2007年09月30日

「存在格差」

書闘倶楽部 著者と語る肖像『フラット革命』佐々木俊尚著(SAPIO 10/10号)

『フラット革命』の著者・佐々木俊尚氏に対するインタビュー記事。『フラット革命』の内容については、記事中で以下のようにまとめられている。

(記事より)
言論の<フラット化>により、新聞、テレビといった既存メディアによるジャーナリズムは3つの危機を迎えている。『フラット革命』の著者、佐々木俊尚氏は、次のように指摘している。

●大新聞などの言論とひとりの無名のブロガーの言論が同じ力を持ち得る。
●既存メディアによる取材のプロセスが(被取材者などによってネット上に公開されるなどの結果)可視化される可能性がある。当然、その取材の正当性や、市井が厳しく問われるようになる。
●高度な専門知識と分析力を持ったブロガーが、大新聞よりも高度な論評を行い、その集積が大新聞のデータを凌ぐようになる。
●特定の機関や個人にコントロールされないインターネットの世界では、偶然性によって新たな人間関係が生まれ、人と人の知識が出会うことで新たな知=<集合知>が生まれる。バーチャルとリアルが融合された新たな世界が到来する。
●特定の機関や個人にコントロールされず、誰もが情報や議論のやりとりに参加することができ、その過程が全て可視化されていることが、新たな公共性を担保する。人々が常に参加し、議論していく行為そのものに民主主義の本質がある。

既存の秩序・価値への<隷従>と引き替えに<安心>と<友愛>を保証された<われわれ>という概念が崩壊し、人々は乾いた砂粒のような<わたし>となり、一人で社会、国家と対峙しなければならなくなった。その時、あらたな<公>が形成される可能性はあるのか。あるとすれば、それはどこに。


インタビュー記事を書いた鈴木洋史氏は、最後に以下のようにまとめている。

(記事より)
佐々木氏が展開する論は、個人と社会、国家との関係、政治や民主主義のあり方などについて鋭い問題提起を行っており、極めて刺激的だ。だが同時に「待ち受ける未来は残酷だ」という思いも抱く。ネットの言論においては言葉が全てであり、とりわけ論理が重要である。それ以前に、ネットの世界においては発言しないことは「存在しない」ことと同義だ。だが、人には言葉にならない思いがあり、ときにそこにこそ真実がある、というのが、ノンフィクションやインタビューを生業としてきた者の実感だ。

<略>

一人ひとりが国家と向き合わなければならないとして、砂粒のように浮遊するしかない人がいはしないだろうか。新たな「存在格差」とも言うべき事態が到来しはしないだろうか。


このまとめにこそ既存メディアと、そこに胡坐をかく特権的ジャーナリストの傲慢が如実に現れている。切り貼りの反論は好きではないが、ツッコミどころが満載なので敢えて行う。


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2007年09月29日

ドイツから歴史を学べ

…と、日本の戦後の姿勢を批判する人は主張しますが。

日本はナチス・ドイツへの道に向かっているのか?(冒険少年にゅーす塾)

ネットの海を漂っておりましたらこんな記事が。

「年金」を政争の具にする愚かさ…

かつて、ドイツでナチスが台頭し、ワイマール共和国の民主主義ドイツが崩壊したのも年金問題が一つの原因であったと言ってよい。野党時代のナチスは年金問題で時の政権を集中的に攻撃し、国民の歓心をかった。それが1930年の総選挙でのナチスの大躍進の原因の一つだったのである。そうしたことを日本のマスコミや国民も知っておくべきであろう。こんな危ない問題を本来、政争の具にしてはならない。にも拘わらず、現在の日本では与野党、特に野党の側に自己抑制が働いていない。与党の側も、本来は野党に呼びかけ、社会保険庁の解体を推進すべきなのだ。与野党連合で取り組むべき問題なのである。

