目的とする道徳教育

自らの存在自体が大きな矛盾であることが

道徳教育を難しくしているところ

だからといって道徳教育を放棄してはならないのである



参考:
歴史の終わり〈下〉(フランシス・フクヤマ/三笠書房)
posted by かせっち at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月13日

「空気」

KYと「空気の研究」(こん)

「場の空気を読む」というときの「空気」について、山本七平の著作を紹介しながら論考したブログ。

(エントリより)
・「空気」の研究 (山本七平ライブラリー) p58

 「空気」的に支配され、満場一致で空気支配に従っていれば、それで大過はなかった。空気の支配は、逆に、最も安全な決定方法であるかのように錯覚されるか、少なくとも、この決定方式を大して問題と感じず、そのために平気で責任を空気へ転嫁することができた。明治以降、この傾向が年とともに強まってきたことは否定できない。

 だが中東や西欧のような、滅ぼしたり滅ぼされたりが当然の国々、その決断が、常に自らと自らの集団の存在をかけたものとならざるを得ない国々およびそこに住む人々は、『空気の支配』を当然のことのように受け入れていれば、到底存立できなかったであろう。そしておそらくこのことが、対象をも自らをも対立概念で把握することによって虚構化を防ぎ、またそれによって対象に支配されず、対象から独立して逆に対象を支配するという生き方を生んだと思われる。 そして彼らにとって最良の教科書は恐らく旧約聖書だったはずである。聖書とアリストテレスで一千年鍛錬するとアングロ・サクソン型民族ができると言われるが、その最も大きな特徴は、体質的ともいえるその相対的把握であろう。
 
 聖書の相対化がどのようなものか。そして相対化の世界すら、日本に持ち込まれるとその相対性が消され、一つの絶対性が付与され、臨在感的把握の対象とされてしまうかを、次に二例ほどあげて説明しよう。
 
(省略)

 だがこの相対化の原則は、人間が人間である限り、2千数百年前も現代も変らないのである。1つの命題、たとえば『公害』という命題を絶対化すれば、自分がその命題に支配されてしまうから、公害問題が解決できなくなる。『差別』という命題を絶対化すれば、自分がその命題に支配されてしまうから、差別という問題を解決できなくなる。これが最もはっきり出てきているのが太平洋戦争で、『敵』という言葉が絶対化されると、その『敵』に支配されて、終始相手にふりまわされているだけで、相手と自分を自らのうちに対立概念として把握して、相手と自分の双方から自由な位置に立って解決を図るということができなくなって、結局は、一億玉砕という発想になる。そしてそれは、公害をなくすため工場を絶滅し、日本を自滅さすという発想と基本的には同じ型の発想なのである。そして空気の支配が続く限り、この発想は、手を替え品を替えて、次々に出てくるであろう。


「公害をなくすため工場を絶滅し、日本を自滅さすという発想」

・・・似たような発想をどこかで聞いたような(笑)
posted by かせっち at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月11日

助言

怖いのは暴落ではなく逆ギレ。(日々是チナヲチ。)

株が暴落して逆ギレする中国の個人投資家について。

(エントリより)
 いやーこれだから株は怖いのです。……ああ、リスク自分持ちというのを肌でわかっていない「股民」が怖いというべきでしょうか。

 「股民」とは個人投資家のことですが、ここでは投機目的の個人投資家という狭義の「股民」を指すことにします。A株の方です。

 「股民」は暴落すると逆ギレします。今年5月末の暴落日にはデモも発生したとか。

<略>

 怒りと怨嗟を超越してしまっているものもありました。下の写真、

「『十七大』は共産党が亡党、亡国へと踏み出す初めの一歩だ」

 という素敵に反革命なタイトルのスレッドです。金融→株式→上海株価指数とたどった先にこんなスレが(笑)。

「何て勇敢な……。もっと言え」

 という煽るような斜に構えたようなレスにも味があります。むろん、ほどなく削除職人が掃除していったそうですけど。


ご利用は計画的に(笑)
posted by かせっち at 21:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 中国(経済) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月10日