安倍首相は、国会の党首討論で、「与野党が一致して国民の為の改革をすべきではないか」と民主党の小沢代表に呼びかけた。
「政争の具にしてはいけない」と小沢代表にぶつけたのである。
だが、ポピュリズム(大衆迎合)を煽ることしか念頭にないマスコミに先導された国民の多くは、あのずさんな社保庁を放置してきた責任は「与党にある」としかとらえない。
マスコミは、「政争の具にしてはならない」との声を、単なるレトリック(理屈)としてしか見ない。
そこにこそ年金問題の本質があるのである。


うーん、ここ半年近くの事を旨く表現されているなあ・・・・。


なるほど、よーく学ぶことにします。
posted by かせっち at 20:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月25日

幻聴

一連の報道でわかったことは、マスコミは愚劣だということだ。

【朝日新聞】「『アタシ、もうアベしちゃおうかな』という言葉があちこちで聞こえる …そんな大人げない流行語を首相が作ってしまったのがカナシイ」(痛いニュース)

(エントリより)
コラムニストの石原壮一郎さんは「自分勝手な美学で情報を隠し、国民を混乱させた」
と話す。辞任時に体調不良を明らかにしていれば無用な混乱はなく、イメージダウン
も防げたのではないかと指摘する。

「『アタシ、もうアベしちゃおうかな』という言葉があちこちで聞こえる。
仕事も責任も放り投げてしまいたい心情の吐露だ。
そんな大人げない流行語を首相が作ってしまったのがカナシイ」


そんな言葉、聴いたこともない。


以下、2ちゃんねるの反応。

(エントリより)
311 名前: ハンター(東京都)[] 投稿日:2007/09/25(火) 01:47:44 ID:/Kv3acyt0 ?2BP(7077)
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E3%81%82%E3%81%B9%E3%81%99%E3%82%8B&lr=
9月19日の新聞に あべする っていうのが乗ってたらしい

次のお題!「古田監督」 投稿者:丹馬 投稿日:2007年 9月19日(水)22時53分28秒
今朝の新聞から・・・「重大な職務をにわかに放棄すること」を「あべする」というんだそうな。
どこかで使えそう。
安倍首相とは違って、切りのいいところでけじめをつけたのが、ヤクルトの古田監督。
で、次のお題は「古田敦也監督」、あるいは「ヤクルトスワローズ」でまいります。



314 名前: 主婦(アラバマ州)[] 投稿日:2007/09/25(火) 01:48:26 ID:uSEXeFRH0
>「『アタシ、もうアベしちゃおうかな』という言葉があちこちで聞こえる。

ちょ、どこで言ってんだよwwwwwwwwwwwwwwww


321 名前: 事情通(大阪府)[sage] 投稿日:2007/09/25(火) 01:50:20 ID:o6Ry8FNF0
>>314
9月19日の朝日新聞に掲載。
つまり、全部朝日の自作自演。


364 名前: 事情通(大阪府)[sage] 投稿日:2007/09/25(火) 02:06:25 ID:o6Ry8FNF0
>>348
「ダレが」「どこで」ってのが完全に抜けている逃げ道だらけの発言だからな。
「正しい日本語を」「活字離れが顕著だ」などと新聞社は声を大にするが、
こういうアホな記事ばっかり書いているからだよと言いたくなるわ。


450 名前: シェフ(樺太)[] 投稿日:2007/09/25(火) 02:47:19 ID:sXXoO/InO
虐めっ子の見本


435 名前: 留学生(catv?)[] 投稿日:2007/09/25(火) 02:39:27 ID:YQoOpEFx0
「あいつ今日掃除当番なのにインフルエンザで休んだからアサヒしてやろうぜ!」

アサヒする→欠席した人をみんなでを執拗に口汚く罵り、それを学級新聞に載せる行為


454 名前: 理学部(東京都)[] 投稿日:2007/09/25(火) 02:49:33 ID:1WMXK95l0
『アタシ、もうアサヒしちゃおうかな』

病人が自殺するまで追い詰めるの意


※2007/9/26追記
【政治】「『アタシ、アベしちゃおうかな』の言葉、あちこちで聞こえる…首相がこんな流行語作るとはカナシイ」と識者…朝日報じる(ニダー速報)

(エントリより)
あさひ る【朝日る または アサヒる】
《品詞》動詞。
《意味》実在しないもの、架空のものをあたかも実在するかのように
    他者に語り聞かせること。捏造。
《用例》「あなたは新しい流行語と言いますが、
     そんな流行語は聞いたこともありません。
     あなた、アサヒっていませんか?」
《類義語》「嘘をつく」「捏造する」「騙す」「欺く」「でっち上げる」他


※2007/9/29追記
アサヒる・・・ついにこんなサイト登場。日本語だけでなく、英語、独語、仏語まであります(笑)
posted by かせっち at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 朝日新聞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月23日

ホッブズの「自由」とヘーゲルの「自由」

『歴史の終わり(上)』p.249)
人間は、たんに物理的に拘束されていないというホッブズ流の形式的な意味において自由なのではなく、そもそも自然によって決定づけられることはないという形而上学的な意味において自由なのである。ここでいう自然には、人間自身の本性、その周囲の自然環境、そして自然の法則がふくまれている。


『歴史の終わり』が下敷きにしているヘーゲルの歴史解釈では、人類の政治体制の最終形態はリベラルな民主主義だと説いている。それと対照させる意味でフクヤマは、アメリカに代表されるアングロサクソン流のリベラルな民主主義を紹介しているが、それはヘーゲルが想定した意味でのリベラルな民主主義とは、根本的なところで様相を異にしていることも同時に指摘している。

アングロサクソン流のリベラルな民主主義の起源を辿ると、『リヴァイアサン』を書いたイギリスの政治哲学者トマス・ホッブズに行き着く。ホッブズの「自然状態」の描写はヘーゲルの「歴史の始まり」に似通ってはいるが、両者の「自由」についての解釈の違いが、その後の歴史の進展についての考察に決定的な差を生み出していく。

ホッブズが考える「自由」とは、我々も容易に思いつく「物理的に拘束されていない状態」である。

ホッブズの「自由」の究極的な姿は、自分の命を守るために暴力に訴えることも是認される「自然権」だが、各人の自然権の行使は他者の命を脅かすことを意味する(「万人の万人に対する闘争」)。よって各人の自然権を制限する「自然法」に基づき、人々は自然権を一人の主権者に委ねることを契約する(社会契約説)。その結果、自然状態から社会契約に基づいた平等な市民社会に移行する。

一方ヘーゲルは、ホッブズとは異なる「自由」を提起する。

人間は、例え何者にも拘束されない状態に置かれたとしても、実際のところ人間の動物的本能、周囲の自然環境、自然の法則に従って生きていかなければならない。それでは本能のままに生きる動物や、物理法則に従って動く物体と変わらない。自然的・動物的な本性に逆らう行動を取れることが人間の人間たる所以であり、そのような行動を取ることこそが真の「自由」である、と。

そして「歴史の始まり」で「最初の人間」が繰り広げた、認知のために命を賭ける闘争は、「命を守る」という自己保存の本能に逆らう行為であり、これこそヘーゲルの説く「自由」を求める戦いといえる。そして「歴史の始まり」で繰り広げられた認知を求める闘争の結果、その勝者である君主と、闘争に敗れ、命を守るために君主に屈した奴隷の二重構造の社会が生まれた、とヘーゲルは分析する。

両者の「自由」を魂の三分説に関連付けてみると、ホッブズの「自由」は「欲望」に、ヘーゲルの「自由」は「気概」に立脚していることがわかる。そしてヘーゲルが「気概」から生まれた「認知への欲望」を是認し、「欲望」から生まれた「自己保存」を低く見ていたのに対し、ホッブズは「自己保存」こそ重要で、それを全うするためには「気概」から生まれる「誇り」「虚栄」に類するものを放棄することを要請する。