システムは恣意性を排除する方向に進む

社長の華麗なる才能はナマモノである件について(日経ベンチャーonline 困った会社見本市)

(記事より)
 優秀な社長は雇った社員の誰よりも仕事ができる。「この仕事をやらせたら俺の右に出る者はいない」という強烈な自意識と、実際その通りに結果を出すことのできる能力で会社を引っ張ることになる。

 投資先の会合とかを観察していると、よく社内会議そのものが社長独演会となり、部下はメモを取っているだけ、という光景に出くわす。そこにいる誰よりも社長の能力が高いのだろうし、社員の側も雇われているのだから「社長、あんたの言ってることは違うと思います」と公衆の面前で反発することも難しい。実際、そういう会社は結果を出す。指揮系統がはっきりしていて、目標に向かって全員が束になると、それ相応の結果は出てくるものなのである。

 ところが、ある程度会社が大きくなってくると社長の唯我独尊に拍車がかかり、まるでピラミッドでも建設しかねない勢いの号令組織になっていく。誰も社長の首に鈴を付けられない。思ったような結果が出なくなる。投資していて良く見られる「社長の器以上に会社が大きくなってしまった」状態である。


上記は企業統治の例だが、『歴史の終わり』の主要な論点である経済と政治においても同じことに言える。

経済も政治も規模がある程度小さいうちは、これらを制御する力は一極集中させた方が効果を発揮する。例えそれが恣意的な運用であっても、システムは安定して回っていく。

しかしある規模を超えると一極集中の恣意的な運用では制御しきれなくなる。恣意的な運用から客観的なプロセスの確立と遵守、権力の一極集中から分散化へ移行する。

このようなシステムの恣意的な運用を排除していく過程を辿れば、経済においては資本主義が、政治においては民主主義が最終的に選択されるということになるのだろう。
posted by かせっち at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月09日

推参なり

渡辺主筆の大連立「政治介入」 ネット上では批判目立つ(J-CASTニュース)

(エントリより)
三宅氏は、番組の中で「メディアの政治介入」について問われると、

「建前論としては、『公正無私』だって言ってますけど、ある新聞は安倍さん(安倍前首相)を個人攻撃に至るまで叩いたじゃないですか。それはいいんですか!あるテレビ局は、野党が勝つように番組制作したと言って問題になったじゃないですか!みんな建前論では『公正無私』と言っているけど、みんなやりますよ、そんなの」
「政治家以外の人がね、政治にこうしたらいいだろ、ああしたらいいだろといことはいくらでもありますよ」


と政治にメディアなどが働きかけることは珍しいことではないとの持論を展開している。しかし、問題はメディアのトップが、実際に政治家のあいだに入って「連立」を画策したことにあるはず。


ならば問う

メディアが行使する政治的権力は誰によって担保されたものか?

政治家のように国民の選挙によって与えられたものではないはずだ

政治的権力を行使するメディアに対して抑止するのは何者か?

司法・行政・立法の間に存在するような相互抑止力もないはずだ

一言で言おう 「メディア、推参なり!」



参考:
【大連立騒動】ナベツネに告ぐ − 「分を弁えろ!」(あさってのほうこうBlog)

posted by かせっち at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月06日

「7K」職場

IT業界不人気の理由は? 現役学生が語るそのネガティブイメージ(@IT)

(エントリ)
 最近の新卒採用で人気が低迷する国内IT業界。不人気の理由は何なのか、人気回復はできるのか。情報処理推進機構(IPA)は10月30日のイベント「IPAフォーラム2007」で、IT業界の重鎮と理系学生による討論会を開催した。テーマは「IT産業は学生からの人気を回復できるのか」だ。