かくして、ホッブズが「誇り」を挫き「自己保存」を勧め、ロックが私有財産と富の追求を付け加えた自然権は、「生命、自由、幸福の権利」としてアメリカ独立宣言に反映される。そして「欲望」に立脚したアングロサクソンのリベラルな民主主義は、目先の自己保存や物質的幸福を追求し、「気概」に立脚する公共心も愛国心も持たない人間――「ブルジョア」を生み出すことになる。

一方、君主と奴隷の二重構造から出発したヘーゲルの歴史認識では、その後長い時間をかけて史的弁証法が繰り返される結果、アングロサクソンのリベラルな民主主義が放棄した「気概」をも満足するようなリベラルな民主主義に到達する、としている。つまり、冷戦に勝利したアングロサクソンのリベラルな民主主義が、ヘーゲルが想定したリベラルな民主主義に相応しいかは、未だ考察する余地があるのである。


参考:
歴史の終わり〈上〉(フランシス・フクヤマ/三笠書房)

トマス・ホッブズ(Wikipedia)
自然状態(Wikipedia)
アメリカ独立宣言(Wikipedia)
posted by かせっち at 21:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史の終わり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自民党総裁選

結果は福田氏330票、麻生氏197票で福田氏の勝ち。


・・・っておい

9派閥のうち自派閥の支持しかなかったはずの麻生氏が

意外と票を集めてるじゃねーか?(驚)



197票は麻生氏の政治的勝利(依存症の独り言)

これによると、地方票の内訳は福田氏76票、麻生氏65票。国会議員票のうち、「福田氏でガチ」の町村・二階・谷垣三派と「麻生氏でガチ」の麻生派の議員数を引いた260票の内訳は、福田氏143票、麻生氏116票。

以上を合計すると福田氏219票、麻生氏181票。

これは何を意味するかというと、積極的に支持に回った派閥の「組織票」を除いた「浮動票」で見てみれば、麻生氏は互角に近い勝負をしており、同時に「浮動票」党員は福田氏支持と麻生氏支持の二つに分裂したことになる。

これでは勝った福田氏も好き勝手にはできないだろう。

(エントリより)
8派対1派、基礎票で302対16だったのに、麻生氏支持の国会議員票が132票もあった。こうなると福田氏も麻生氏を無視できない。
福田氏は安倍路線を転換するだろうが、麻生氏とその支持勢力が反対する政策(たとえば「人権擁護法案」や「夫婦別姓法案」)などは棚上げせざるをえないだろう。
そして、麻生氏はポスト福田の最有力候補になった。しかも自力で。
だから、「選挙に負けても政治的には麻生氏の勝利」と言えるのだ。
posted by かせっち at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月20日

正式名称

「国連決議に基づいていない!」と民主党が反対している「テロ特措法」の正式名称は以下の通り。

平成13年9月11日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法


・・・おや、「国連決議等に基づく」って文言が(笑)


「国益を守る」ことの重要性(せと弘幸Blog『日本よ何処へ』)

(エントリより)
9月15日土曜日読売系「ウエークアップ!ぷらす」に出演の塩川正十郎氏が民主党の菅直人に「国連決議がない、といっているが、この法律の名称には国連決議に基づく人道的措置という言葉が入っていることを知っているのか?」と問いかけたら、どうやら知らなかったようでしどろもどろで原則論を繰り返していた様子に家中であんぐり。特に家のばあちゃんは、こんな知識で国会議員が務まるなんてと絶句。

不勉強すぎ。


これじゃ小沢がTV出演禁止令を出したくなるわけだ(笑)


テロ特措法について(代表戸締役 ◆jJEom8Ii3Eの妄言)

テロ特措法に基づいて海上自衛隊はインド洋で何をしているか?そして何のために派遣されているのか?それを上手くまとめたブログ。ヒントは「ムシャラフの壁」。

(エントリより)
  アルカイダ←【ムシャラフの壁】→タリバン
                ↑
北朝鮮(ミサイル)→★パキスタン★→【ムシャラフの壁】→サウジアラビア
              ↑   ↓      ↑
             中国  ↓       ↑
北朝鮮(核)→シリア..  ↓ 【ムシャラフの壁】
          ↓   ↓ ↓
 エジプト→→ガザ←←イラン←ロシア