<略>

 いくつか挙げられたIT業界のイメージは実にネガティブな内容だった。いわく「きつい、帰れない、給料が安いの3K」に加えて、「規則が厳しい、休暇がとれない、化粧がのらない、結婚できない」の“7K”というイメージだ。学生は、ほかの業界と比べて「IT業界は特に帰れない」というネガティブな印象を強く持っているようだ。

 ネガティブイメージを突きつけられた浜口氏は、「必ずしも全員が3Kではない」と反論。岡本氏も「3Kの“帰れない”は、帰りたくない人が帰れないだけ。スケジュール管理の問題だ。私は40年間近くIT業界で仕事しているが、何が一番幸せかというと退屈している暇がないことだ。技術が進歩するにつれわれわれの仕事も複雑化してくるが、一生懸命追いかけていくだけでも退屈しない。いい仕事を選んだと思う」と自らの仕事を振り返りつつ、学生に反論した。


このイベントについて、「3K」を上回る「7K」職場のイメージと、「帰りたくない人が帰れないだけ」の岡本氏の発言が物議を醸している。


「IT業界就職不人気」の怪(切込隊長BLOG(ブログ))
追記:「7K」というのがあるらしい(切込隊長BLOG(ブログ))

(エントリより)
 「IT業界だからiPhone開発のようなクリエイティブな仕事ができる」という勘違いは、「建設業界だからビル設計のようなクリエイティブな仕事ができる」という馬鹿に通じるものがある。世の中しんどいんすよ。クリエイティブな仕事「も一部ある」けど、その「やりたい仕事」をやるためにはその数倍から十数倍の「やりたくない仕事」をしっかりこなさなければならない。

 やりたい仕事だけやればいいというのは、基本的に経営にいる人たちの特権とも言える。日常のやりたくない仕事や、手間のかかる面倒な仕事を引き受けてもらうために、お金を払って人を雇っているのだから。その雇われている人が、やりがいのない仕事を押し付けられることや、つまらん仕事を押し付けられそうだと考えて、その業界に逝きたくないと考えるのはある意味当然なのかもしれない。


イメージを形にできない人は減衰する(404 Blog Not Found)

(エントリより)
確かに、きつい。どうきつい、どうしてきついかはまた別entryで書くが、職人の世界というのはどこもかしこもそうだ。しかし、おなじきついでも、それは自分が鍛え上がっていく時のきつさであって、今日も明日も同じきつさの繰り返しでは決してない。もしそうだとしたら、それは職人以外の何かが混じっている証拠だ。そういう時には躊躇せず職場を変えること。

しかしきついから逃げないで職に打ち込んでいると、ある日気がつくのである。自分がどれだけ鍛えられているかを。こりゃ堪らんよ。堪えられないよ。こいつは残念ながらどこにも売っていない。職人が作ったものなら金だせば買えるけど、自分でつくれなかったものがつくれるようになった時の気持ちは、どこにも売ってないんだぜ?
posted by かせっち at 21:08| Comment(2) | TrackBack(0) | IT | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月03日

決断

パーフェクトより凄い(玄倉川の岸辺)

8回までパーフェクトの山井を引っ込め、抑えの岩瀬にスイッチして逃げ切った落合采配には賛否両論。自分もあの場面、「えええ!?ここで替えるかよ!?」とTVに向かって叫んでしまった。

しかし実際には4回にマメを潰した山井は8回で限界に来ており、自分で降板を申し出たとのこと。そう、彼はパーフェクトを幻にすることを自ら決断したのである。

(エントリより)
「パーフェクトを見たかったのに!」と怒っているファンの方々に対しては、気持は分かるけれどもうすこし落ち着いたらどうかと言いたい。
野球ファンでない私がこの「事件」に興味を持ったのは「目の前のパーフェクトをを幻にする決断」の凄さに感嘆したからである。もし単なるパーフェクトゲーム(というと語弊があるが完全試合の価値を貶めるつもりはない)であればそれこそ「単なる記録」として聞き流しただろう。
世の中には「パーフェクトゲームはすばらしい」と思うだけではなく「パーフェクトゲームを幻にする決断ができる人間がいることが凄い」「それほどまでに日本シリーズ優勝に価値があるとは」「野球というのは表層的なお祭り騒ぎじゃなくて奥深いスポーツなんだ」と感心する私のような人間もいる。