※2007/9/21追記
特措法論議で、民主党は「責任政党」へ脱皮できるか?(ネット発 声を挙げよう blog (仮称))

(エントリより)
産経は、「責任政党なら特措法延長に賛成すべき」と、結論から逆算してモノを書くから胡散臭いのである。「責任政党たること」と「その政策」は、関連性はあるものの、基本的には別個に考えるべき事柄である。「特措法延長に反対しつつ、責任政党として振舞う道」もある可能性もある。ていうか、民主党は、そのような道を歩むしか、選択肢は無い。

つまり、冒頭に述べた注目点とは、「特措法延長に反対しつつ、責任政党として振舞う」ということを、如何に民主党がこなすか、なのである。

<略>

民主党の未熟さとしては、審議拒否とか採決集団欠席などのような、目に見える部分ばかりが問題にされるが、根本的には「『党としての選択』を示す重みに耐えられない」ということがあると思う。「党としての選択」を、審議拒否とか採決集団欠席などの実力行使にすりかえている、とも言えようか。郵政選挙で民主が大敗した理由も、結局はその辺りにある。

しかし、特措法に関しては、「党としての選択」から逃げてばかりいられない。一時的にせよ、給油活動を撤退させるか否かは、事実上、民主党の意思にかかっているのだから。もし「撤退する」となった場合、そこに起こるハレーションは、良いものも悪いものも、民主党の選択の結果、ということになる。「自衛隊は撤退しろ。でも撤退した後に起こる不都合は、自民党が解決してね」で、「責任政党」になれるとは、当の民主党も思ってはいまい。

posted by かせっち at 21:23| Comment(0) | TrackBack(1) | 軍事・国防 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月15日

魂の三分説

『歴史の終わり』を読む上でヘーゲルの歴史解釈と並んで重要な概念が、プラトンの「魂の三分説」である。これは、魂には以下に示す3つの側面がある、というものである。

・「生きたい」「食べたい」という動物的本能に基づく「欲望」
・「損を避け、利を選ぶ」という理知的・計算的な部分の「理性」
・「尊厳」「誇り」「自尊心」「野心」に通じる「気概」

『歴史の終わり(上)』 p.274)
「気概」は、人間が生まれながらにもっている正義感のようなものだ。人々は、自分になにがしかの価値をもっていると確信しており、他人がそれを否定するような――自分の価値を正しく「認知」しないような――振る舞いをすると腹を立てるのである。英語で怒りと同義語であるindignation(憤り)という言葉を見ても、自己評価と怒りとの密接な関係がわかる。「尊厳(dignity)」は、人間の自分に対する価値観とかかわっていて、何かの拍子にその価値観が侵害されると「憤り」が生まれるのだ。

それとは逆に、自分が自分の自尊心にしたがって行動してはいないことを他人に悟られたとき、われわれは「羞恥心」を感じる。そして、自分が正当に(つまり自分の真価にふさわしく)評価されたときには「誇り」を感じるのである。


「気概」を別の言葉で説明すると「様々の物事に対して価値あるものにしようとする欲望」。自分自身に価値を見出せば「自尊心」「尊厳」となり、国に対して価値を見出せば「愛国心」となる。その価値が認められれば「誇り」を感じ、不当に貶められれば「怒り」を感じ、自ら価値に違う行動を取れば「羞恥」を感じる。

引用文中の「dignity」と「indignation」の関係は「気概」が「怒りの座」と言われる所以を示している。「dignity(尊厳)」に否定の接頭辞「in-」をつけると「indignity(侮辱)」、それが変化して「indignation(憤り)」。自分に対する価値である「尊厳」を「否定」され、「侮辱」されたことに「憤る」、というわけである。

ヘーゲルは「気概」を「自分にとって価値あるものに対し、他人も同じ評価して欲しい」という「認知への欲望」と解釈した。アングロサクソンの自由主義やマルクスの唯物史観が専ら「欲望」と「理性」の面を押し出しているのに対し、ヘーゲルは「気概」である「認知への欲望」こそが歴史を進展させる原動力と主張した。

『歴史の終わり』では「欲望」と「理性」で説明される経済的側面による歴史解釈の限界を示し、「気概」を加味したヘーゲルの歴史解釈を下敷きに、破綻した政治体制は「欲望」「理性」「気概」を満たせない欠陥を抱えていて、これらを全て(少なくとも現時点では最も)満足させる政治体制が必然的に生き残った、と指摘している。


参考:
歴史の終わり〈上〉(フランシス・フクヤマ/三笠書房)
posted by かせっち at 14:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史の終わり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月14日

安倍首相辞任〜後継総裁選び

夏の終わり(玄倉川の岸辺)

自分が見回した中では一番落ち着いた意見だったかと。

(エントリより)
高い支持率を生かせず守れなかった安倍氏を批判するのはたやすいけれど、私はむしろ国民の「人気者」に対する期待が安直すぎるのではないかと不遜な疑いを抱く。恋愛にたとえるならば、一年後にはすっかり冷めてしまうような相手にのぼせ上がるのは若者の特権である。若さも未来も無尽蔵にあると信じられるならひとときの恋に情熱を費やすのも悪くない。だが、今の日本社会の姿は「楽天的な若者」なのだろうか。むしろ「堅実な中年」に近いのではないか。


「パラダイス鎖国」に立ち向かう人たちと地域格差バブル(日経IT PLUS ガ島流ネット社会学)

「自国が住みやすくなりすぎ、外国のことに興味を持つ必要がなくなってしまった状態」という意味の「パラダイス鎖国」で地域格差を考えたコラム。安倍首相辞任とは全く関係ない話題だが、以下の文章が突き刺さる。

(記事より)
前回紹介した、パラダイス鎖国の概念を提示したシリコンバレー在住の海部美知さんは、鎖国を打ち破るために野球選手のイチローのような「変わり者」の存在が必要だと説いている。だが、パラダイス鎖国は心地よいがゆえに、今までのやり方を変えようとする人たちを排除する。それだけならまだしも「いまさら頑張っても無駄だ」と足を引っ張る人たちが出て、チャレンジする気持ちすら失っていく。


嗚呼、魑魅魍魎が跋扈する永田町では、生真面目で理想主義者の安倍氏は「変わり者」だったのだろう。元祖「変わり者」の小泉氏ほどの喧嘩上手と冷徹さがあれば今回の事態を乗り切れたろうが、彼にはそこまでの胆力がなかったということか・・・

事ここに至り、永田町も霞ヶ関も結果的には有権者も、現状の「パラダイス鎖国」を選んだのではないだろうか。その行き着く先は「パラダイスというぬるま湯に浸かり、鎖国を続けることでやってくるであろう「緩慢な死」」なのだが・・・


以下、後継総裁選びについてのエントリ。現在のところ、派閥の支持では福田氏圧倒的優位、一方の麻生氏は地方票を当てに対抗する構えだが、実際の麻生氏の本音は・・・?

ほんとに麻生太郎氏でいいの?(切込隊長BLOG(ブログ))
しかたがないので、とりあえず貧乏くじを引く(404 Blog Not Found)
ポスト安倍は福田? 自民党死亡 5秒前(Birth of Blues)

(Birth of Bluesのエントリより)
「事件は会議室で起きてるんじゃない」という有名なセリフがありましたが、「選挙は党内調整で行うんじゃない」です。
選挙に勝ちたければ、候補者は商品。民意とは消費需要。有権者はお客様な訳です。
そして選挙に勝たなければ、政治が出来ない。
踊るを再度引用すると、「正しい事したけりゃ偉くなれ」です。