※2007/11/15追記
落合監督の“非情の交代劇”に見る、トップの不思議な思考の世界 (日経BP)
posted by かせっち at 20:10| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月02日

脈絡無く三題

※2008/10/5変更

叡智の値段(404 Blog Not Found)

(エントリより)
群衆の叡智サミット2007の参加者のみなさま、お疲れさまでした。パネリストとしても大いに楽しませていただきました。

参加できなかった方のために、私がどんなことを主張したのかをここにまとめておくことにします。


まずは質問です。叡智(wisdom)の値段(price)って幾らでしょう?ここでは「今まで人類が貯めてきた叡智すべて」ということにします。

100兆円?1000兆円?1京円?

答えは、マクドナルドのスマイルと同じ、0円です。


※2008/10/5変更
以前取り上げた記事はこちらに移動しました→
「牛若丸」


※2008/10/5変更
以前取り上げた記事はこちらに移動しました→
「夢の跡」
posted by かせっち at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ&ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夢の跡

日本に来ていきなりNOVAなくなっちゃった…

夢と希望を持って来日したアメリカ人二人を、1ヵ月後に待ち受けていたのは、講師として働いていたNOVAの経営破綻。給料は支払われず、仕事も見つからず、所持金も底をつきかける。

知り合いのつてを頼って相談した日本人からは帰国を勧められるが、彼らは日本に残って日本の文化や日本語を勉強したいと希望する。

この二人のチャレンジャーに対し、相談を受けた日本人はある提案をする。


「いっそ自分達の身の上をネタに、ブログをやってみたらどうだい?話題になって有名になったら、道が開けるかもしれないよ。」


かくして大阪を舞台に、二人のアメリカ人のブログは始まった。

(エントリ「Why Japan?/なんで日本かって?」より)
Two weeks ago, I thought I was going to have to purchase my plane ticket home in a few months. However, with each passing day, I feel more and more confident, thanks to everyone who has helped me so far, that I will be able to stay in Japan. That is all I want, to stay in Japan… the food is delicious, the people kind, friendly, and sympathetic, and the women are beautiful. The only drawback the beer is a bit expensive.

2週間前、僕は数ヵ月後にアメリカに帰るために飛行機のチケットを購入しようと思っていた。でも、こんな毎日を過ごしていくうちに、僕はもっと日本にいることが出来るんじゃないかとより強く思うようになってきた。自信がついてきたんだね。みんな本当にありがとう。僕がただ望むのは日本にいたいってこと・・・ご飯はおいしいし、なんたって人は親切でフレンドリーで、寛大だし。日本人の女性は綺麗だし。しいていうなら、ちょっとビールの値段は高いけどね。
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牛若丸

“弁慶のいない牛若丸”だった安倍前首相(日経BP)

SAFTY JAPAN 日下公人氏のコラム。

(エントリより)
 安倍前首相には、もう少し悪賢い補佐官がいればよかったのだろう。安倍前首相と同じ成蹊高校の出身である佐々淳行さんは、安倍さんの首相就任直前に、親近感を込めて、こう指摘した。

「彼は牛若丸である。若くて賢くて一生懸命で純情。だけどそばに弁慶がついていない」

 牛若丸には、敵の矢を全部一身に引き受けるような大男の弁慶がついていないといけない。安倍前首相にはそんな存在がいなかった。牛若丸はやがて源義経になって、平家を倒す原動力となるが、安倍前首相はまさにそういう活動を孤軍奮闘でした。
posted by かせっち at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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