政治はプロダクトイン、選挙はマーケットアウトなのです。
自民の選対は理解していると思いますが、老害が。。
まさに、老舗問屋の大型倒産を想起させます。

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2007年09月10日

日本文明とは何か

日本文明とは何か―パクス・ヤポニカの可能性 (山折 哲雄/角川叢書)

先日紹介した『歴史の終わり』はヘーゲルの歴史解釈を中心とした論考である。実際この本で引用される「ヘーゲル」は、「ヘーゲル自身」というよりは、ヘーゲル研究者アレクサンドル・コジェーブによって解釈された「ヘーゲル」であると、フクヤマは述べている。

コジェーブは当初、歴史が終わったときの人間の姿は、ニーチェが指摘したような「最後の人間」となると予想していた。しかし1,959年に訪れた日本での経験から、コジェーブはその見解を改める。

即ち、戦乱の世を終えて長い太平の世を迎えた江戸時代は、ある意味で「歴史が終わった」状態にあったが、その時代の日本人の姿はニーチェの指摘した「最後の人間」とは異なるものであり、これが「歴史の終わり」に立つ人間の可能性を示唆するものである、と。

本書は国際日本文化研究センター所長・山折哲雄氏はこの点に注目して著したものと言える。

そもそもこの本は雑誌の連載をまとめたものであり、『歴史の終わり』に関する章が終盤になって出てくるところを見ると、山折氏は連載当初『歴史の終わり』について言及するつもりはなかったのかもしれない。

しかし『歴史の終わり』に関する章を読むと、それまでの章で言及されていたことが、全てこの章に繋がってくることに気付く。そのように考えると、やはりこの本は『歴史の終わり』に対する山折氏の日本文明の立場からの回答と言えるだろう。


PS
ちなみにこの本はamazonのお勧めメールで紹介されたもので、この本がきっかけで『歴史の終わり』も読む気になった。もちろん両者とも注文はamazon。


つまり自分はamazonの策略にまんまと嵌められたわけである(苦笑)
posted by かせっち at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月09日

歴史の終わり

歴史の終わり〈上〉歴史の「終点」に立つ最後の人間 (フランシス・フクヤマ/三笠書房)
歴史の終わり〈下〉「歴史の終わり」後の「新しい歴史」の始まり(フランシス・フクヤマ/三笠書房)

かつてネオコンに与し、その後袂を分かったジョンズ・ホプキンズ大学教授フランシス・フクヤマの問題作。

1,989年のベルリンの壁崩壊をきっかけに、東欧諸国の共産主義体制が連鎖反応的に倒れていく様を見て、フクヤマは論文『歴史の終わり(原題:The End of History?)』を同年発表。各方面に議論を巻き起こしたこの論文について、湾岸戦争までの事実認定まで含めた形で論考を進め、1,992年に『歴史の終わり(原題:The End of History And The Last Man)』として刊行した。

「全てのものは矛盾を孕み、それ故に対立するものを生み出す。両者の対立の結果、より矛盾の少ない方が生き残る」というのがヘーゲルの弁証法。これを歴史に当てはめ、政治体制の発展の過程が歴史の進歩であるとするならば、様々な政治体制は弁証法によって淘汰され、最も矛盾の少ない政治体制が生まれたとき、それ以上の政治体制の発展はなくなる―――つまり「歴史は終わる」。

ヘーゲルは「リベラルな民主主義」が政治体制の最終到達点と予想した。一方マルクスはヘーゲルのロジックを踏襲しながら「共産主義体制」こそが政治体制の最終到達点と予想した。しかし20世紀末の共産主義国家の相次ぐ崩壊は、マルクスの予想を否定する。更にその他の独裁国家や全体主義国家も近年民主制に移行する事例を見れば、ヘーゲルの予想が正しかったように見える。

しかしヘーゲルに対するもう一人の批判者ニーチェは、別の観点からリベラルな民主主義を攻撃する―――「民主主義が君主と奴隷の関係を解いたのは確かだが、奴隷は「気概」に基づいた誇りを持たず、自分の欲望の充足にのみ満足する奴隷の意識のまま解放されたのではないのか?」―――そして、このような「最後の人間」達が為すリベラルな民主主義は本当に究極の政治体制なのか?

書いた人間がネオコンに与していたと聞いて、「やっぱり共産主義はダメ!アメリカの民主主義マンセー!」みたいな本かと思って敬遠していたが、実際に読んで見るとさにあらず、アメリカ的民主主義には寧ろ批判的であったりする。論考の根幹にはプラトン、ヘーゲル、マルクス、ニーチェらの哲学や歴史論が引用される。理系の自分には正直辛い(苦笑)

日系三世でありながら日本の理解について浅いところがあること(訳者の渡部昇一も指摘)、1,992年に書かれた本なので、その後の事実認定がない分は割り引いて読まなければならないが、それでも示唆に富む指摘は多い。この本の刊行後の911後の世界をフクヤマがどのように解釈しているかも興味あるところ。
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2007年09月04日

北鮮二題

拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律(代表戸締役 ◆jJEom8Ii3Eの妄言)

先の国会で改正されたいわゆる北朝鮮人権法が、「日本人拉致問題の解決が進展しない限り政府が北朝鮮に新たな経済支援を実施できない」ことを規定している点について。

(エントリより)
わかりやすくいえば、米国が北朝鮮に対するテロ支援国家指定を解除しようが(確立は限りなく低いでしょうが)日本としては拉致問題が解決されない限り何もしないということを明言したことになります。

この法律がある限り、米国がテロ支援を解除しても、アジア開発銀行など日本が深く関わる国際融資機関から融資を受けることはできません。


北朝鮮のテロ国家解除問題(代表戸締役 ◆jJEom8Ii3Eの妄言)

米国が北朝鮮のテロ支援国家指定を解除するという報道について。第一報のロイターは「ただ米国務次官補は、北朝鮮をテロ支援国リストから外すことで合意したとは話していない。」と書いているが、一部のメディアはそこを無視?

(エントリより)
やはり、今のところの判断としては、北朝鮮が自分に有利に物事を進めたい為の典型的なミスリードであったようです。
posted by かせっち at 22:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 韓国・朝鮮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月03日

その差が命取り

仕事で使っているPCのHDDが故障した。幸いHDDを2個使ってRAID 1で運用していたため、死んだのは片方のHDDのみで、本体データは生き残ったもう片方のHDDに丸々残っていた。ありがとう、RAID(笑)

こういう場合、死んだHDDを新しい物と交換すれば良いわけだが、そのHDDは既に販売終了となっていた型番だったので、「これと同等品のHDDを取り寄せて」と馴染みの業者に発注した。

そして今日、代わりのHDDが納品されたので、早速取り付けてみるが、新しいHDDがRAIDディスクとして認識されない。RAIDのユーティリティソフトをよーく見てみると・・・

RAIDボリュームとして割り当てられた容量
 233.8GB

生き残ったHDDの容量
 233.8GB

新しいHDDの容量
 232.9GB


・・・あり?

新しいHDDがRAIDボリュームよりも小さいじゃねーか(驚)



2つのHDDでデータを二重化するのがRAID 1の仕組みなので、死んだHDDを交換する際は生き残ったHDDよりも同じか、より大きいHDDを用意しなければならない。ところが新しいHDDは名目上同じ容量だが、実際の容量は若干小さめだったというわけ。

まぁ、このような誤差はよくあるものだが、まさかそれがRAIDの足枷になろうとは。今にして思えば、もう少し大きめのHDDを買うか、最初にRAIDボリュームの割り当ての際に若干小さめの大きさにしておくべきだったか・・・くそぉ、何のためのRAIDか(悔)


ということで明日はRAID組み直しのため

再インストールで一日潰れることが決定(号泣)



まぁ、データが無傷でサルベージできただけでもRAIDのご利益はあったんだけどね・・・(嘆息)
posted by かせっち at 21:37| Comment(0) | TrackBack(0) | IT | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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